what the meaning means to us

今週は「学級担任による家庭訪問週間」ということで、授業は短縮。
商業科2年は更なる遅々とした歩みに。週明け最初なので、語句の「仕込み」をチェック。これをやっておかないと、読み取りどころではありません。ワークシートを半分に折って、日→英、正しい音、強勢で。答えはもう片側に出ているのだから、日本語の下とか上に英語を書いても無意味。その「意味」から、対応する英語表現を導き出す回路、その英語表現へと辿り着く「運河」の建設と整備をするのだ、と強調。日本語では似た形なのに、英語では違うぞ、という時に、答えを書くのではなく、自分にとっての「道標」を書いておけるか、というところが自分の勉強。普段、私の話を「一言も漏らさず聞いているか」ということが問われる訳です。
読み取りに移って、今日は4行分、運河を進みました。指示語・代名詞の受け継ぎを確認してから、範読を聞きながら、鉛筆や定規で1行ごとに下へとスライド。今日進んだところも含めて、意味順送り訳の日本語から、英語が出てくるかをチェック。
木曜日は、創立記念講話で私の授業が潰れるので、流石に明日でこのパートの読み取りは終わっておかないとね。

進学クラス高1も朝の『短単』のテストが始まったようで、準備室で担任とその話題。

  • In my experience, saving money is very important.

という例文で、昨年度、高1の担任をしていた数学の先生から、

  • そこは、<it is … to 原形>ではダメなの?

と聞かれたので、「実際の経験を踏まえて言うような時は –ing (動名詞)、何か頭の中のアイデアを言うような時とかは to原形」というような答えを返して、「この場合は、『私の経験では』という部分が、動名詞主語に繋がるような伏線にもなっている」というように説明。
授業では、フォニクスを少しずつ。
前時は、 cutとcuteの対比からcuttingへ、最後に write-wrote-written-writingの活用まで扱っていたので、今日は「子音字」を二つ並べることで、その前の母音を「名前読みしない」目印とするものを見繕って。既に、子音字の - c - の現れる環境と発音の原理原則は導入済みなので、

  • accept

から

  • success

へ進み、子音字の - cc - 二つを別々に読む語を先に片づけておいて、

  • different

のような中学必修語から、

  • disappear

へ。
最後は残り時間を考え、母音の練習方法の導入でフィニッシュ。

  • nurse
  • purpose

では、「ラッパの口」、私の指導では「みうらじゅんの唇」としてお馴染みの母音の調音のポイントを解説。
軸足を置ける、自分が自信を持って音を出せる語を決めて、<軸足3回→ターゲット1回>で音がぶれないように。軸足候補はいつもの、

  • turn / girl / learn / early

から、一つ決めなさい、といって復唱反復。

高2は2コマかけて、パート3。
語義・定義では、 「文字」の意味での、letter と「プログラム」というカタカナ語が定着しているだけにそこから踏み出しにくい、programを。
訳語と英英的定義の比較で、「語義」に迫るのが、

  • remember / inspire / succeed / at once

これは下調べがしてあれば問題ないと思うだろうが、

  • 一見、多義に見えるけれども実は一つの意味なのか、本当に多義なのか、一度は悩んでおかないと…。

という私の授業の定番の進み方。
今日は、一番前の席の女子生徒に、

  • 1年生も『短単』が始まったので、「先輩」にいろいろ質問してくるかも知れないけれど、「困り所では困りなさい。大きく間違えて大きく気が付きなさい。」と答えておけばいいのでは?だって、私の授業はいつも、そんな感じでしょ?

と同意を求めておいた。
「反意語を援用した語義の理解」というのはもう何回も授業で示していると思うけれど、

  • 反対に振っておいて、ひっくり返して、元に戻す。

というような頭の使い方は覚えておくと便利ですから。

inspireは反意語でexpireを引き合いに出すのは、まあ、容易いでしょう。でも、in-とex-で ex-の方には子音の - s - が既に吸収されてしまっているので、「語根」を取り出そうにも、spireとpireで対比されている訳ではない。本来、「息を吸い込む (= breathe in)」を意味するはずの inspireが多くの場合に「息を吹き込む」という「他動詞」として現れていることは、単に「接頭辞」というだけでは説明が付かないもの。周りの空気なら何でも吸い込んでよいという訳ではなくて、吸い込むべき「息」は、自分より大いなる存在からもたらされることがポイント。今日は、板書で、子供用のビニールプールを引き合いに出して、ぺったんこのビニールの人形の絵を板書し、その後ろで「フーッ、フーッ」と息を吹き込む後ろ盾となる大いなる存在、黒幕・権威の絵を描いて、「激励・鼓舞」の語義をカバー。「むくむく」と膨らみハリのある状態になった「ひとがた」の絵との対比で、その空気で充ち満ちたハリのあるビニールの人形に画鋲を刺して空気が抜け、ふにゃふにゃとへたっていき、人形としては「機能しない」状態になる絵を板書。当然、「息を吐き出す」動作の筈だが、「穴を開ける」という外からの働きかけがあればこそ。こちらの動作をexpireの「効力を失う」「期限が切れる」語義として整理。期限切れはユーザーが決めることではなくて、発行者として、より大きな力を持った者をイメージすることで、inspireとのバランスも取れようというもの。
succeedでは「繋げる」と「終わらせない」という日本語を手がかりに。「成功する」という意味では、「首尾よく…」という日本語の比喩的表現で用いられる漢字のイメージをしっかりと引き出し、 “to achieve something that you plan to do” などという英語のパラフレーズより余程、本質を捉えているとコメント。「終わらせない」では、跡取り、跡継ぎのイメージを立たせるのに、「○代目」「第○代」という日本語の助けを借りて。
今日の最後は、『政村本』で示された「図絵」を一人の生徒が見て、他の生徒に言葉で描写説明し、他の生徒はその説明を聞いて、自分のワークシートに絵を描くという課題。

  • remember
  • succeed

の二つに取り組んでもらいました。大爆笑の渦。久々に笑いにまみれました。
手始めのremember。

  • 頭の中のはっきりしない意識がはっきりする。

で絵が描けますか?生徒には、絵描き歌『可愛いコックさん』を引き合いに出して、絵になるような言葉を伝えなさい。と指示しましたが、そう簡単に出来れば誰もハナから「図絵」で示そうとは思わないもの。まず、「頭の断面図を描く」とか、「脳内メーカー占い診断」とか、「とっかかり」になるような説明は難しいのです。その後、2人にトライしてもらい、

  • 頭の絵の中に空白があって、その中にもやもやした何かがある。そのもやもやが、はっきりとする。

というような描写・説明まで進みました。これでは、「理解する (= understand) 」と解釈されるかも知れません。

  • 「もやもやがはっきりする」って、絵で描くと、「点線が途中で実線になる」というような感じ?それとも、何か、二コマのマンガみたいな変化の描き方?

という私の質問は生かされることなく、ギブアップ。全員で『政村本』を見に集まります。

  • なーんだ!

と思うのは簡単。でも、自分の言葉で説明・描写するのは母語である日本語でも難しいのです。各自席に戻って、図絵を完成。その後、最後にrememberの説明に当たった生徒に雪辱戦で succeedを引かせて、その「図絵」を説明してもらう。せっかくの私の助け船も、あっさり却下され、ここでも大笑い。でも、この『政村本』の図解、前時の earlyといい、今回のsucceedといい、本当に唸りますよ。勿論良い意味でです。
生徒は、「イメージ」として「図絵」が与えられているだけでは、その解釈が一つに決まらない、ということを実感したことでしょう。「コア」となるイメージが、他の意味にならないように言葉を補うには、その「語」の意味が分かっていることが大切。以前も同じことを言ったように思いますが、

  • 分かっていて説明するのと、説明で分かろうとするのは別。

ということです。
次時はこのパートの肝というよりは英語の肝となる「表現と論理」。
扱うのは、「rememberの目的語としての関係詞節の表す意味」

  • I remember the day we first met.

  • I remember when we first met.

という、名詞節 (疑問詞節) と同じ意味を持つのか?という問いかけ。「もの」の筈なのに、「こと」で読んでいるでしょ?ということに気づいてもらう、という「今まで痒いと感じたことのないところに痒さを感じてもらう」ことが狙い。
一見、同じ構造を持つ関係詞節と名詞節でも、

  • I remember the place where we first met.

  • I remember where we first met.

とでは、「初めて会った場所」と「どこで初めて会ったのかということ」で、それほどの違いはないように感じる。
でも、最初のthe day when とwhen のペアでは、明らかに意味に大きな違いが出てくる。
関係詞節の方は「初めて会ったのはいつなのか」を覚えている、という意味で「時」を表す場合よりも、「初めて会った時の『こと』」を覚えている、という「ことがら」を表す場合が多いように思う。
このような名詞句は潜伏命題と考えればいいのではないか、というところまでは頭が回っているのだがそのあたりでもやもや。過去ログでは、ここで書いていました。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071003)
ここでの "the day when SV" は「副詞節の形容詞的用法」と小西友七氏が指摘する次の例とは違うものであることは明らか。(『続クエスチョン・ボックスシリーズ 21 文・句と節・疑問詞・関係詞』研究社、1974年、p. 85)

  • His voice (he raised) when he spoke was harsh with emotion.
  • At this first interview (he had) with her when Agatha Barke was ill, ... she had seemed apprehensive.

概説書でも潜伏疑問文や潜伏感嘆文についての記述は多いのだが、「潜伏命題」そのものについての説明はあまり詳しくはない。「命題」として認識できるから、「疑問」とか「感嘆」という理解が可能になるように思うのだが、何分、随分前に学んだことなので、記憶が曖昧。
関係詞節による後置修飾を受けて、本来は名詞句の限定表現であるにもかかわらず、その名詞句は「命題」を持っている、ということは何を意味するのか。疑問文とその答えに相当する名詞節として、when以下を捉えるのは簡単だと思うのだが、the day when の方は「日付」を問うているのではないことは、COCAからの次の用例を見ても分かるだろう。(以下、太斜字体は私)

There's no one left that believes in that fantasy land, you know, that period of your life. I was -- way back then, I said that America could never be destroyed from the outside. I remember the day I said it because it was September 11th and people were freaking out.

ここで「覚えている」のは、「その日のこと」、つまり、

  • what I was doing on the day
  • what happened on the day
  • what was going on that day
  • what that day was like

とでもいうべき「ことがら」のはず。

  • I remember the place where we first met.

  • I remember where we first met.

との対比で考えると、「場所」の場合は、
(?) I remember what happened in the place where we first met.
とでもいうような「ことがら」の読みを許容しにくいように思います。

  • I remember what the place was like where we first met.

で、「初めて二人が会った場所のこと」という解釈なら成立するでしょうか。

ところが、同じ「場所」を表す名詞でも、次のような固有名詞を目的語にとる例では、名詞の持つ「意味」を読んでいると考えた方が適切に思えてきます。

  • Remember the Alamo. / Remember Pearl Harbor.

MEDの解説にはこうあります。

Cultural note: the Alamo
The Alamo was a place in Texas where there was a battle between a small group of U.S. soldiers and a large Mexican army. The U.S. soldiers were all killed, but their brave efforts are still remembered.

パラフレーズしてみると、

  • Remember what the Alamo means to "us".

とでも言えるでしょうか。

このような考えを経て、最初に取り上げた私の疑問に戻ると、

  • I remember the day when we first met.

の場合は、

  • (?) I remember what the day we first met means to us.

とは言い換えられそうにないのですね。
ということで、少し前にtwitterとFBで正直に疑問を投げかけて、教えを請うた次第。

私のかつての同僚のT先生は、東京生まれ東京育ちで、

  • そんなこと考えた「とき」ない!

などと言って、道産子の私を驚かせてくれたことがあるので、日本語でも、「とき」と「こと」とはmergeするのかな、という感触はあるのですけれど。
今回の教材研究では、「ことがら」という言葉から少し軸足をずらして、「意味」という突破口から少し頭の整理が出来たので、生徒とやりとりをして「現在地」を確認してみます。

放課後は本業で湖へ。
新入部員をカタマランで案内。今週末に初乗艇の予定。

本日のBGM: Emerger (高橋幸宏)