コーパス花盛りに思う

NHKの語学講座の影響もあるのだろう。コーパスを利用した英語教材、講座が花盛りである。私自身がLOBコーパスの成果をもとに、run into, run across, come acrossや、free from , free ofなどの使用頻度を確認し、前置詞・不変化詞、句動詞の用例集をちまちまと作っていたのが1988年くらい、日本初のコーパス利用の英和辞典『ロイヤル英和辞典』(旺文社)の校閲のお手伝いをSさんに頼まれ300ページほど見させて頂き、数例用例を入れ替えたりという作業をしたのが、1990年であったから、インターネット時代となり、Googleを活用できる環境、BNCなどの無料で利用出来るconcordancerがある環境など、10年一昔とはいうが、本当に隔世の感がある。
学習者が、英語に触れる時間、学習者が触れる英語の総量には限りがあるので、教材として精選されたものを予め与える、また教授者が使用頻度の高い、典型的な共起関係などを優先的、選択的に示すことで、学習者は「効率よく」学べるという考え方が、近年コーパスを活用した教材が増えている背景にあるのだろう。
『無駄を廃する』、『精選された教材』、『最小の努力で最大の効果』ということばに、学習者(そして消費者)は弱い。私見ではあるが、そういう教材で学んだ学習者は、申し訳ないのだが『弱い』し『脆い』のだ。コーパスを活用するなら、少なくとも、さまざまなコンコーダンスラインを教授者が用意するくらいにとどめておき、そこから先はグループ活動などで用例を検討し、その中から『発見』したものを定着させるために表現活動などに活用していく、など、『疑問』『仮説』『検証』『発見』『運用』『定着』といった、まどろっこしいプロセスを経ることが重要ではないかと思う。
コーパスを活用しなければならなくなった背景には、粗製濫造とも言える教材のソースにもあるのではないだろうか?名文や文学の代わりに、実用的な、コミュニケーションの役に立つ英文を、という傾向である。例えば『時事英語』といえば聞こえは良いが、どこの誰が書いたかも分からない、新聞の記事、インターネットの記事などを教材に用いようとすれば、本当にそこで用いられている言葉の選択、wordingや文体など信頼が置けるかどうかが微妙となる。そのまま覚えたとしても、何が身につくのか怪しい英文を、情報処理の能力を高めると称してreading comprehensionやlistening comprehensionに用いているために、是が非でも覚えなければならない言語材料の情報を『コーパス』を頼りに別立てで持ってくる。たとえは悪いが、ジャンクフードを食べさせておいて、ビタミンやミネラルをサプルメントで補給するような食生活である。
食の世界では『スローフード』への回帰が叫ばれ、そのスローフードという概念さえもビジネスのターゲットとしてむしばまれ始めている。英語教育の世界で、スローフードといえるものは何だろうか?英語教室の原点、英語教材の原点、英語教師、そして英語学習者の原点を確認しておかなければ、『コーパス』をいくら活用したところで、漫画『ドラえもん』ででてくる「のび太」のような学習者を大量に生むだけではないのだろうか?少なくとも『キテレツ大百科』のキテレツ君レベルになってもらわないと困るのである。