入り口と出口と

前回告知した、2月の広島大学で行われる「セミナー」ではお題とテクストというライティングの根本に立ち返ることを考えています。「テスト」を離れてライティング課題は成立するか、という問い直しでもあります。大学入試の出題に関しては拙ブログでしつこく取り上げ、指摘、批評、批判してきました。高校入試の出題も幾つかは取り上げています。

  • 「お題とテクスト」ってどういうこと?

と思う方が多いかもしれません。
例えば、こちらの千葉県の公立高校入試の出題。
http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/15/cba/cba1/cba-en/en_5.html
過去ログでは、ここで取り上げ批判していますので、もしセミナーに参加しようという方は、面倒でも目を通しておいてください。

Is silence golden?
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20150214

その前年の出題はこちら。
http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/14/cba/cba1/cba-en/en_5.html
拙ブログでは、 http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20140305 で取り上げています。 このエントリーは、Wait your turn というタイトルの英語表現の適否を気にして検索している人が多かったようですが、今では(でも?)適切な英語表現ですから。本題の方を是非お読みください。


埼玉県の2017年の出題がこちら。嗚呼…。
http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/17/stm/stm-en/en_14.html
Which do you like to do in your free time, stay at home or go out?
この文が英語の文法語法として自然かどうか今は不問としておくが、free time がいつ、どのくらいあるのかによって、答えは変わるだろうとは思わないらしい。
この前の設問がALTや留学生を交えた「休日の過ごし方の文化間比較」とでもいう対話文や読解問題なら、そことの関連で答えようもあるだろうけれど、「24時間の自由時間があったら?」「48時間では?」「一週間では?」と異なるお題を立てて、自分の最初の問を揺すぶって初めて、落とし所が見えるもの。
埼玉県の2016年はもっと悩ましい。 http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/16/stm/stm-en/en_12.html
問いは、 Which month do you like the best? しかも、その「理由」を書かなければならないらしい。 何が問題か、なかなか理解してもらえませんが、拙ブログのこのエントリーの最後の方と、「本日のBGM」を是非。

好きこそ、もののあはれ
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20141030

東京都は近年、高校入試の一連の設問の中で、ライティングをさせる形式。 2015年のこの出題での途中の「地図」の問題は、見ようによっては、神戸大の2016年の出題に似ている。 http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/15/tokyo/tko/tko-en/en_5.html
拙ブログでは次のエントリーで神戸大の出題を取り上げています(冒頭の写真と最後の本文)。

Scary Monsters (and Super Chickens)
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20160228

東京都の高校入試問題2015年の地図がこちら。
http://www.tokyo-np.co.jp/k-shiken/15/tokyo/tko/tko-en/en_6.html


大学入試のお題に話を戻すと、一橋大の2017年の3番も悩ましい。

Your friend always stays at home alone, watching television or playing games. She/he never goes outside to do anything or meet anyone, so you are worried about her/him. Write your friend a letter advising her/him about what she/he should do.

このお題を、埼玉県公立高校入試の Which do you like to do in your free time, stay at home or go out? と合わせ鏡で吟味するのも面白いけど、まずは、このような「シナリオベース」のお題の「もっともらしさ設定」の是非、適否を考えましょう。これは、何も日本のライティングテストだけの問題ではないから。
この年の一橋大は恒例の「三題から一題選択」の選択肢でお題設定。ただ、その選択肢で「誰に対して書く手紙なのか?」のバランスには「?」。

選択肢の1は三年おつきあいしている彼氏/彼女。2は自分の利用した航空会社の社長。3は引きこもり(?)の友人。フォーマル/インフォーマルの差がかなりある。
さらに、今問題視している3番の「友人」はいつからの友人で、いつから引きこもっているのか?letter というが、TVとゲームばかりやっている引きこもりの友人に郵便は読んでもらえるのか?e-mail にするのか?ゲームはスマホなのか?ネットには接続しているのか?「いつも家にいてTV見てゲームして、外出して何もせず人とも会わない」という状況を私はいったいどのような手段で把握しているのか?などという疑問が続出する。

昨夏の大阪の英授研だったか、根岸雅史先生にもお尋ねした際に根岸さんは「嫌いじゃないですよ」と回答してくれたのだが、「もっともらしい状況設定を工夫する」ことが「現実に照らして矛盾だらけの状況設定」だったり、「嘘をごまかすためにさらなる嘘をつく」ことになっては本末転倒だろう。

この前年の一橋大の出題は(恐らく一部で話題となったであろう)全て、写真と絵が与えられた三択。しかもお題の指示文 (write ... about) を読む限り、「描写」や「物語」とは限らないので更に悩ましい。 拙ブログではこちらで詳述。

Witness
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20160305

ところで、この本に目を通したことがある英語教員ってどのくらいいますかね?

Beyond the Five-Paragraph Essay Kimberly Hill Campbell http://www.amazon.co.jp/dp/1571108521/ref=cm_sw_r_tw_dp_288Ctb1DJ51XH

刊行から5年以上経つのですが、大修館の『英語教育』でどなたかが書評で扱ったことがあったでしょうか?

「テクスト」という部分に関しても、相変わらず、5項目構成のテンプレートで「意見文」を書かせる指導が広く見られますが、これって、Five-paragraph essays 指導の歪んだ移入の「成果」だと思いますよ。Five-Paragraph Essay と言えば、聞こえはいいですけれど、巷で目にする中高生向けの指導って、5パラに相当する300語以上の分量を確保してないでしょ?60 語で理由二つ以上じゃ、「理由付け」や「論証」が深まるわけがないもの。
「主体的で深い思考」とかどこの世界の話?ってことですよ。
そう考えたら(限定条件ね)、2017 年の神戸大の最後の「お題」は要再考です。 拙ブログではここで取り上げています。

制服の胸のボタンを、下級生たちに…
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20170302

なぜ、60語程度の英文にそこまで求め(ら)るのかな?
Five-Paragraph Essayに関しては、上述の本に書いてあるこの問いかけが雄弁。

Love it or hate it, the five-paragraph essay is perhaps the most frequently taught form of writing in classrooms of yesterday and today. But have you ever actually seen five-paragraph essays outside of school walls? Have you ever found it in business writing, journalism, nonfiction, or any other genres that exist in the real world?

理由付けを複数想定しておくことは、反論に対応するためには確かに有益ですよ。
でも、字数制限で、60語とか80語とかの制約がある中では、スケルトンみたいに、理由を列挙してその後は何も言わないという無責任なことはしないで、最も強力な理由一つに絞って「言い切る」のが「説得」とか「論証」ということなのでは?
ということで、私は「(受験界隈でよく言われる)自由英作文」にあたっては、60 語〜80語とかまでしか採点する余裕がないなら、 貧弱なお題設定で「意見文」を書かせるのではなく、紋切り型でいいので、たとえば、「賛成」、「反対」、「どちらとも言えない」の3つの和文英訳を用意しておけば十分だと主張し続けているのです。

別に意見文じゃなくてもいいんですよ。英語力にも、ライティング力にもいろいろあるのだから。
予備校が余り重視していない「お茶の水女子大」では十年以上もうずっと日本語の文章を与えて、英語で「説明」を課す出題ですよ。潔し。2017 年は、この新聞の投書をもとにした出題でした。

女の気持ち:バイリンガル 千葉県印西市・川崎ちえ(主婦・66歳) - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20160725/ddm/013/070/053000c

出題に当たって投書の第3段落を一部カットして改変しているけれど、趣旨は伝わるでしょう。設問は次の二つ。

設問1 筆者は初め、孫について何を疑問に思い、どのような心配をしていましたか。英語で説明しなさい。
設問2 筆者がこの先楽しみにしていることは何か、英語で説明しなさい。

これで十分では?技能統合を謳うなら東京外国語大学の英語のレクチャーの聴解を課して、要約と意見論述を求める出題に、主題を踏まえて情報の大きな欠落や不足なく英文が書けるか、を診たいのなら、お茶の水女子大の日本語→英語で説明という出題に学んでは?というのも、近年主張し続けていることです。

高大接続での「外部試験」で「ライティング」が注目されるのは、良いことなのかもしれませんが、今まで以上に、テスト対策の「ギミック」ばかりが蔓延するのは勘弁して欲しいですね。
英語教育は「ことば」の教育のはずですから。大掛かりなテストに依存しなくたって、教室で「学び」は成立するはずなんですよ。

本日のBGM: More Than I Can Say (細野晴臣)

the street hidden under the snow

新しい年、2018年を迎えました。
前回からずいぶんと更新が開きました。USキーボードになかなか慣れないのもありますが、多分に多忙のせいです。
12月初頭の修学旅行の引率のため、高2だけ試験が早く、試験の準備と並行して高1、高3の授業も行い、修学旅行中に行われる、高1、高3の分の試験も、修学旅行前に作らなければならず(毎回3学年6種類作成してますから)、引率後に代休とは名ばかりの採点天国と成績処理が待っていて、学期末の三者懇談と終業式という、怒濤の1ヶ月が終わろうかという段になって、私事で立て続けにバタバタとしていて、年末恒例の「日本ロウイング協会」の忘年会にも出席できず、原稿と格闘していました。
「命」というものをあらためて考えました。

2017年を振り返ると、心身ともに疲弊していた2016年の終盤から2017年初頭にかけての約3ヶ月をよく生き延びたと思います。
本業は低調ではありましたが、公式戦にも久々に参加することができ、来年度への布石は打てたかなと。コーチとしての目と腕は錆びつかせないように心がけています。

生業では、授業は遅々とした、緩慢でじれったい歩み。いつものことですが、今年の1年生にはいろいろと気付かされることがあります。ありがたいことです。
例年との最大の違いは、「小学校英語」との接点でしょうか。
7月に酒井志延先生からの依頼で、「文字指導」に関わるセミナーを担当したことを契機に、小学校英語の学会にも参加しました。ここでの新たな出会いは、私の「文字指導」に対するアプローチを大きく揺すぶり、現在の自分の取り組みに影響を与えています。
11月には、久々に「達人セミナー」で講座を持ちました。広島の胡子美由紀先生とのコラボでしたが、私は無理を言って「文字指導」をテーマとさせていただきました。種は蒔けたと思っています。
修学旅行では、私の担任する進学クラスの生徒には「大学等の進路希望実現に資する班別自主研修」を求めているのですが、そのうちの1つの班が「明海大学」の見学を希望していたので、大津由紀雄先生に打診したところ、大津先生自ら案内していただけるという得難い経験をさせていただきました。深謝。
現在、生業の英語教育関連で2018年の新たな動きとしては、以下の2つが分かっています。

2018年2月11日(日・祝)
平成29年度全国英語教育学会・小学校英語教育学会第3回英語教育セミナー
広島大学教育学部(東広島キャンパス)K104講義室(広島県東広島市)。
概要はこちらの公式サイトのセミナーのページで。
http://www.jasele.jp/seminar_2017_3/

プログラムはこちらのリンク先から。
(http://www.jasele.jp/wp-content/uploads/20180211JASELE_JES_Seminar.pdf)
小学校英語教育学会との共催ということで、基調講演と私以外のセミナーは「小学校英語」色が強いのですが、私のセミナーは主として「中学校・高等学校でのライティング指導」に関わるものになります。『パラグラフ・ライティング指導入門』(大修館書店)を既にお読みの方も、まだ読まれていない方も、このテーマ、分野に関心の強い方のご参加をお待ちしております。「まだ読んでいないし、読む気などサラサラない」という方は、セミナーに来られても(お互いに)面白くないでしょうから、ご遠慮いただくのが良いかと思います。
以下、転載。

セミナー②『体を表わし得る名とは?:ライティング課題における「お題」と「テクスト」を見直したい』

講師  松井孝志(山口県鴻城高等学校)
「あなたが一番好きな季節はいつですか?好きな理由を二つあげて英語で書きなさい。」というライティング課題の問題点は何でしょうか?このお題が「前提」としている「良い作文」「好ましい作文」の要件とは何でしょうか?この課題は和文英訳よりも優れているでしょうか?教科書や教材、高校&大学入試、所謂「外部試験」も横目で見つつ、「テクストタイプ」の考察も含め、「テクスト」そのものを見直すセミナーにしたいと思っています。

もう一つは、もっと先の夏のイベントです。
外国語教育メディア学会 (LET) の第58回全国大会のパネルディスカッションで登壇します。
中等教育現場を担う者は私だけという陣容ですが、現場代表としての最大公約数的な発言に終始しないように、さらには、「お前じゃなく、阿部公彦先生を呼べば良かったのに…」と言われないように、準備したいと思います。ただ、こういった「…しないように」というマイナスの目標ほど達成するのが難しいものもあまりないので、「その時通り」で、化学反応に期待します。

外国語教育メディア学会(LET)第58回全国大会
大会会場:千里ライフサイエンスセンター (大阪府豊中市)
日時:2018年8月7日(火)~9日(木)
大会テーマ:外国語教育における4技能評価の再考
<Reconsidering Four-skill Assessment of Foreign Language Proficiency>

8月7日
講演:石川慎一郎先生(神戸大学)
シンポジウム:続報をお待ちください

8月8日
講演:荘島宏二郎先生(大学入試センター)
講演:野口ジュディー先生(神戸学院大学名誉教授)

8月9日
パネルディスカッション:柳瀬陽介先生(広島大学)・亘理陽一先生(静岡大学)・寺沢拓敬先生(関西学院大学)・松井孝志先生(山口県鴻城高等学校)

公式サイトはこちら(建設中)
http://www.j-let.org/let2018/page_20171216120034

新春初投稿はこんなところで。

本日のBGM: Goose Snow Cone (Aimee Mann)

35

しばらく更新できずにいましたが、ここ数年使っていたMBPが故障して自宅での作業が滞っていました。ターゲットモードでも認識できないので、データのサルベージができるかどうか地元の専門家への依頼になるでしょうね。

ここ数年はクラウドで「現在進行形」のモノを扱っていたので、生業の実務は職場の窓機で、教室&自宅ではiPadがあるのでそれほどの支障は生じていませんが、従来型のプロバイダーを通して送受信される「メール」環境を、新しく入手した旧型のMBP(変な物言いですが、ターゲットモードでFirewire接続できるホストとしての機種が必要だったので旧型なのです)へ移行するのに四苦八苦しました。プロバイダーはいまだにniftyを使っていて今どきpopじゃないPOPサーバー。メールの送受信ではSMTP 認証に一本化で、しかもIMAPは有料のオプション扱いなので、iCloudメールの送受信でトラブり、SMTP 認証でトラブりで、電話サポート。mac OSでの最新アプリには対応していないので、操作手順などはわからず。プロバイダー側でできることとしてブロックを解除してもらって、再設定。問題はなくなったはずが、認証方式の不具合でログインできず。「あとは林檎さんへ」ということでしたのでお礼を言って電話を切り、結局は自力で解決しましたとさ。

ここひと月は、本当に怒濤の日々、波乱万丈でした。
本業のロウイング(漕艇)では先週の新人戦。久しぶりに公式戦に出場できたことが大きいですかね。中国大会には進めませんでしたが、それでも一歩前進。後ろ向きで前に進んでいる競技ではありますけど。

プライベートでは、もっと大きなイベントもありました。10月初旬の博多での「原田知世様デビュー35周年記念ライブツアー」。妻と二人でお祝いに行ってきました。妻と二人で見るのは広島での朗読会 (with 伊藤ゴロー) の on-doc 以来。博多でホールのライブというのもpupa を見に来て以来です。広島の新しいホールも気にはなっていたのですが、妻と二人なのでアクセスも考慮し、第1希望:博多、第2希望:広島、第3希望:京都で申し込んで、見事第1希望でチケットを入手。4時開場、4時半開演というスケジュールなので、会場から徒歩で行けるお寿司屋さんを予約し、遅めの昼食を済ませ、近くの市場を覗いてから会場へ。かなり前の方の席で真ん中の通路からの2席。通路側を妻に。客層は私と同世代か、ちょい上位の男性が多いわけですので、前の人の頭があると見難いでしょうから、と思ったのですが、前の席の人もきっと通路側にちょっと顔をずらして見るんでしょうね。
私がアーチストとしてharatomo様を聴いているのは1992年の Garden以降なので、アイドル時代には見ていませんが、これまでに私が見たharatomo様のどのライブよりも表情が豊かでした。眼福。サイリウム振りながら泣きっ放しの私に妻は苦笑しながらも「男性が皆幸せそうな顔してたね」と。幾つになっても「時かけ」させてしまう笑顔に感謝。
今回のツアーもこの博多からは10月なので、「もし歌わなかったらどうしよう?」と思いながらも、しっかり「トリコロール」を配して出かけましたとさ。

ツアーもファイナルの東京が残っていますので、詳しいことはその後ででも。
2月には WOWOW での放送も決まったようです。

http://www.wowow.co.jp/music/tomoyo/

とにかく、35周年、おめでとうございます。

さて、
話は変わって生業の英語教育へ。
私はよく、教科書や学校採択教材、市販教材やテストの文章が「エイブン」レベルで書かれているのに、それを修正せず、その「エイブン」を元にして音読やら暗唱やらを課したりする授業や活動を批判しています。そこで学ぶ者は一体、いつ、つながりとまとまりの適切な英文と出会うのかを教えてほしいです。

その一方で、数少ない(?)教科書や教材で提示される「適切に書かれたつながりやまとまりを備えた良質の英文」なのに、その表面をなぞったような読みと理解の結果を「再話(リテリング)」と称して、お粗末な「エイブン」に変換し残す活動も、本当に再話と言えるのか、要再考だろうと思っています。

「訳読」を排したのは結構ですが、そのテクスト(ことば)を「本当に読めているのか?」を顧みることのない活動に意味・意義はありますか?「本当に読む価値のある英文なのか?」「消化吸収する価値のある英語表現なのか?」の吟味を経ずに、どんな「インプット」が得られると期待できるのでしょうか?

「模試のやりっ放しはダメ」などと言って、復習で何度も黙読や音読させたりする人は、この過去ログにある模試の第6問の「英文」を読んでみるといいですよ。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20171012

夏の英授研で見た授業研究で使われていた「教科書」の英語の扱いも以前取り上げましたが、あらためて「原典」を読んでみると、教科書のイントロで摘み食いしたようにまとめている「書き換え方」の問題でもあることがよくわかります。 そして、そちらの方が大きな問題かもしれません。

過去ログはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20170815

原典とされる “I am Malala” から 私がずっと疑問に思っている、「 “steps” とは一体どこにあるものなのか?」を確かめるために、長文を抜粋引用。

I Am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and was Shot by the Taliban


I Am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and was Shot by the Taliban
Malala Yousafzai & Christina Lamb. 2014. Weidenfeld & Nicolson

The day when everything changed was Tuesday, 9 0ctober 2012. It wasn't the best of days to start with, as it was the middle of school exams, though as a bookish girl I didn't mind them as much as some of my classmates.

That morning we arrived in the narrow mud lane off Haji Baba Road in our usual procession of brightly painted rickshaws sputtering diesel fumes, each one crammed with five or six girls. Since the time of the Taliban our school has had no sign and the ornamented brass door in a white wall across from the woodcutter's yard gives no hint of what lies beyond.

For us girls that doorway was like a magical entrance to our own special world. As we skipped through, we cast off our headscarves like winds puffing away clouds to make way for the sun then ran helter-skelter up the steps. At the top of the steps was an open courtyard with doors to all the classrooms. We dumped our backpacks in our rooms then gathered for morning assembly under the sky, our backs to the mountains as we stood to attention. One girl commanded, "Assaan bash!” or "Stand at ease!" and we clicked our heels and responded, “Allah." Then she said, "Hoo she yar!" or "Attention!" and we clicked our heels again.
"Allah."

The school was founded by my father before I was born, and on the wall above us KHUSHAL SCHOOL was painted proudly in red and white letters. We went to school six mornings a week, and as I was a fifteen-year-old in Year 9, my classes were spent chanting chemical equations or studying Urdu grammar, writing stories in English with morals like "Haste makes waste" or drawing diagrams of blood circulation---most of my classmates wanted to be doctors. It's hard to imagine that anyone would see that as a threat. Yet, outside the door to the school lay not only the noise and craziness of Mingora, the main city of Swat, but also those like the Taliban who think girls should not go to school.

That morning had begun like any other, though a little later than usual. It was exam time, so school started at nine instead of eight, which was good, as I don't like getting up and can sleep through the crows of the cocks and the prayer calls of the muezzin. First my famer would try to rouse me. “Time to get up, Jani Mun,” he would say. This means “soulmate" in Persian, and he always called me that at the start of the day. "A few more minutes, Aba, please,” I'd beg, then burrow deeper under the quilt. Then my mother would come. "Pisho," she would call. This means "cat" and is her name for me. At this point I'd realize the time and shout, "Bhabi, I'm late!” In our culture, every man is your "brother'' and every woman your “sister." That's how we think of each other. When my father first brought his wife to school, all the teachers referred to her as “my brother's wife," or bhabi. That's how it stayed from then on. We all call her bhabi now.

I slept in the long room at the front of our house, and the only furniture was a bed and a cabinet which I had bought with some of the money I had been given as an award for campaigning for peace in our valley and the right for girls to go to school. On some shelves were all the gold-colored plastic cups and trophies I had won for coming first in my class. Only a few times had I not come top---each time when I was beaten by my class rival Malka-e-Noor. I was determined it would not happen again.

The school was not far from my home and I used to walk, but since the start of last year I had been going with other girls by bus. It was a journey of just five minutes along the stinky stream, past the giant billboard for Dr. Humayun's Hair Transplant Institute where we joked that one of our bald male teachers must have gone when he suddenly started to sprout hair. I liked the bus because I didn't get as sweaty as when I walked, and I could chat with my friends and gossip with Usman All, the driver, who we called Bhai Jan, or "Brother." He made us all laugh with his crazy stories.

I had started taking the bus because my mother was scared of me walking on my own. We had been getting threats all year. Some were in the newspapers, some were notes or messages passed on by people. My mother was worried about me, but the Taliban had never come for a girl and I was more concerned they would target my father, as he was always speaking out against them. His close friend and fellow campaigner Zahid Khan had been shot in the face in August on his way to prayers and I knew everyone was telling my father, "Take care, you'll be next."

Our street could not be reached by car, so coming home I would get off the bus on the road below by the stream and go through a barred iron gate and up a flight of steps. I thought if anyone attacked me it would be on those steps. Like my father I've always been a daydreamer, and sometimes in lessons my mind would drift and I'd imagine that on the way home a terrorist might jump out and shoot me on those steps. I wondered what I would do. Maybe I'd take off my shoes and hit him, but then I'd think if I did that there would be no difference between me and a terrorist. It would be better to plead, “OK, shoot me, but first listen to me. What you are doing is wrong. I'm not against you personally, I Just want every girl to go to school."

I wasn't scared, but I had started making sure the gate was locked at night and asking God what happens when you die. I told my best friend Moniba everything - We'd lived on the same street when we were little and been friends since we were toddlers and we shared everything, Justin Bieber songs and Twilight movies, the best face-lightening creams. Her dream was to be a fashion designer although she knew her family would
never agree to it. So she told everyone she wanted to be a doctor. It’s hard for girls in our society to be anything other than teachers or doctors if they can work at all. I was different-I never hid my desire when I changed from wanting to be a doctor to wanting to be an inventor or a politician. Moniba always knew if something was wrong.-Don't wony,- I told her. The Taliban have never come for a small girl.”

When our bus was called, we ran down the steps. The other girls all covered their heads before emerging from the door and climbing up into the back. The bus was actually what we call a dyno, a white Toyota Town Ace truck with three parallel benches, one along either side and one in the middle. It was cramped with twenty girls and my teachers. I was sitting on the left between Moniba and a girl from the year below called Shazia Ramzan, holding our exam folders to our chests and our school bags under our feet.

After that it is all a bit hazy. I remember that inside the dyna was hot and sticky. The cooler days were late coming and only the faraway mountains of the Hindu Kush had a frosting of snow. The back where we sat had no windows, just thick plastic sheeting at the sides which napped and was too yellowed and dusty to see through. All we could see was a little stamp of open sky out of the back and glimpses of the sun, at that time of day a yellow orb floating in the dust that streamed over everything. I remember that the bus turned right off the main mad at the army checkpoint as always and rounded the corner past the deserted cricket ground. I don't remember any more.

こうして、読んでくるからこそ、彼女の「日常」生活が理解でき、ここでの引用の第3段落の記述・描写があるからこそ、"steps" の絵が描け、彼女たちの思いがわかるるのだと思います。さらに、このあとに続くことになる凄惨なテロの描写とのコントラストをくっきりさせるためにも、細かな風景描写、情景描写は必要不可欠なのだと思いますよ。
でも、ここまでで既に英文は約1400語。もう十分にレッスン一つ分の分量です。

結局、「テクスト」として何を読ませるのか、という根本が問われているのだという認識が作り手にも、授業者にもないことが問題かと。話題を振るだけのために、「手記」を使っているだけで、本文はといえば「…について」の文章だけを延々と読ませているわけです。それなのに、読後に「意見」を求めることには大いに問題があると思っています。

いつもの繰り返しになりますが、「読んでいるときくらい、読みに集中したほうがいい」ですよ。

本日のBGM: ときめきのアクシデント (原田知世)

文字指導における「筆記具」「補助具」の役割

私は英語の文字指導について、とりわけhandwritingに関して色々なところで発言をしていますが、とかく「文字指導オタク」のような、「特異な人」として受容されがちなことに常々疑問を持っています。
先頃公開された、小学校で教科化されることとなった「英語」の新教材での「文字」や「四線」などに注目が集まる中、私がかねてより主張している、Sassoon系のフォントに見られるような「Ball & Stickではない、真ん中のふっくらした文字」、4:5:4とか、5:9:6などの比率となる「真ん中の間隔が広い四線」を指導に取り入れたいという声も日に日に増しています。
ただ、私がフォントや四線以上に大事だと思っているのが、姿勢とグリップ(ペンホールド;筆記具の持ち方)です。欧文書体は、彫刻など「平板を削る;彫る」ことに始まり、平筆とペンを使うことで発達してきたとも言えるので、ペンの扱いはフォントや文字のプロポーションを決定的に左右するものだと思っていますから、機会ある限り、その重要性を指摘していくつもりです。
来月にも私が担当する「文字指導セミナー」がありますが、その際に、「筆記具」や「補助具」も含めて、実物を見せられるように、「とりあえずこのバッグを持っていけば…」という一式を整備中ですが、現時点での様子を写真に撮ったのでご紹介。
「文字指導」とりわけ、handwritingの指導に興味関心のある方、疑問点・不明な点がある方は、是非、セミナーへご参加下さい。

「英語教育の達人セミナー」
事前申込みは不要です。
・日時: 11月25日(土) 10:00~16:00(受付は9:30より)
・場所: 広島クリスタルプラザ 10階 会議室 <広島駅から、路面電車で約15分。>
<詳しくはhttps://www.hotpepper.jp/strJ000028197/参照。同じビルです。ちなみに
 「敦煌」がランチ会場です>
・参加費: 一般4,000円(大学生1,000円、大学院生3,000円)
・内 容:
10:00~12:00  講座1「アクティブに学ぶ生徒が育つ英語授業マネ   
ジメント」
胡子美由紀(広島県・広島市立井口中学校)
12:00~14:00  ランチ(せっかくなので皆で食べに行きましょう!各自実費)
14:00~16:00  講座2「ライティング指導の第一歩は文字指導から ~handwriting指導の基礎基本~」 
           松井孝志(山口県鴻城高等学校.)

以下、ファイル名のリンクをクリックすると画像が表示されます。ファイル名横の↓をクリックすると画像ファイルのダウンロードが始まります。だいたい平均1メガくらいです。
※開いた画像が大きすぎるような場合には、タッチパネルでの縮小の操作をするなど、対応願います。PC対応ブラウザでご覧の際には、一度開いた画像を更に右クリックして、「新しいタブで画像を開く」などの操作をすると全体が見られる大きさで開くことがあるようです。

※追記:現在は「はてなブログ」の仕様により、これらの画像ファイルへのリンクは全て切れています。リンクをクリックしてもエラーになりますが、これは、「はてなダイアリー」と「はてなブログ」での引き継ぎがなされない「はてな」の側の問題ですので、ご了承ください。


[file:tmrowing:1.文字指導バッグ概観1.jpeg]
[file:tmrowing:2.文字指導バッグ大きさ.jpeg]
[file:tmrowing:3.文字指導バッグ上から見るか….jpeg]
[file:tmrowing:4.三角軸水性ハンドライター1.jpg]
[file:tmrowing:5.三角軸キャップ側.jpg]
[file:tmrowing:6.三角軸と丸軸_書き方鉛筆とハンドライター.jpeg]
[file:tmrowing:7.ペンスタンドを間仕切りに.jpeg]
[file:tmrowing:8.三角軸書き方鉛筆と丸軸ハンドライター2.jpg]
[file:tmrowing:9.グリップ加工万年筆1.jpg]
[file:tmrowing:10.グリップ加工万年筆2.jpg]
[file:tmrowing:11.筆記補助具金魚1.jpg]
[file:tmrowing:12. 筆記補助具2.jpg]
[file:tmrowing:13.筆記補助具装着状態.jpg]
[file:tmrowing:14.鉛筆削り1.jpg]
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[file:tmrowing:16.鉛筆削り3.jpg]
[file:tmrowing:17.ボードマーカー1.jpg]
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[file:tmrowing:19.ボードマーカー3.jpg]
[file:tmrowing:20.ボードマーカー4.jpg]
[file:tmrowing:21.マーカー消しのリフィルはそのままポーチへ.jpeg]
[file:tmrowing:22.お約束のBall&Stickネタ用ポーチ.jpeg]
[file:tmrowing:23. 鉛筆の芯は要注意.jpeg]
[file:tmrowing:24. 刺さる前に挿しておくバススポンジ.jpeg]
[file:tmrowing:25. バススポンジ厚み.jpeg]
[file:tmrowing:26. 無印大活躍.jpeg]
[file:tmrowing:27. ディスプレイ用足指パッド.jpeg]
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[file:tmrowing:46. Stabilo Easygraph vs Lyra Groove.jpeg]
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[file:tmrowing:48. 三角軸ラインナップ1.jpg]
[file:tmrowing:49. 三角軸ラインナップ 2.jpg]
[file:tmrowing:50. 三角軸ラインナップ 3.jpg]

本日のBGM: Peanut Butter & Jelly (Carnation)

心くねらせる甘いことば

実作を淡々と進めているうちに、中間試験の1週間前になり、作問祭りとなっています。
今回は前夜祭で盛り上がるパターンかな。個人的には、その他諸々のお祭りが続く1週間を過ごしていますが…。

高1は、「全国縦断リスニングテスト制覇の旅」企画で、北海道、青森を経て福島から石川へ。
私のリライトを読んだり聴いたりする時に何に気づくか、というところがこの活動の肝なわけですが、「つながり」と「まとまり」が何によって「担保」されているのかがわかるまでは、やはり「良質の英文」に触れ続け、それを生き直すことなのだろうと思います。

今風の教育ではとかく「気づきを促す」方向に教師の意識が向きがちですが、学習者の気づきは「それぞれ、それなり、そのうち」です。私がいつも引き合いに出す、某氏の歌の捩りじゃありませんが、

  • 大人たちはここで、「気づけ、気づけ」と言うが、オレはいやなのさ〜。

ということだってあるでしょうよ。

その一方で、「呟き」の方のタイムラインで目にしたあるやりとりを踏まえて、私はこう呟いていました。

文法書であれ、読書であれ「自分一人で気づく」ことを過信してはダメだと思います。近年、高校生の授業でやっている、辞書の用例からの抜き出し板書から。もし、これだけの「実例」に文法書や読書や実際の運用で触れるには、何をどれだけ読み、誰と英語でやりとりするか?ということになりますよね。
[file:tmrowing:2017even if .jpeg]
[file:tmrowing:2017even though.jpeg]
[file:tmrowing:2017in case.jpeg]
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ここで貼り付けた写真は、「白板のモノ」の例文です。

先でも中でも後でも、「文法」の整理には、親や教師、先輩など、自分よりその言語が分かっている人からのフィードバックで、自分の理解や産出の「訂正」「修正」「微調整」が欠かせません。それを自分でできるようになれば、「自立」「自律」ということになるのかもしれませんが、それは結構大変です。

これが私の振幅、「それぞれ、それなり」です。

高1の生徒も、「初めてのおつかい」ならぬ、「初めてのエイケン」を受けたりするわけですが、私だってリスニングテストの諸注意くらいは与えています。

第1部の「対話のターンを引き受けて、次にあなたは何というか?」という問題は、全体の配点こそ低いけれども、これこそがあなたの英語力を端的に表わす問題です。対話に乗っかって、その当事者として、選択肢を読む前に何を答えるか、何で応えるか、が自分の中からでてこないと。そのためには、「音声を保持&処理」できないとダメ。え?大変?いや、何のために、「対面リピート」やってるわけ?
第2部の「他人の対話を盗み聞きした揚げ句に、その理解を、別の誰かから問われる」などという活動を我々は日常ではしたことがない。テストで問えることの多くは現実のことばのやりとりとは異なる、『テストならでは』の状況設定。ただ、そこで出てくる「ことば」の世界よりも、より広い、豊かな現実を我々は生きているのだ、ということを忘れてはダメ。
第3部など、「モノローグ」でまとまった内容を聞き続けるという課題よりも、もっと長くて一方的な「時に、まとまっていない」話を学校では散々聞かされるものです。今やっている、「リスニング問題制覇の旅」のリライトはオリジナルより長くなって、時々200語を超えたりするけれど、それで「難しくて全然わからなくなった」とはならないのはなぜ?

高2の生徒にも、同様の注意は与えていますが、先日、その高2のある生徒が、日誌でこんな趣旨のことを書いていました(学級担任は、毎日、クラス全員の「日誌」をチェックするのですよ)。

今まで、授業でやってきたことを振り返ると、ちゃんと身につけていたら全然違うな、ということが改めてわかった。

ということで、その「気づき」の後から、あなたたちの「仕事」は始まるのですよ。そう「自分の仕事をちゃんとする」ことです。ロシア人を見習いましょう。

その高2は、「白板のモノ」も一段落。
現在は学級文庫の英語ネイティブ(子供用から大人用まで)用の複数の「図解」を横断的に眺め、その表現を吟味した上で、いいとこ取りの「四則演算」をしています。

今年も、

  • 「目の見えるしくみ」「耳の聞こえるしくみ」を150語程の英語で説明する。

という課題です。このブログの過去ログを見たり、先輩に聞いたりすれば、瞬殺ですけどね。

高3は、模試の解説に見切りをつけて、授業に戻りました。
よく「模試の受けっぱなしはダメ!」と言う先生がいますけれど、それだって、「復習する価値がある英文」であればこそですから。

先日の9月の「マーク模試」の、第3問の英文も微妙。

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[file:tmrowing:2017_9月第3問B2.jpeg]
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極め付けは、第6問の「英文」。
これはもし、書き下ろしのオリジナル英文だとしたら、ライターに注文をつけたいレベルです。いや、書いているのが、日本人ライターだろうと、英語ネイティブであろうとですよ。

こういう「英文」が課されるから、皆、まともに一文ずつ読んでいって、つながりに乗って、まとまりを味わう、というところまで行かないんでしょうね。そりゃ「段落の最初の一文だけ」をつなぎ合わせて分かったことにしたがるのも、無理ありません。

今回、この模試の事前・事後の指導をする教師のうち、何人が、この第6問の「長文」を一文ずつ吟味しているでしょうか?

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センター本試験でも若干見られた例に倣ったのか、第一段落でテンコ盛りで全体像を示し、残りの段落で詳述するというような展開を狙っているのでしょうけれど、第4段落からグダグダ。第5でショボショボ。最終第6段落はそれ言って終わってたら論証文にする意味がないでしょ!というシロモノ。教師の方は、せめて、however と in addition が何回でてくるか、だけでなく、段落のどこにどのように出てくるか、だけでも読み直して欲しいと思います。イラッと来るひとが多いと思いますけど、生徒はこれを「テストだから」読まされているわけです。それで英語の学力の有無を問われるだけでも大変なことなのに、オマケに「復讐、いや復習をしっかりやって、音読しろ」などとはとてもとても言えません。
ライターは真面目に英文書きましょうよ、ね。

さて、先日お伝えしていた「文字指導セミナー」の続報です。

11月25日(土曜日)
広島クリスタルプラザ (広島市中区中町;広島電鉄「袋町」駅より徒歩3分)
「英語教育の達人セミナー」、通称「達セミ」で、講師をします。

タイトル:「ライティング指導の第一歩は文字指導から」

私の講座は午後から(14:00くらいから2時間でしょうか)
内容は「文字指導を振り返り、試して、考える」2時間です。
教則本や四線ワークシート、筆記用具・補助具など、現時点で私が授業で使っているもの、お見せできるものはまとめて持参します。できれば関連する私のブログ記事くらいは事前に読んでおいて欲しいのですが、まあ、そうでない方も含めて「その時通り」「その場通り」で対応します。
あっ、「達人セミナー」は、「山口県英語教育フォーラム」とは違って、「有料」ですのでご注意を。4千円くらいでしたっけ?後日詳細をお伝えします。

最近の「ヨンギノー(試験)」の喧騒(喧伝?)で、私はしばらくこの「達人セミナー」からは距離を置いて過ごしていましたが、今回は広島の胡子美由紀先生からのたっての依頼でしたので、テーマが「文字指導」でもよければ、ということでお引き受けしました。
あっ、当然の如く、午前の講座は胡子先生のご担当です。
ご都合のつく方、広島へのアクセスの良い方、有料講座になりますが参加をご検討ください。

haratomo様、デビュー35周年福岡公演の振り返りは、また日を改めて。

本日の心のBGM: くちなしの丘(35周年記念ツアー弾き語りバージョン)/ 原田知世

お読みなさい

週末で文化祭も終わり、担任としての次の大きな行事は「修学旅行」。
海外などではなく、新幹線で東京方面です。なぜ、よりによって大学で4年、教員で21年いた東京へ…。
個人的には、引率より期末試験の方が大変です。高2の修学旅行のために、2学期の期末試験が早まり、高1、高3は授業をしつつ、高2のテスト問題を作り、高2が修学旅行にいっている間に、高1、高3は期末試験なので、結局、修学旅行に行く前に、高1、高3ともに試験は作っておかなければならないというスケジュールですから。どの科目も一人で担当しているため、毎回、3学年で6種類作っているので。同業の方の苦労がよく分かります。

先週も行事前とは言え、授業はあったので、その高1の授業で驚いたことをば。
「まさか?」というよりは、「またか!」とか「まだか…」というのが正直な感想でした。

高1の2学期の授業では、近年「全国縦断公立高校入試リスニング問題制覇の旅!」という企画を続けていて、その一コマです。
入試オリジナル問題の素材文を使った「導入」のあと、素材文では、「スカスカ」でつながりやまとまりが希薄な部分を私が加筆修正した英文を聞かせたり、読ませたりしています。
で、その際に、「ここは比較級の出番」「効かせどころ」と、比較級のポイントを話した際の一部生徒の反応が気になりました。
そこで、ちょっと時間をとって、

  • 中学校の時に、学校の授業や、高校入試前とかに通った塾の先生に、こういうような図で、tall < taller < tallest と教わってきた人?


home_homer_homest.jpeg 直

と訊いたら、4分の1くらいの生徒が手を挙げたのです。これが私の「またか&まだか」。

分母(母集団)がこの三人と決まっているのなら、Aは shortestで、 C はtallest になる。
AとBの比較では比較級 taller が表すのは網かけ部分だけであって、taller自体に『背が高い』というプラスの評価の意味合いがあるのではない。
この場合はただ、『背の高さで勝っている』ことを表すだけ。

と念を押し、「入院患者が、ICUから一般病棟へ移されただけでも、比較したらよくなっているので、betterな状態への変化、意識不明だった状態から意識が戻った程度の回復でも、The patient got better. と言うところが、比較級のポイント」という、私の授業の定番でしめくくり。

「比較」という概念と英語での表現形式は、「入試」が絡むととかく「解法のテクニック」と一緒に語られることが多いのが不幸だなぁ、と常々思っていますが、過去ログのこのあたりをしっかりと読んでおいて欲しいと切に願います。
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20121028
で示したリンク先の、
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20080529
にはこんなにコンパクトに書いています。

総じて比較という「概念」は、数量に置き換えて考えれば
• i. ある数量よりも多い・大きい
• ii. ある数量と全く同じ
• iii. ある数量よりも少ない・小さい
の3通りに分類することと言えるだろう。そして、英語の「比較級」というものは、i. かiii.を論じるために存在する形式と言ってよかろう。そうであるならば、「比較級の概念」を否定するということは、i.でもiii.でもなく、ii.が残る、と考えるのが原理原則を単純に考えるということになりはしないか。

これが私の考える「適度な一般化」ということです。

この比較級の扱い(というか取扱のミス)は過去ログでも、とある教師向けの概説書を取り上げて指摘していましたが、その後、この過去ログで取り上げた書籍では修正されたのでしょうか?

blue
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/20140714


さて、
呟きのtime line で四軒家忍先生が、「英語のo を下から書く人」に対する違和感を述べていたのですが、これ、教師でもやっている人いらっしゃいますね。何年か前に、地元の中学校の研究授業を見た際に、教師の板書でこれを見て、「ドキドキ」しました。

はじめにお断りしておきますが、欧文書体の手書きには唯一絶対の「筆順」「書き順」はないと考えて良いでしょう。ただ、個々の文字を書きやすい運筆は存在しますし、次の文字への連結 (= joins; joining) を考えた際により好ましい運筆は存在します。その意味では、「原理原則」はあると考えてもらった方がいいのです。

いつもいつもいつも、この方の引用ばかりで申し訳ないとは思いますが、日本ではこれほど英語教育に熱心なくせに、この方の本が殆ど読まれていないのですから、仕方ありません。

Rosemary Sassoon. 2006. Handwriting Problems in the Secondary School. Paul Chapman Publishing, London

Handwriting Problems in the Secondary School

Handwriting Problems in the Secondary School

ここでは、教育現場での長年の経験と、彼女の慧眼とに基づいた「問題」の認識とその分析、対処法がまとめられています。

Sassoon HP1.jpeg 直
Sassoon HP2.jpeg 直
Sassoon PW1.jpeg 直
Sassoon PW2.jpeg 直

四つ目のファイルだけ、写真も見えるようにしておきましたが、未読の方は、どのページにも、「知っておくべきこと」が見つかることでしょう。
「(小文字の) d」の指摘などは私でも「目から鱗」でしたから。
文字の「類型」に関しては、日本の小学校英語関連では、いまだに「大文字」から教えて、「小文字」へと移行し、「なぜ小文字のほうが上手く書けないのか?」なんてことをぼやいていたりしますけど、もっと「真面目」に、英語L1の文字指導の知見(の蓄積)から学ぶべきだと思いますよ。

大御所のAlfred Fairbankしかり。A Handwriting Manual (1975年版) では、次のように類型化しています。

Straight downstrokes (hill)
Upstrokes and diagonal joins (nun)
Horizontal strokes and joins (ton)
Clockwise curves (bhkmnpr)
Counter-clockwise curves (acdeglqtu)
Ellipses (o)
Angles (vow)
Pushed strokes (adf のentryや fgjs のexit)
Serifs (inu のexit)

ここで、o の類型が、円ではなく、楕円になっているところがミソ。

もう少し近年では、Nelsonのシリーズを支えてきた、Peter Smithしかり。
Peter Smith. 1993. New Nelson Cursive Copymasters Teacher’s manual, Nelson では、

Family 1: a c d e g o p are based on the oval, starting at ‘1 o’clock’ and moving anticlockwise.
Family 2: b h k m n p r are based on the bridge pattern, which should not be too wide.
Family 3: f I j l t z are based on vertical and/or horizontal straight lines.
Family 4: u and y are based on diagonals, while s is a special case with reverse direction curves.

という類型です。Family 1 で、o だけではなく、acdegp のボディ部分(カウンターなどと呼ばれることもあります)が circle ではなくovalであることに注目してほしいと思います。
この教師用指導書には、教室内評価の項目として、Construction of letters に次の観点が明示されています。(p.17)

a) Are the letters made with the correct movements?
b) Are all the letters except f I j t x made without lifting pencil from paper?
c) Are downsrokes vertical and parallel or sloping slightly to the right?
d) Do a b c d e g o p q have oval rather than rounded bodies?
e) Are the letters correct in shape and proportion?

d)の項目は「評価」の対象でもあります。
e) が最後に来ていることは、日本の指導者・研究者にもう少し注目されてしかるべきでは?

ということで、「目利き」の目にもいろいろあるわけですが、上述のSassoon本に関しては、書名の Secondary School という用語がミスリーディングかと思えるほどに、handwritingの指導に関わる、全ての教師が読むべき価値のある本だと思います。

できれば、本日の表題を、以下のセリフに置き換え、更に、『銀河鉄道999』のメーテルや女優のオードリー・ヘップバーンさんの吹き替えで有名な声優の池田昌子さんの声に脳内変換してお読み下さい。

  • ていうか、読めよ!

本日のBGM: The Audrey Hepburn Complex (PIZZICATO V)

I'm a man.

※ジョー・ジャクソンのアルバムタイトルみたいな題を付けていますが、性差別的な意図は全くありませんので、誤解無きよう。

2学期は学校行事も多く、変則的な時間割になることが多いのですが、実作は淡々と。
高3では「模試」の解説もしています。
と言っても、「解法の伝授」ではありません。

大学入試センター試験で「グラフ・図表」問題、などといわれる出題形式がありますが、まずはそこから。
グラフ・表などを盛り込んだ出題形式であっても「英文」を読むことが基本なので、「英文」と「エイブン」の見極めは勿論、「数量表現」「比例表現」「倍数・分数」「割合・比率」などを確認しています。
ここは、現任校の以前のカリキュラムや、前任校などでは、「ライティング」の指導の流れで、「説明文」の必須の課題として「書かせて」いたものです。僅か数年、十数年前のことですが隔世の感があります。

私の手書きメモを貼っておきますので、↓アイコンをクリックして下さい。

第4問A1.jpeg 直
第4問A2.jpeg 直

「ディスカッションもどき」問題では、選択肢を消して再読させ、自分で要約や言い換えをさせています。日本語でOKと言っていますが、5人に1人くらいは英語でチャレンジしています。(「もどき」という形容の背景は語ると長くなり、私のストレスも増しますので、過去ログをお読み下さい。)

第3問C1.jpeg 直
第3問C2.jpeg 直
第3問C3.jpeg 直

で、その後、選択肢を再読して、「真っ当な表現を選ぶ」というもの。結局「読解」問題というのは簡単ですが、英語力のある生徒ほど、選択肢で使われている英語表現、語法の「アラ」が気になるものです。で、「消去法」などが幅をきかせるのですね。

授業でコメントしたのは、「あくまでも『もどき』だから」ということと、「議論している個々の『固有名詞』の発音がわからないとイライラするから、『男子Aさん』、『女子Bさん』くらいでいいんじゃないの?」ということ。

これ、面白いのが、

司会者気取りのAoto (アオト?エイオウト?)の出すお題に、お調子者のOwenが2つアイデアを出したので、そのうちの1つ「専門スタッフ」を膨らませて、「専門オフィス」を欲しがるMia (ミア?ミーア?マイア?)の声は、自分で「専門スタッフがいればなぁ…」言っておきながら「事務所レベル」の話に広がりそうだと早々と切り捨てるOwenによってかき消されてしまう。そして、その後、Miaの発言機会は与えられず、最後に「総意」がまとまるはずの場面でも、Miaからは賛意が寄せられたかどうかわからないまま、この議論は終わっている。

という構成。
流石は「もどき」の出題を周到に分析して作られた模試だな、と思いますよ。

写真の手書きメモはLamy nexxで書いたもの。青インクはLamy のターコイズ。ニブはスタブの1.1mmに交換しています。

Lamy nexx1.jpeg 直
Lamy nexx 2.jpeg 直

模試の出題と解説で困るのが、「現代英語の語法に照らして、その出題形式で問うことに意味はあるか?」という設問。
今回の進研模試だと、これ。

第2問A1.jpeg 直
第2問A2.jpeg 直
第2問A3.jpeg 直

文法なのか、語法なのか、イディオムなのか、単なる語彙の知識プラスアルファを見たいのか、10題しか無いなかで欲張りすぎのようにも思います。受験対策では「第2問」などと呼ばれるカテゴリーのために膨大な練習問題を用意しているのでしょうね。

一番気になったのは、所謂「倒置」による、条件節相当の表現となるもの。「なぜ?」とその理屈や由来を問われても、専門家の間でも断定はできずに今日に至っているようなものですが、私は「疑問文由来」に与しています。それでも、この形式は formalな物言いなんだと思いますよ。文法所や辞書の「スピーチレベル」では、「格式体」とか「かたく」というような注記がつくところでしょう。

もっとも、「格式体」とか「かたく」というのは、何も「話し言葉では一切用いられない」ということを意味しません。「改まった場面で話す」ということは日常で多々ありますから。それでも、この程度のことで「倒置による条件節相当の表現」を使うかな、というところ。しかも、模試の解答解説には「スピーチレベル」の話は一切なし。

読解の文章中に出てくるのは普通のことなのでそこでの出題なら全く問題はないと思うのですが、これを「英文を完成する」という形式で問うことに意味があるか?ということです。

センター試験の第2問は見直しが求められてしかるべきであり、これでは「知識偏重」と言われても仕方ないでしょう。

もう一題は、出題の英文での、beyond description の使われ方に関する違和感。

確かにbeyond description とはよく使う表現だと思うのですが、その定型句の定義でさえ、description の関連語(つまりdescribe) は使わない工夫をするものでは?というのが私の語感であり実感です。

ケンブリッジのアプリ辞書から。ここでは、describe を使って定義しています。

beyond description_Cambridge.jpeg 直

ODEアプリ版。

beyond description_ODE.jpeg 直

こうなるのが普通というのが私の感覚です。

beyond を使った定型表現の例。コウビルドの米語英英和から。
こういうことばの選択にこそ知性が現れるかと。

beyond belief.jpeg 直
beyond doubt.jpeg 直
beyond measure.jpeg 直
beyond redemption.jpeg 直

第2問のBは整序作文。「並べ換え(替え)」問題。
なぜ、対話文にする必要があるのでしょう?
対話文にしたがために、ツッコミどころ満載。対話ってこれで終わっていいの?

第2問B.jpeg 直

最近登場した第2問のCの方は、改善ではなく即刻廃止すべきだと思っています。

第2問C1.jpeg 直
第2問C2.jpeg 直

対話文である必然もなく、組み合わせで、英語としてあり得ないものが選択肢になっているのです。
「8択」になるわけがない!
見にくいだけでなく、醜い問題。
こんな頭の使い方を「模試」として課されたり、さらにはその練習として課されていけば、言葉のセンスがどんどん劣化していくことでしょう。

という具合に「模試」を受験させる度に、その出題にストレスを感じます。以前は、その都度「模試」の出題を司る「編集長」にメールを出して照会していましたが、最近では徒労に終わることが分かっているので自分の授業の中で取り上げて注意を促しています。

例によって、授業に当たっての「教材研究」はたいてい手書きなのですが、最近、「文字指導」に関して「指導者の指導」での助言を求められることが多くなったこともあり、自分の「筆記用具」も万年筆のニブ(ペン先の金属部分)をスタブにすることにしました。欧文書体を身体で感じる「学び直し」ですかね。

Conklin word guage.jpeg 直
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お陰様で、何かとストレスの多い、模試の解説のための準備でも、文字通り「文字を書くストレス」は激減しました。スタブ様々です。

第3問B.jpeg 直

万年筆の胴軸の素材と形状、硬さ(柔らかさ)は指が胴軸に接する感触を左右するし、ホールド感はペンの長さと重さ、前後の重心配分バランスで随分変わります。そして、ペンそのものの重さと筆圧によって滑らかに動かし続けることができます。上手い下手はその後の話かな、と。

「小学校英語」に関連して、文科省からの新教材 “We can!” が話題となっているようですが、十数年、このブログなどで叫び続けてきたことも無駄ではなかったかな、という感想です。ただ、現場の指導者を指導する「有識者」や大学の先生方の「文字指導観」には「?」も多いので、まだまだ叫び続けないといけないと思っています。

今のところ、11月下旬に広島にて、「文字指導」関連でセミナー(ワークショップ?)を担当することが決まっています。有料で人数制限はあるかと思います。詳細が決まり次第、こちらでもアップします。

年明けの2月の某学会(私は会員ではないのですが)、では久々に生業の専門(自称)の「ライティング」でお話します。こちらは「文字指導」ではなく、中高現場での「ライティング」に特化したワークショップを担当する予定です。

本日はこの辺で。

本日のBGM: No Myth (Michael Penn)
www.youtube.com

なぜ Ball & Stick 体を使い続けるのか(その2)

最近は「自立した学習者」などという言葉を聞くと、「不易流行」という言葉を連想してしまいます。この写真は今から20年前の私の実践報告の抜粋。ここから数年間遡った実践を振り返ってまとめたものでした。最初の写真での「視座」の表明は今でもあまり変わらないかな。





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1997年の実践報告の2、3年前というと、当時何に影響されていたのかバレバレですね。

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これが出たのが1994年で、リチャード・スミスに勧められて読んでいたのでした。
ということで、「不易流行」なる言葉を反芻するわけです。


私は、読解系の教材研究ではノートに「手書き」をするので、ストレスが少ない筆記用具の存在は不可欠です。
10年ほど前に昔の「ペリカーノ」の鉄ニブを偶々入手し、万年筆の持つ癖と自分の持つ癖も分かってきて、新しいペンやインクも「いろいろ」試しているところです。

で、こちら。

  • Waterman Liaison Ebonite Orange

十数年の時を経て生まれ変わりました。
神戸の「ペン アンド メッセージ」の吉宗史博さんに「スタブ加工」(カリグラフィーで使うペンのように縦線が太め、横線が細めになるようにペン先を研ぐ加工)をしてもらいました。もともとはFニブ(細字)ですが、構造的にかなり「硬い」ので、なかなか思うように書けていませんでしたが、今回の加工で少し表情が出るようになったかな、という感じです。
これで、このリエゾンも普段使いのペンに復帰。喜ばしいことです。

さて、前回のエントリーに続いて、球&棒の第二弾。
今日は「手書き文字フォント」について考えてみます。

私の授業で用いる印刷媒体での基本フォントは和文は「ヒラギノ」か「メイリオ」。欧文は “Sassoon Primary Regular” となっています。(最近では、Between 3もよく使っています)

初学者や英語が苦手な学習者に配慮して、Ball & Stick体ではなく、「手書き風」のフォントを選んでいる英語の先生も多いとは思うのですが、その場合にComic Sans を選択していたりすると、ちょっと気になります。Sassoon Infant などのSassoon系のフォントと比べてもらうだけで、「風」の持つ意味を感じるのではないかと思います。


次期指導要領の先取り?先行実施?で、取り扱われるであろう小学校高学年での英語の文字指導。文科省が準備している新教材では四線の真ん中の間隔が広くなるらしい。ただ、間隔を1:1:1 ではなく1:2:1に近いくらいに拡げるという情報もあり、その「やり過ぎ」感に、ふと思いついたのでした。

1:2:1って音楽の五線譜の流用なのでは?まさか、真ん中の線を消しただけ、ってことはないですよ:ね?

私も四線を使って指導しますが、戦前から合理的配慮に基づいた指導をされていた先達に倣って4:5:4の四線で導入しています。
英国のネルソンのCopymasterの教則本だと3:4:3。マチェットが5:9:6くらいでしたかね。7:11:7という四線を薦めているものもあったはずです。でも、肝心なのは、「こういうプロポーションや字形じゃないとバツ」ではなく、個々の学習者に配慮したより適切な指導をするための工夫です。

現に、私の教室でも、高1の導入時には4:5:4ですが、2学期から5:9:6の四線も使っています。
5:9:6ってディセンダーの配分が絶妙ですよ。私がこれまで一緒に仕事をしてきた英語の先生の中で、「handwritingが綺麗だな」、と思った方たちの多くは、ディセンダーが長めでしたから、さもありなんという感じです。数字を足して20なのでエクセルでも作りやすいですし。


[file:tmrowing:596.pdf]

まあ、ネルソンの3:4:3も足して10で切りの良い数字なので、再評価されてしかるべきですけど。

1:2:1というかなり大胆な四線の間隔は、ArialとかHelveticaなどの印刷体のフォントでのプロポーションを、そのまま手書きの四線に移行した、という可能性を指摘してくれた先生もいらっしゃいました。確かに、それもあるでしょうか。

というのも、先日紹介した、今年度オーストラリア&ニュージーランドで使われるようになった、Tight-Text が、まさに「活字」のプロポーションから四線の間隔を移したものだったからです。

情報はこちらに、実例の画像つきですのでご確認下さい。

Australian School Fonts
Tight-Text
http://www.australianschoolfonts.com.au/

このオーストラリア&ニュージーランドでの「フォント」の採択と使用に関しては、当然「当事者」にも悩みや疑問はあるわけです。サイトの中に、FAQのページがあり、様々な情報が整理されています。(http://www.australianschoolfonts.com.au/faqs/)その中からいくつかを紹介します。


I'm a parent. What regional font style do I buy?

This is a very reasonable question because, since the adoption of the Australian National Curriculum, there has been a move away from the previously strictly-enforced use of an "official" regional style for all schools across each State. Generally it is now the case that individual schools can teach any style they choose provided it is one that culminates naturally in fully cursive handwriting – these are called "Foundation" styles and include all of the current Australian modern cursive styles (NSW, VIC, QLD, SA, TAS) as well as the NZ Basic Script style, the UK Sassoon style and also the D'Nealian style widely taught in the US. Note that the old "Ball and Stick" style (widely used prior to the mid-1980s) is not a Foundation style. The move away from the statewide use of their traditional style has been most noticeable in WA – in WA some schools are still using the VIC style (the previous official style) but other schools are using the SA style and some are using the NSW style. No matter what Australian State you are in, before you purchase fonts for home use with your child it would be wise to check with your child's school to see which particular style they have decided to use.

この中の一文に注目します。

  • Note that the old "Ball and Stick" style (widely used prior to the mid-1980s) is not a Foundation style.

「球&棒は、もはや基礎書体ではない」と断言しています。


次はこちら。

Why don't you have Sassoon handwriting fonts?

The Sassoon fonts are a proprietary design whose registered trademark and copyrights are wholly owned by Dr Rosemary Sassoon & Adrian Williams Design Ltd in the UK. The only official and authorised source for Sassoon handwriting fonts globally is their official UK website www.sassoonfont.co.uk It's not entirely clear whether the use of the Sassoon fonts is approved under the current Australian National Curriculum handwriting guidelines. Certainly there is no question that the Sassoon font is a "foundation" style but as far as we are aware the National Curriculum recommends that schools should use one of the five current Australian foundation styles ie NSW Foundation, QLD Modern Cursive (QCursive), SA Modern Cursive, VIC Modern Cursive or TAS Modern Cursive. For what it's worth, most people seem to think that the SA font is the Australian style that overall most closely resembles Sassoon.

大人の事情が色々あるのかもしれませんが、最後の一文で、本当に大事なことは何なのか、分かるというものです。

豪州でさえ、「基礎書体」と認めつつ、大っぴらに「公式フォント」とするのに躊躇しているのに対して、日本では、高等学校の「英語表現 I」の教科書のメインのフォントで、Sassoon Primayが採用されています。もう一度いいます、高校の検定教科書ですよ。


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[:360]
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実際に、表現活動で「書く」ということへの苦手意識を持つ高校生が大多数で、語彙・構文への習熟が一層求められる時に、文字の読み書き、認識と産出での負荷を減らすという意味合いは極めて大きく、生徒同士お互いが書いた文字が読みやすい、という点で、「モデル」としての役割も果たしていると思います。書くことをきちんと捉えてシラバスと教材に位置付けている、数少ない優れた教科書の一つでしょう。著者陣の慧眼、編集部の英断に拍手をおくります。

で、採択はどうなんでしょうね?現場の先生方はこの教科書見たことありますか?中身までじっくり読んだことがありますか?もし、無いとしたら、いったい何を基準に「英語表現」の教科書を採択しているんでしょうかね?



文字指導に関連する領域で、村上加代子先生に教えていただいたこの本が、やっとのことで私の手元に。職場に届いていたのでした。一読して、これは、必読の文献だと確信。村上先生、ありがとうございます。

湯澤正通、湯澤美紀 著
日本語母語幼児における英語音声の知覚・発声と学習
(風間書房、2013年)

私の場合は、「ライティング」の指導から遡ってというか、降りていってという流れで「文字指導」に辿り着いた感じです。大学での師は竹林&吉沢で「(調音&実験)音声学」がメインだったので、そこから三十余年、文字指導での試行錯誤の中「音韻(論・意識)」に関しても学び直す機会を得ることができ、ラッキーだったと思っています。


自分の実作を少し記録に残して、本日は終わりたいと思います。
高3の読解の授業で、本日のBGMでも示した曲をちょっとだけ聴かせました。

1分57秒からの、

"I love you more each day."

で使われている比較級とeveryでの「積み重ね」「比例」「漸増」「累積」にスポットライトを当てるために、ホイットニー・ヒューストンの大ヒット曲 “I will always love you” をダシに使って。
どの程度、実感できたでしょうかね。

テキストの本文中ではこういう文で出てきました。

  • and they are using more water every year.


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次の段落のこの文の方が読み誤りやすいかな。

  • Nowadays there are about 1,000,000 more pumps being used every year.


[file:tmrowing:SB_L13_2_3.jpg]

緩慢な行きつ戻りつを厭わずに、実作を続けるのみです。だって、「語学」って、自分のもう一つのことばを身につけようっていう大いなる旅なのですから。


本日のBGM: I love every little thing about you (Stevie Wonder)

なぜ Ball & Stick 体を使い続けるのか?(その1)

以前、文字指導関連で、こういう発言(放言?)を許していていいのか、とmpiのサイトでの松香洋子氏のコラムを取り上げ批判したことがあります。直接の反応はないのですが。

松香洋子の私的小学校英語教育論
第5回 What and how
アルファベットの指導
https://www.mpi-j.co.jp/kiji/report_1508/

私の批判とそれに代わる提言は、こちらの過去ログに詳しくありますのでお手数でも一読を。

the difference between loneliness and solitude
http://tmrowing.hatenablog.com/entry/2017/07/13/000000

適切なフォントで提示し、見る・読む文字と自分や教師、他の学習者が手で書く文字とのギャップをできるだけ減らして、語や句、文での意味のやり取りに多くの脳内リソースを割くことの重要性は繰り返し説いていきたいので、再度「表題」にある問題提起をします。

今年になって、小英関連でいろいろな人と情報交換する機会を得たのですが、「handwriting そのもの指導体系を確立する必要がある」、という認識が共有されておらず、その結果、handwriting指導におけるBall & Stick タイプの文字の持つデメリット、弊害があまり認識されていないのであろう、という理解に達したところです。

英国のカリグラファーであったAlfred Fairbank は私の師匠も幾度か言及していた「大御所」と言える人物だと思うのですが、1970年の
The History of Handwriting Origins and Development で、次のように指摘(批判?)しています。

Print-script

In 1913 Edward Johnston was asked to address a conference of London teachers on the teaching of handwriting. In putting forward an ideal scheme (it proved too difficult for teachers to adopt) he showed among other alphabets the skeleton or essential shapes of the Roman alphabets. It was seen that a simplification of letter-forms might be adopted for teaching beginners to write and this would also help children to learn to read. By 1916 experiments had begun in London schools. The style, now known as print-script, soon spread widely in this and other countries. Miss Marjorie Wise introduced a form of it into the United States of America, where it is known as manuscript writing.

Although useful for teaching infants, print-script has a serious lack as a handwriting style, for it does not develop naturally into a running hand. Accordingly, some other style is generally taught when the child uses a pen. Print-script is plainly uneconomical since it has to be abandoned and a poor foundation for the acquisition of a fundamental skill.

その少し後に出版された、A Handwriting Manual (1975年)でも、Fairbank はprint-script について項を立てて批判を加えています。

PRINT-SCRIPT (pp. 25-26)

Print-script (sometimes called ‘ball and stick’) is a simplified version of the Roman letter. It was introduced into schools following a lecture by the late Edward Johnston to L.C.C. teachers in 1913 when, in making suggestions as to an ideal course of teaching handwriting, he showed amongst his alphabets one which later was adapted for school use. Johnston regarded print-script as rather formless skeletons of Roman lower-case letters and did not wish it to be thought he was directly responsible for the form of print-script characters. Print-script is held by teachers of infants, who are doubtless appreciative of its simple character, to be of assistance in teaching both reading and writing, since one alphabet serves the two purposes. It has two shortcomings: there is nothing about it that gives a hint of development into a running hand and it has circular instead of elliptical movements (cf. p. 82).

という指摘に加えてさらに踏み込んで、

THE BEGINNING OF HANDWRITING (pp.82-84)

The author hold that it is a sound principle in teaching handwriting that one should begin as one is to continue (‘As I am to go on, so I do’). Therefore, according to this principle, one should not begin the teaching of italic handwriting by the use of print-script since it is based on the circle and the vertical stroke and not on the ellipse and the slanting stroke, and also because it is no preparation for cursive penmanship.

Print-script, a simplified form of the roman letter, was introduced about 1916 by educational reformers who ignored or had not understood the lesson which history had taught, namely that because of the numerous pen-lifts the roman hand is not potentially fast, whilst italic, its cursive counterpart, certainly is, and the forms of italic letters have been developed by speed. What should replace print-script (‘ball and stick’) is therefore an italic print-script: i. e. a simple italic.

Experiments have shown that a child may be started off with an italic alphabet similar to that which would be given to an older child except that it would be written with pencil, crayon, or chalk, and would therefore lack the thicks and thins of the edged pen. Such a script is that illustrated in Fig. 45. The teacher of infants would generally wish, however, for something simpler to begin with, and therefore the alphabet in Fig. 46 (which is the bare bones of the pen-written italic alphabet and one easier than that of print-script) is suggested. The child can progress from the script of Fig. 47 to that of Fig. 48.


All the above relates to italic minuscule. The capitals of print-script are not rejected, but would be more fitting if slightly compressed and, for example, if the O was elliptical and not circular.
The use of a simple italic for writing is unlikely, in the author’s view, to complicate the teaching of handwriting.

と述べているのです。
ここで Fairbank のいう a simple italic は彼が作った初期の教則本で1950年代の終りに既に世に問われています。

このFairbankの指摘(批判)から既に40年以上経ちますが、相変わらずL1としての文字指導、handwriting指導から学ぼうという動きは鈍いようです。

Print-script が広まった背景には色々あるのですが、その英国から米国への移入(移出?)に関連して、アイスランドの巨匠、Gunnlaugur SE
Briemも、そのプレゼンテーション Handwriting Repair (2008年)でこうコメントを加えています。

http://operina.com/2/205.html

この項には、「印刷体という大惨事」という小見出しがついています。

The print script disaster

The biggest handwriting mistake in recent times is probably the print script, or manuscript writing if you prefer. About 1913, Edward Johnston, the great English calligrapher, gave a lecture to a broad audience of educators. He talked about skeleton forms, and they took off in a direction he never intended.
This is what he showed them, just a way of understanding letter shapes with shadings of thicks and thins.

One of his students, Marjorie Wise, introduced an inferior model in the United States. It was also meant to be a first step to writing with a broad edge pen. This is an average example of modern print script. It is unnecessarily ugly. One example of that should be enough. Look at the capital letter R. It is too wide. Make it one-fourth narrower, and it looks all right. People who don’t see this shouldn’t design model alphabets. The first hurdle of print script is that a circle is an absolute form. It’s either a circle or it isn’t. Letters that are based on a circle are more difficult to write than letters based on an oval.

An egg shape is flexible. It doesn’t have failure built into it. Ball-and-stick letters also make life very difficult for dyslexics. Letters that are not symmetrical are hard enough. The writing movement can go wrong, too. You can easily begin a print script letter a at the bottom and end it at the top. The italic
letter a, on the other hand, begins at the right point and ends with the pen in the proper place for a join to the next letter. And the same people who like print script also have ideas about pens. Of all the writing instruments we can choose from, they make young children write with pens that feel like broomsticks.

これを既に読んでいる、「小英」指導者の指導者はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

日本では「書き順の権威」として認識されているらしい、Rosemary Sassoonですが、文字指導に当たるのであれば、洋の東西を問わず(ラテン文字だけでなく、ということです)必読な一冊が、

  • Handwriting: the way to teach it

http://amzn.asia/3dl4gQN

になるでしょう。現在の版は第2版、2003年のものになります。Kindle版の方が廉価で入手しやすいでしょうか。

日本の小英に関わり、文字指導について何か指導的立場にある大学の先生方が皆、この本を読み問題意識を高めてくれる日はくるのでしょうか?
長いですが引用します。

4. The choice of a handwriting model (pp. 4-5)

The choice of a particular handwriting model must be a whole school decision. First of all there needs to be discussion about whether to have a strict model at all, or to adopt a more liberal attitude to letters. Everyone involved needs to be happy about what they will all have to teach. It must be remembered that at first it may be difficult for some people to change from any other accustomed model.
(中略)

Four different ideas for handwriting models

You will notice that the models within this book all have exit strokes on all the letters that terminate on the baseline. Exit strokes help to promote the flowing movement that develops easily into joins. This is in contrast with the stiff straight letters of print script that terminate abruptly on the baseline. When you use a model, you train the hand in a certain movement. Children who are trained to be neat within the precise movement of print script often find it difficult to progress to a flowing joined writing. With straight print script letters maximum pressure is on the baseline, but with an exit the pencil pressure is relaxed as the upstroke changes direction and lifts towards the next letter.

The decisions that you make for five-year-olds are likely to have a lasting effect, so the choice of some features of a model is a serious matter. At first glance the four alphabets may appear similar. You need to look closely to notice the differences in slant and proportion. It is not usual to have to discriminate between such details, so this choice of model plays its part in helping you to think carefully about letters.


“The way …” の初版と改訂ニ版との間に出版された、Handwriting of the Twentieth Century (1999年) の中で、R. Sassoonは、文字指導の歴史を洋の東西を跨いで振り返りつつ、Print script の導入と普及・支持の経緯、そして、それへの強烈な反発と批判を詳しく書いています。

  • Chapter 7 Stylistic issues after 1950 (pp. 107-111)

を是非ともお読みいただければと思います。この本も、現在は改訂ニ版が出ているようです。

Handwriting of the Twentieth Century

Handwriting of the Twentieth Century

Print script の普及拡大での最大の功労者は、ここで取り上げられている、William S Gray なる米国の教育者で、「ユネスコ」の看板を背に、The Teaching of Reading and Writing (1956年)を編み、米国他で広く受け入れられたようです。ただし、ここでSassoonが言う、「英国では必要なかった」という意味をよく理解しておく必要があると思います。
というのも、英国ではこの1950年代までに、Marion Richardsonらによる文字指導の体系が広がりつつあったので、a fluent joined hand に移行するのに、学び直しせざるを得ない print script に教育的価値を認めない人たちが多くいたことは十分に理解できるのです。そして、イタリックハンドの見直し(復権?)を経て、Nelson や Sassoonへと続いていきます。

歴史に学ぶことなく、歴史を変えることも、作ることもできないでしょう。

本日はこの辺で。
その2,はまた日を改めて書ければと思います。

本日のBGM: Sticks and Stones (The Divine Comedy)

そして9月は…。

夏休みも終わり9月。
いつものテーマ曲をBGMにして新学期の授業も始まりました。
進学クラスは夏期課外講座があったので、リハビリの必要はそれほどないのだけれど、高1だと「中学生までの味覚・嗜好」に戻って、好きなものだけを口にしている者もいたりするので、4月からの3ヶ月同様、緩慢な行きつ戻りつの「指導」をする必要が出てきます。

高1が夏期課外でやっていたのは、「チャンク切り出し可変」の対面リピート。
この狙いは、「とにかく忘れないうちに言い返してしまえ攻撃!」を止めさせることに尽きるかと。
それでも手ごわい人はいますけどね。

チャンク切り出しrobert.pdf 直

新学期で名詞句の限定表現の肝、中学校の研究授業発表で、とかく「華」のような扱いを受けることの多い後置修飾でも「肝」となる、所謂「接触節」から「関係代名詞」への一連のドリル。

接触節と関係代名詞 その1.png 直
接触節と関係代名詞 その2.png 直
接触節と関係代名詞 その3.png 直
接触節と関係代名詞 その4.png 直

「あしあと」の理解は求めますが、「完全文」「不完全文」という言い方はしません。「五文型」ではなく、「意味順」ですから。

今日の授業では、「対面リピート」でちょっとした工夫をば。

ポイント10点を目指す!

I like the musician best.
をペアになったパートナーが読み上げ、それをそのまま「おうむ返し」でリピートするのは0点。
そこから、 the musician I like best という名詞句を括りだせたら1点。
さらに、パートナーの現実を取り込み、 the musician you like best と変換できたら2点。

という設定。これは私が悪うございました。もともとの文によっては、「おうむ返し」も難しかったりするので、0点続出になり、点数が加算していかないのですね。1点、2点、3点にすれば良かったのでした。次回からそうします。

His parents were pleased with the news of his success.
A lot of people were killed in the earthquake.

の三人称とか、3点のつけようがない文もあるからね。そんなにすぐに10点行かないよね。反省。

高2は、紆余曲折を経て「副詞節シリーズ」へ。私の符牒だと「白板のもの」。
最初は、マッチングでは大変な before / after を。2年生なら、このレベルをスラスラできて欲しいところだけれど、それぞれぞれなり。ただ、自分がどこで引っかかるのか、そしてその原因と思しき「モノ」「コト」を自覚しているか、は大事です。

悩ましいのは高3。いや、生徒諸君ではなく、「教材の英文」の方です。

今年の全国英語教育学会・島根大会に参加した際に、私が見たある発表で愛媛大の池野修先生も名を連ねていたので、その時に、「教材の英文の精査を人任せにしないで、もっとちゃんと監修して下さい!」って伝えておくべきでしたね。

これまでに2,3あった、

  • 「魔の第3段落」

以上に凄いのが、最終段落で「主題」に対する、反証のような記述が出てきたのに、もう一度、主題のまとめ直しをせず、適当にトリムして終わってしまう「入試問題」の英文をそのまま収録してしまうもの。まず批判されるべきは、そのような「英文もどき」で出題をした大学ですが、教材を作る側にも責任の一端はあると思っています。

私のやっていることは、「応用言語学」であって、教育的示唆はない。

というスタンスなら構わないのですが、英語「教育」に関わる大学の先生で、しかも「教材」の作成に関わるのであれば、こういう「英文もどき」を放置したまま「教材」にしてしまうことの弊害を、もっと真剣に考え、対処・行動して欲しいと切に願います。

「英文もどき」とでも呼ぶべき第11課。

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その前の第9課、第10課にも悩ましい箇所は多々ありました。

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授業の最後には、このような私の手書きメモをコピーして教室に掲示し、表現の細部の確認や全体の論理展開の補修をしてもらっています。教材についてくる「解答解説」ではそもそも「痒い」と感じていないコトが多いので、それとは別に毎回やっています。

さて、
この夏は、7月初頭の「文字指導セミナー」に始まり、7月末のJES、8月半ばの英授研、そして、下旬のJASELEと、英語教育に関わる「集い」に参加して来ましたが、それと並行して、幾つか書籍にも目を通しています。

その中で、「む~ん」(inspired by いがらしみきお) という悩ましい感想を持ったものがこちら。

「教えない授業」から生まれた 英語教科書 魔法のレシピ

「教えない授業」から生まれた 英語教科書 魔法のレシピ

いや~、御免なさい。紹介しておいてナンですけれど、私は全く受け付けなかったです。
まず、「教えない授業」ということで、この高校の授業が話題になったとき、「その『教えない授業』はどうすれば可能なのか」というマニュアル本の類いが出るのは困りものだなぁ、と思っていたら、マニュアルよりも更にお手軽な『レシピ本』が出てくるとは想像の遥か上を行かれました。流石です。

私が「受け付けない」のは、語学教育としての「教材観」が相容れないから、といえばいいでしょうか。

中高の教科書はresource book であるだけでなく、textbook、つまり「text = ことば」があって初めて成立するもの

というのが私の視座です。教科書が変われば言葉の質・量が変わります。そして、現在の特に高校の教科書では、「コミュ英」にしろ、「英表」にしろ、この「ことば」の部分の質が危ういのです。

教科書を料理するための「レシピ」というのですが、レシピを書くために、そのレシピを読んで料理するために大事なのは「調理法」や「隠し味」だけではありません。そもそもの「素材」が変わったら。料理そのものが変わりますから。

次に、「タスク」(TBLT的かどうかはさておき) とか「日常」とかいった耳当たりの良いbuzzword で誤魔化されていることに対して自覚的でいたいと思っています。

「英文和訳」では、和訳のための和訳は批判されるべきもので、その活動に意味を持たせて、「英語のわからない小学生にわかりやすく伝えよう」とか、その裏返しとも言える「和文英訳」であれば「ALTのジュリアン先生に英語で伝えよう」とかいうのだけれど、「どこに実在する、どんな小学生集団が、何のためにその和訳された文(文章)の内容を読む必然性があるのか」、「ALTのジュリアン先生はなぜ、その内容を英語に直してもらってまで読まなければならないのか」といった状況設定、場面設定は全て教師が作っているわけですよ。それを、本気で「日常」といいますか?
「英日要約」に至っては、「ネットへの投稿」というのだけれど、誰がなぜ、その科学記事を読むの?誰のどのような実生活と結びついている?という素朴な疑問が湧いてきました。

で、もっと深刻なのは、その生徒が産出した「和訳」や「英訳」や「要約」に対するフィードバック (= FB) は誰が行うのか?そして授業のどのタイミングで行い、そのFBに基づく書き直しは授業のどこに組み込むのか?
ピアFB?ピアコレクション?要約って、日本語だけでも大変ですよ。
英語から日本語へと移し替える活動だと、まず、教師自身の英語の読みの的確さが求められます。そして日本語表現の的確さと、生徒の産出した「日本語」を「診る」目が必要となります。当然、生徒自身の「英語を読む、読みの的確さ」「日本語表現の的確さ」も求められますが、それを「自己診断」できる生徒は稀でしょう。

個人的な話になりますが、今から30年以上昔、当時高校3年生だった私は、代ゼミの上智大模試と慶応大模試では英語で全国1位でした。この模試は私大に特化していて多肢選択の客観式出題が多かったから。でも、高3の夏に受けた駿台の東大実戦の英語の出題には手を焼きました。そう、「記述」です。しかも、一番苦労したのは日本語。精度を上げるのに時間がかかるのは、英日要約と和訳というのが受験生としての実感でした。

この「レシピ」本の流れで中高の「授業」を進めるとしたら、大学入試対応では、現状の「国公立の個別試験」のようなものではFBが不十分となってしまい、生徒はいきおい「塾」「予備校」などの受験産業のお世話になるのではないかと心配になります。そうでなければ、日本語の解答を要求されない「ヨンギノー」の外部試験に活路を見いだすことになるような気がします。

あと、以前の単行本でも使われていた「生徒による文法のまとめ」が、今回取り上げた本でも紹介されていました。ここでも「中学生のまとめたcan」の図解が収録されています。
いや、すごいとは思いますよ。でも、この1枚の他に、何十人も(ひょっとすると百、二百人も)の中学生が「調べ&まとめ」をしているわけです。では何を読んで調べているのか、何から写してきているのか、心配になりませんか?それぞれの記述は、何をもとにしているのか、出典くらい書かせないとね。人気があるのは『大西本』?まさか『○○一』?いやー、それだけは勘弁して欲しいです。

中1の段階でどのような調べ学習をしても、その後の発達段階のどこかで修正が必要ですから、こちらの写真にある『木下本』のような体系を高校くらいで誰かに教わった方が、知識の精緻化のためにも、運用力の向上のためにもいいのではないか、というのが私の視座です。


木下can.png 直
木下表紙.png 直

最後に、「ライティング」。
これでは、「20世紀」の日本の教室で行われていたライティング指導から何も深まっていません。もっと、きちんと単一技能の指導法、指導手順を先哲・先達から「教わる」方がいいと思います。
本気で言ってますよ。

  • 三省堂の検定教科書って、ホントにこんな意図で作られてるの?

というのが全編を通して読んだ率直な感想でした。


その他の英語関連書籍はまた日を改めてレビューなどを。

本日のBGM:September (原田知世)