There’s more than meets the eye.

自宅で採点の日々。高2はおおむね授業中の重点が反映された感じだが、高3ライティングの答案は困りものである。絵をもとにしたnarrative passage の問題で、ダイアローグの連続を書いてしまう者、 形容詞fairのつもりで、 fearとか fareと書いている者、単純な比較の higher/lowerをしっかりと使えない者。そしてどうにも気になるのが、theのつかないsameを書く者多数。先日も、外語大の学生と話していて、「なぜ、sameをthe無しで書いて日本の高校生は平気なんだろう?」と尋ねたら、「形容詞だと思っているんですかね?」と、要領を得ない答えだった。Because宙ぶらりんを書いたら無得点にすると警告をしておいたので今回はbecauseそのものの使用が少なくなった。 大流行の「回避ストラテジー」である。あれほど、初見のpicture storyでnarrative passageを出題する、と予告し、時の流れを司る接続表現、新情報旧情報に関わる限定詞の扱いを授業でやっているのになあ…。へこみますね。
2003年の全英連東京大会で"Evaluating teaching writing"というタイトルで発表をしたときに、予算がないので、個々の発表者の資料は冊子にならないといわれ、腹が立ったのでこれまでの実践の成果をまとめて自費で冊子を製本したのだが、その中ですでに自分でこう指摘している。自戒の意味を強く込めて再録。
「Narrative passageの代表的な指導例として『絵』『写真』を使った作文があげられます。Picture Storyという課題は、中学生なら中学生のレベルで、高校生なら高校生のレベルで、誰にでもそれなりには書けるのですが、narrativeな文章として一定の水準をクリアするためには指導者の手当が不可欠です。その手間をかければ、必ず良い作品が出てきます。大学入試やTOEFLでは直接必要とされないために、reluctant writersを励ます位置づけとしてしか認知していない指導者が多いのですが、このタイプの作文のクオリティをどれだけ上げられるかが、シラバスでこれ以降に取り扱うwriting課題に取り組む基礎作りとして本当は重要なのです。」
picture story だと思ってなめたり、軽んじたりするのではなく、成熟した文章を作るために、知識と技能を高めるのだ、という基本にもう一度立ち返るしかない。
ちなみに、先ほどの冊子・発表のタイトルは、Let's see if we really teach what we have to teach in writing classrooms.というような意味合いで用いていたのですが、『ライティングにおける評価論』を期待していたというコメントにへこんだのを覚えています。