the act of smiling

本業は強化合宿明けで、乗艇は休み、40分以上のjogとストレッチでリカバリーのメニュー。
出校し、週末に予定されている国体の結団式の出張届けを提出。学校長に、今回の強化合宿の報告。豪雨の心配をして頂いて、本当に有り難いことだと思う。今年度の山口県英語教育フォーラムの日程・講師の概要を踏まえて協賛のお願い。引き続き、快諾していただき感謝に堪えない。期待に応えられるようしっかりと準備をしたい。細々とした事務手続きを片づけてから帰宅。
時間が取れる時に「学習英文法シンポ」の準備を。
今回の登壇者の原稿や参考資料を拝見していて、気になったのは、「学習英文法」の「精選・再編・再構築」の必要性を指摘している人の誰一人として、「ハートで感じる」とか「イメージ」とか「フィーリング」とか「コアミーニング」に言及していないこと。
あらためて、

  • 松井久博、吉田晴世 『中高一貫英語教育成功の秘訣』 (松柏社、2005年)
  • 大西泰斗、ポール・マクベイ 『ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力』 (研究社、2005年)
  • 今井隆夫 『イメージで捉える感覚英文法 認知文法を参照した英語学習法』 (開拓社、2010年)
  • 大西泰斗、ポール・マクベイ 『ハートで話そう!マジカル英語塾英語のバイエル [初中級] 』 (NHK出版、2010年)
  • 田中茂範 & COCONE 『英語の発想と基本語力をイメージで身につける本』 (コスモピア、2011年)

などで扱われている「文法」、「言語事実」とその説明・解説を読んでみた。
「イメージ」や「フィーリング」「感覚」に訴えかける文法指導が共通して得意としている対象は、

  • いわゆる「基本動詞」
  • いわゆる「前置詞」

における「意味論」であり、一般的な「統語論・形態論」ではかなり苦しい説明を強いられているように感じる。
今日は、そのうち、「ハト感」でお馴染みの大西・マクベイの英文法論を「批判的に」取り上げる。(関連する過去ログは、http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060915, http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070717 にもあるのでご参照あれ。)
大西・マクベイ (2005, 2010) では、従来「修飾」で扱われていた項目を、「並べると説明」という独自の捉え方で説明している。気になるのは、前置詞句による後置修飾と思われる項目も、「たんなる説明」で片づけている点。

a. The boys on the beach were playing volleyball. (ビーチの少年たちはバレーボールを楽しんでいた)
b. The boys were playing volleyball on the beach. (ビーチで少年たちはバレーボールを楽しんでいた)
on the beach の修飾する語句が、その位置によって変わっていることに気づきましたか。a. ではthe boysを修飾し、b.では were playing volleyballを修飾しています。どちらも、「その少年たち」がどこにいるのか、その出来事がどこで起こっているのかを説明していますね。
英語においてある語句を説明するという修飾関係は、修飾語句を後ろに並べる---ただそのまま並べる、ポンポンと並べる---単にそれだけで達成することができます。簡単でしょう? (大西・マクベイ、2005, pp.105-106)

「前は限定」 (pp.86-104) で20頁近くを割き、「限定」の例を扱ってきたのだが、この a. で扱われる “the boys on the beach” がなぜ「限定」ではないのか?という説明は一切ない。「単にそのまま並べる」だけで達成できるというのだが、では、なぜ、b.の例では、volleyball on the beach 「ビーチ上でのバレーボール」という名詞句の限定表現としての理解はなされないのか、という説明も全くない。
これが、大西・マクベイ(2010) では、「説明ルール」「限定ルール」として分離分割されたので、さらにわかりにくい。

説明ルールは、「ターゲットA」を説明したかったら、うしろに「説明語句B」をおけばいい---ただそれだけのルール。ターゲットはなんでもいいんですよ。名詞でも動詞でも。説明したかったらうしろに並べればいいだけ。この単純な意識を身につけるだけで、複雑な英文を簡単に口に出すことができるようになります。(p.28)

この「説明ルール」で、取り上げられる例に、

  • The man interviewed by the police is my neighbor. (p.35)

の過去分詞による後置修飾も含まれている。
その直後に、

  • A woman in labor got stopped for speeding on her way to hospital! (p.36)

という「説明パターンに動詞がフレーバーをふりかける文」として、<get 受動態>の説明が行われている。では、この文の主語となる、 “a woman in labor” での “in labor” はどのように「限定」ではなく、「説明」なのかという説明はない。

限定ルールは、「ターゲットB」を限定したかったら前に「限定語句A」をおけばいい、というルール。ターゲットはやはり問いません。なんでもいいんですよ。名詞でも動詞でも。「限定は前から」。ただそれだけのルール。シンプルですよね? (p.58)

では、この両者の違いは何なのだろう?英語でABと並んだ語句で、どんなものを「説明」関係、どんなものを「限定」関係としているのか?説明は続く。

「前」という位置におかれた表現のもつ意識をしっかりと理解しましょう。前におかれた表現は「限定」の働き。詳しく言えば、それは「枠をはめて限定する」意識です。(p.59)

そして取り上げられる用例は、

  • (a) I need a long screwdriver.
  • (b) Can I borrow a silk top?
  • (c) Show me the photo of your new boyfriend.

結局、(c) に含まれる、the photo of your new boyfriend のような名詞句のまとまりをどのように捉えるのか、という根本的な疑問は解消されないので、何をもって「限定」と言っているのかは曖昧なまま。イメージやフィーリングの虜になっていて、「説明」「限定」の定義を蔑ろにしてはいまいか。従来、「叙述」と「限定」という区別をしてきたものを、ことさら今までの概念とは違うのですよ、という切り口を見せたいがために、体系化の際に歪みが出てきているのではないだろうか。

初心者のなかには「形容詞1語なら前から」といった誤解がしばしばありますが、長さの問題ではありません。限定の意識さえあれば、いくつかの単語からなる長い形容詞も、自由に前におくことができます。限定の意識を強くもちながら長いフレーズを読み切ること。それがここのポイント。(p.61)

という「限定」の解説も出てくるのですが、そこで取り上げられる「いくつかの単語からなる長い形容詞」の例は、

  • He is a good-for-nothing husband.
  • This is an easy-to-remember rule.
  • These are not-so-environmentally-friendly products.

など、ハイフン形容詞。つまり、「1語」にまとめているわけである。
同じ項目は、大西・マクベイ (2005、pp.87-88) でも扱われている。

ちまたには「1つの単語による修飾は前から、2語以上なら後ろから」というなんだかよくわからない「規則」が流布されているようですが、それは本質的な話しではありません。いくら長くても種類を限定し他と分け隔てる修飾なら、前にくるのです。

ところが、ここで取り上げられる用例も、

  • I didn’t realize there was so much behind-the scenes lobbying.
  • A 6-year-old kid beat me at chess!
  • Kevin is a play-it-by-the-book kind of person.

など全てハイフン形容詞。「限定」と「説明」の識別は依然として曖昧なまま。
「種類を限定する」、「他と分け隔てる」のが「限定」だというのであれば、

  • I have a map of the world above my desk. (大西・マクベイ、 2010、p.83)

で「世界地図」という日本語の語順と全く異なる、 “a map of the world” という語句のまとまりをどのように説明するのだろうか。彼らは「限定ルール」の例として、この英文を取り上げているのだが、そこで説明されているのは、「限定詞」 the と「名詞」 worldの関係。ここでの “of the world” は単に後ろに並べているので「説明」、というのであれば、なぜ、同様に the worldという名詞の後ろに単に並べた “the world above my desk” 「私の机の上の世界」というまとまりで認識していないのか、余りにも後出しじゃんけんの度合いが過ぎるように思う。
「学校では教わらなかった英語の本質を捉えた解説、体系で目から鱗が落ちました」、などといっている場合ではなく、自分の目の曇りをぬぐって、むしろメッキを剥ぐくらいの読み直しが必要だな、と痛感した次第。
こういう「新たな英文法の捉え方」は百家争鳴というか迷走というか、いつの時代にも現れるが、その多くが「学校文法」を否定・批判しつつ、中高で学んだ基本的な知識を土台・拠り所として、それに取って代わるものとして、またはその概念を修正したり置き換えたりすることで初めて理解が可能であるように思う。そのためには本来、「感覚」「捉え方」「世界の切り取り方」を伝えるための「言葉による説明」の精度を高めておく必要があるはずだが、そうなっていないことが多々ある。ところが、そのような「英文法」がTVで大きく取り上げられたり、教材として流通し始めると、「学校文法」より魅力的に映るのか、そちらに靡いていく学習者も多く出てくることになる。
「英語教育学」や「英語科教育法」の担当をしているような大学の先生方は、こういう、学校文法を踏み台にした後出しじゃんけんを、きちんと読み込み、分析、比較検討した上で、批判的考察を加えたりすることや、肯定的に評価、推薦したりすることが少ないようにも思う。
せっかくの機会なので、9月の「学習英文法シンポジウム」の際に、登壇者・討論者・司会者の皆さんの考え方を是非とも聞いておきたいと思う。

日暮れから、激しい雷雨。
娘が花火とか雷鳴が苦手というかひどく敏感なので、宥めるのが大変。
短期降雨予測のレーダー画像とにらめっこ。天候と相談して、明朝から本業の予定。

本日のBGM: You need a mess of help to stand alone (The Beach Boys)