青の時代

久々の乗艇で、前鋸筋が筋肉痛。
連休の谷間の二日間は平常授業。
朝4時から準備した復習から展開へという活動のことごとくが、不埒な輩によって無用のものとなる。青いと言われようと、我慢にも限界というものがあるのですよ。
邪気を吸わぬように、次の授業へ。
進学クラス1年は、発音と綴り字の復習と展開。焦点は英語の「リズム」。

  • 英語の綴り字では子音字が並んでいるので、「カタカナ語」では、別々に二回読んでいる語に注意。例: running (ランニング)、runner (ランナー)
  • カタカナ表記では「促音」を用いている語に注意。例: cutter (カッター)、happy (ハッピー)、lucky (ラッキー)

一見、ランダムに見える、例として取り上げる語の数々が、振り返ると、原理原則を語ってくれていることに気づく瞬間。それは、とりもなおさず、自分の中にある確かな「学力」に気づく瞬間でもある。授業という時の流れの中に貼られている「伏線」を確かめることの重要性を説いて、また、個々の言葉の学びへ。
2年の授業では高1に貸していた筆記補助具「もちかた先生」を体験。続いて、「もちかたくん」の初号器、二号器の合体で、「グリップが本当に安定する快感」を一人ずつ体験。感動的ですらある。
ちょうど、2年前の学年が、高1の3学期のラストで扱っていた課なので、その過去ログ「未熟さは、伸び代の証」 (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20100225) の話しをして終了。同じ課を扱ってはいますが、同じ教え方にはなっていません。だって、生徒が違うんだから。先輩の学びから、何を自分との相似形として見いだし、何を新たに自分の学びとして作り出すか、どうせ過去ログを読むなら、そういう読み方を求めて欲しいと思います。

今日の英英辞典の引き比べは、 birthday。そこから「キーワード」として何を引き出すか。

  • your birthday is a day that is an exact number of years after the day you were born (LDOCE)
  • the day that is exactly a year or number of years after a person was born (Cambridge Advanced Learners Dictionary =CALD)

ここで “after” に気づいたのは流石。

  • the anniversary of the day on which a person was born (Chambers Universal Learners’)
  • Your birthday is the anniversary of the day on which you were born. (COBUILD School Dictionary)

anniversaryが出てきたら、そこから更なる引き比べ。日本語の「記念日」と単純に置き換えられないことが実感できるかを自問自答。

  • An anniversary is a date that is remembered or celebrated because a special event happened on that date in a previous year. (BBC)
  • a date when you celebrate something that happened in a previous year that is important to you (MED)
  • a date on which something special or important happened in a previous year (LDOCE)
  • the day on which an important event happened in a previous year (CALD)

この定義で不可欠な要素である “a previous year” を使って、 birthdayの語義を自分で考え直すことが大切。
このように、学級文庫が整備されたことによって、2年前より確実に「自分から動き、自分の頭で考える」学習活動が増えているのは喜ぶべきことでしょう。
音読と日→英復元まで。明日は、Question大会の予定。予定は未定、不確定。

昼休みに動画。太田選手の演技で心を洗う。女神に救われました。

さて、
過去ログ振り返り第2弾。
“Can-do” という概念を用いた英語力の可視化のための枠組み、到達度評価のための枠組みを作ろうという動きも、文科省が音頭を取ったら取ったで、急加速で全国の拠点校が出来上がるという極めて日本的な展開。泥縄っていうのはそういうことを指して言うのだよ。引き受けた学校は学校で、良心的に、誠意と責任感を持って仕事をしてしまうのだろうから、老婆心で抜粋再録。http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20100114 より。2年前のエントリー。

リーディングの発達段階というか、スキルの優劣を考える時にいつも思うのだが、

  • 200語を 2分で読んで 80%の内容理解度

を達成したら、

  • 400語を 4分で読んで 80%の内容理解度

を達成できる。
とナイーブに考えていないだろうか?語彙と構文がパラレルなら、この逆はあると思うのだが、普通は、

  • 400語になると、ちょっと中盤からだれてくるので、4分で読もうとすると、内容理解も70%に落ちる
  • 400語で、5分かけさせてくれると、内容理解度も80%を維持できる

などというのが平均的な読者なのではないか、という気がするのだ。
その考え方で行けば、

  • 800語になると、8分では、やっぱり途中からつらくなってきて、内容理解度は50%にまで落ちてしまう
  • 800語を、12分かけて読めば、80%の内容理解度は維持できる

というようなスタートラインに立っているように思うのだが、そういう速度と理解度との関係をリーディングの専門家に分析し、普通の読者にわかるように説いてもらいたいのだ。
語彙と構文の変数を考えれば、

  • 1000語レベルで、ペーパーバック1冊 (120頁)
  • 2000語レベルで、3000語のエッセイ
  • 4000語レベルで、1200語の論説文
  • 6000語レベルで、400語の思想思索
  • 12000語レベルで、詩や寓意・警句

などということなる読解にどう優劣をつけるのか?私の場合は、それを「ライティング」という、逆の視点で捉え直すことを始めたところである。いつ終わるかはわかりませんが。
今日の学び直しの一冊。

  • Beginning Radio-TV Newswriting: A Self-Instructional Learning Experience, 4th Edition, 2003, Iowa State Press

文字通り、ニュースライティングのための大学生用入門編テキスト。ハイチの地震被害・救援報道でも、最新のニュースがtwitterなどで配信される時代に、このような伝統的な王道を行く報道のライティングはどう変容していくのか、注目したいと思う。その変容に対応するためには、自分自身が ジャーナリズムの英文が書けるようになることが一番の近道だろうということで読むことにしました。高校3年の時、大学4年の時も同じように考えて、自分で英語で新聞書いていましたね、そういえば。今回は、いつまで続きますやら…。

"Can-do"に関しては、1990年代の後半から、自分の関わる研究会で先進事例を研究したり、今世紀に入ってからは、研究開発の最先端にいる方々との交流があったりと、考える機会には恵まれていた方だと思います。4年半ほど前は、未熟ながら次のようなことを考えていました。やはり、2007年くらいまでは積極的に発言していたように思いますが、反響は芳しくなく、異動・移動でその後、まとまった考察をすることのないまま、今日に至っています。

数多ある、Can-do statementsの中で、私は相変わらず、Canadian Language Benchmarksの基本的な枠組みを高く評価するものです。身近で単純化されたコミュニケーションの場面での言語使用から、やや複雑な状況での言語使 用、さらには高度な言語運用が求められる状況まで大きく3つの段階を想定し、その中で、初歩的、やや発展的、充分な、流暢な、とそれぞれのスキルが習熟し ていく様子を4つのレベルで記述していく発想が秀逸です。決して発達段階がリニアに右肩上がりにはならないことをよく分かっているのですね。
(この枠組みの特徴は90年代の暫定版の方が顕著に現れていたと思います。現行の2000年以降版は、global standardを意識せざるを得ず、個性が薄れた気がします。)
先ほどのゴルフの例えで言えば、
• 素振りの段階で、なんとか振れるレベル、かなりスピードと方向が安定してきたレベル、素振りだけ見ればゴルファーだとすぐわかるレベル、 申し分ないスイングを身につけたレベル、と習熟してきても、実際にボールを打つ段になれば、なんとか当たるレベルのスイングとなり、一見技術が逆戻りした かのような発達段階を示すものです。そこから、確実に前に飛ぶレベル、遠くにとばせるレベル、正確に距離をコントロールできるレベルというような習熟を見 せるでしょう。では、実際コースに出て、いろいろなライで、さまざまなコースのレイアウトでボールを打つとなれば、それまでできていたはずのレベルでは ボールが打てない、コントロールできないなど、より高次の実力発揮が求められるわけです。
ここではスポーツのトレーニングの比喩を用いましたが、言語の運用であれば、「人」を相手にすることが多いので、「一人でもできる訓練」と「相手がいないと成立しない訓練」とでは異なる配慮が必要となるでしょう。
以下、Theoretical Framework Finalより抜粋しておきます。SLA研究の先進国であるカナダで、「成人の第二言語習得の自然な発達段階を記述するに充分なモデルは現在のところ得ら れていない」と言っていることは注目すべきだと思うのですが…。(ここから理論的枠組みはダウンロードできます→ http://www.language.ca/display_page.asp?page_id=257

以下、主立った記事のリンク。いつも同じことを書いていますが、「コメント欄」に耳を貸すべき声が届いていた良い時代でした。

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