英語が出来るとはどういうことなのだろうか?

『英語が使える日本人』フォーラム行ってきました。副題は「教室英語から世界で使える英語へ」
文科省主催は変わらないのに、壇上には「日の丸」が。昨日のSELHiとは気合いの入り方の違うオープニング。なんのことはない、中山文科相が来ているのである。
午前中の米原高校の授業は、噂に違わぬ充実したものであった。陳腐な形容であるが、生徒がのびのび生き生きしていた。生徒を実際に壇上に上げての授業は、今では稀になっているので、今日のビデオとか、DVDとかを広く全国に知らしめていって欲しいと思う。担当者の山岡先生とお約束の名刺交換をした際にも、「私はライティングは素人なので、専門的見地からアドバイスして欲しい」という謙虚さ。第一期指定校は、指定以前に「スーパー」であるところが多いのだが、米原はSELHiのひとつのモデルとして、後発の励みになるだろう。
午後の分科会1は、「アジア諸国における英語教育」。とりわけ、「韓国・中国・日本の高校生の英語力比較」に関してのGTECデータ比較が興味深かった。N先生から事前に簡単な情報は得ていたが、教師生徒の認知状況分析など改めて考えることが多かった。「台湾の英語教員養成」「タイに於ける英語教育」など新鮮な話題も提供してもらえたので吉。例によって質問しました。「累積学習時間」に関しての質問には吉田研作氏から丁寧な回答。授業に於ける英語使用の質的転換、タスクデザインの転換がどの程度現場に普及・浸透するかは、大きな課題として残っている。「小学校英語教育導入と教員養成制度のシステム整備」に関しては、あまり明確な回答はなく、「中学校の枠組みが変わらないとすれば」という前提条件には触れることはなかった。「宮崎大学大学院の現職研修で中学教諭が1年間でTOEICのスコアを650から850へと伸ばしたという事例を見ると、これまでの日本の英語教育をきちんと受けていれば、intensiveなトレーニングで使えるレベルまで向上するとも解釈できるのでは」という意地悪な質問には、東洋英和女学院大の竹下裕子教授が、「以前は、慣れていないリスニングのスコアを伸ばすことで大幅な伸びが得られたが、近年、入学者のTOEICスコアはリスニングがリーディングを超えており、以前よりはスコアを伸ばしにくい状況である」とコメント。確かに「英語が使える日本人」と一口に言っても、高校卒業段階での英語力は10年前とは変わってきているわけである。
分科会2は「Common European Framework= CEF」に関して。コーディネータであるはずの大学教授が、きわめてルーズな時間管理、お粗末なプレゼン技術で、お目当ての金森強氏(愛媛大学教授)の話があまり聞けなかった。こういう進行管理のミスは勘弁して欲しい。Canadian Language Benchmarksなども考察の対象としている金森氏は「フィンランドの言語教育に関して」。参照枠であるCEFをどのように、カリキュラム、シラバス、評価、教員養成に取り込んでいるのか。これからの英語教育、英語教師を考えるヒントが満載。これだけで90分欲しかったくらいだ。知識ではあったのだがフィンランドの英語教育ではnative speaker teacherはいないということに改めて感嘆。フィンランドには英語塾とか英語学校はなかったのだが、最近『イマージョン』をウリにする塾が出てきて流行っているのだとか。
金森氏は最後に、若林俊輔氏や田辺洋二氏の言を引き、「運用力とか到達目標とかだけではない、英語教育の意義・価値や教育観を考えることが大切ではないか」という趣旨のコメントを残していった。今後、目を離せない研究者の一人である。