年度末雑感

昨日のブログで韓国とのTOEFLスコアの比較などを持ち出したが、カリキュラムなどの教育制度面やテストのスコアだけの比較考察では見えない部分に少し考えをめぐらせてみたい。(考えてばっかりだと疲れるけど…。)
『英語展望 2000年夏号』(ELEC)で、緑川日出子氏(昭和女子大学教授)が「韓国の英語教育視察レポート」を発表してからもう5年近くが経過し、この間にもさらに教育課程や教員養成の制度改革がなされている。
そこで指摘されていた、教員の自助努力だけではどうにもならない重要な要素をいくつか指摘する。
まず、教育予算。
1999年当時の国家予算に占める教育予算が17.1%。そのうち1/2を地方財源に充当。経済開発、国防予算の次に教育が重視されている。(これは1997年のIMF合意以降における経済構造改革など教育だけでは語れない大きな背景をかかえている)
次にカリキュラム・評価方法の開発。
韓国カリキュラム・評価院(KICE)には当時で91名の研究員がおり、その全てが、それぞれの専門分野での博士号取得者であって、専門的立場から教育改善に取り組んでいる。(カリキュラム開発に関しては、外国語教育に冷めているともいわれるアメリカ合衆(州)国でも、1996年のSFLLを受けて、諸州で独自の取り組みをしている。インディアナ州のA Guide for Implementing Inidiana Academic Standards(2000)では研究者とともに、30名の現場教師が作成に深く携わっている。現場教員の関わり方も国によって大きく異なることはデータの考察時に頭の隅に置いておかねばならないだろう)
さらに行政担当の専門性。
教育部で、国の教育行政に関わる高官が教育関連の博士号を持つ教育のエキスパートであったり、実務担当者は元教師であるといった、教育の知見が政策に生かされて行くシステムが、何かといえばすぐに中教審など、外郭の諮問機関を作る日本と大きく異なる。
このような、枠組そのものの彼我の相違に加え、就職・進学にまつわる一般人の意識にも相当の違いがある。
ある、日本人留学生の目を通した韓国の教育事情が↓のブログに紹介されている。
http://blog.goo.ne.jp/korea1002japan/e/86902e7e72a59fba923bc6be8757fb87
あくまでも、一個人のフィルターを通じたレポートであるが、その分一般人の現実感覚でとらえられる「実感」とか「切実さ」が伴っているように感じられた。上述の緑川レポートや、先日のフォーラムでの研究成果などとすりあわせていくことで、より問題の核心に迫れるのだろうと思っている。
何のために英語(外国語)を学ぶのか?身につけるのか?
新年度も、地道に問いかけていきたい。
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