Martinet, plodder, guru, and expert

教師を類型化する規準として、1.専門領域に関する最新の知識が十分にあるか、2.新たな知識を吸収しようとする意欲・柔軟性があるか、の二つの軸を想定したマトリクスを考えると、
a. martinet = lack of knowledge but less ambitious
b. plodder = lack of knowledge and quite ambitious
c. guru = with much knowledge but less ambitious
d. expert = with much knowledge and quite ambitious
の4つのタイプに分けることができる。という話をコーチングの教本で読んだ。
英語教師に当てはめて考えてみた。
a. のmartinetは過去の自分の成功体験にすがるばかりで、SLAや応用言語学的知見には見向きもしないばかりか、新たな知見を提供されたとしても「そんなことは、私が昔からいつもいっていることだ。そんな実証的研究の成果などが明らかになる前から私はちゃんと結果を出している。」と平然と言ってのける。ただし、このタイプの教師が結果を出せるのは、優秀な学習者に恵まれたときだけで、成果は往々にして不安定であり、信頼性に欠ける。
b. のplodderは、研究者から話を聞いたり最新の論文を読んだりなど、新しい知見を吸収することにきわめて熱心で、勉強家であるが、必要以上に新しいアイデアを取り入れることが多い。勉強熱心ではあるにもかかわらず、methodとapproachの違いが分かっていないとか、EFLとESLの違いが分かっていないとか、PalmerもHornbyも知らないなど基本的な知識が欠落していることが多い。本人自身が学習者として優等生であったことが多い。基本的な発想が自分の経験に端を発しているため、実証的研究を志向するものの、つねに検証の方法や規準、手続きに一貫性を欠き、得られたデータを比較分析する規準、リサーチデザインの根本が不安定である。
c. guruは、知識、成功体験ともに豊富で、本人自身が研究者としても一流であることが多い。しかしながら、自分の研究領域、研究方法にしか興味がなく、自分のアイデアと対立するような知見には耳を貸さない。自分から他の研究者に対して積極的にアプローチをしたり、研究方法を示唆したりすることは決してせず、他の研究成果に対しては、調査方法やデータの不備を指摘するというのがお定まりのパターンである。自分が興味関心の中心であるため、学習者とのコミュニケーションや動機付けに問題を抱えることが多い。研究者としての自分の成功に胡座をかいている間に、時代に追いつかれるばかりか、時代遅れとなる危険と隣り合わせである。
d. expertは知識、意欲・柔軟性とも理想的な教師・研究者である。最大の特徴は、最新の研究成果を生かして新たな練習方法を開発することができる、ということ。新たな方法の導入に伴う試行錯誤も生かすことができるだけの知識があり、かつ専門家との共同作業ができる柔軟性も持つ。

最近の英語教育界は、得てして、a.のmartinetを嫌い、d.のexpertを目指すも、なりきれず、 b.のplodderにとどまってしまう英語教師を大量生産しているのではないだろうか?確かに、d.のexpertは望ましい姿ではあるが、一人の教師が、理想的な資質を全て兼ね備える必要はない。学校現場には複数の教員がいるのであるから、c.のguruとb.のplodderがチームを組めば、d.のエキスパートが一人いるのと変わらないことになるはずである。問題は、a.のMartinetをどうするか、そして、日本の英語教育界にMartinetに相当する英語教師がどのくらいの割合で存在するのか、である。