金と真鍮

午前中休みをとって、皮膚科へ。
いよいよ、壊死をおこした組織を切除することになった。麻酔の効きが今ひとつで、二回注射するハメに。発症と思しき日から、すでに丸4週間なので、全治となると、1ヶ月半とかになるのだろう。
他の患者さんの診察が一段落つくまで、看護師の女性と、「北海道はどうでしたか?」「朝の気温がマイナス16℃でした!」などと談笑。施術が終わり、「こんなおおごとになるとは思ってもいませんでした。」と強がっておきました。この医院の看護師さんは皆、言動に余裕があって素敵である。先生の人柄が伝染するのだろうか。我が身を振り返る。

午後からは三者懇談だったのだが、昼過ぎには麻酔も切れて、鈍痛が両足首を覆い、なかなかに苦しい時間を過ごした。「うちの担任は、いつも、言動に余裕がなくて…。」という印象を与えていたら申し訳ない。平にご容赦を。

さて、
浅野博先生のブログが今、熱い。
東京高師出身の日本の英語教育を導いてきた先達から見た、今風の英語教育についての評価に、我々は謙虚に耳を傾けるべきだろう。
歴史に学ばない者は、たとえ一時栄華にまみれようとも、歴史に埋もれ、その人自身も早晩忘れられる定め。

東京では、慶應大の大津先生率いる、「暮シンポ」が盛会だった模様。小学校現場の先生の参加が増えたとか。大津先生からは事前に、受け狙いのスライドをいただいていたのだが、反応はどうだったのだろう。

世間が学校英語教育の成果に注文を付けるのは今に始まったことではない。

  • キャンパスから出ていくのは学会だけではない。ELECの松下幸夫氏の言によると、あそこの英語研修所に昼間から通う大学生が昨年来めっきりふえたという。一方、経済同友会が中心になって発足した語学教育振興会の夏期講習も、なかなかの繁昌ぶりらしい。これは、夏休みに全国大学の語学教官に委嘱して、書く共感が所属している大学の学生から希望者を募り、語学の集中訓練をやってもらうという企画だが、昨年の第1回の試みが好評だったので、今夏も続けて実施するという。/ 卒業生を送り出す学校と受け入れる社会の側との間に、語学教育のありかたをめぐって意見の応酬が始まってから、もうかなりになる。両方とも言うべきこと言いつくしたようだが、さりとて合意に達したというわけでもないらしい。どうやら膠着状態にはまりこんだ観があるが、大学紛争はそういう状況にも微妙な変化をもたらし、両者の関係は再び流動化しそうだ。先日、毎日新聞が東大教養学部カリキュラム委員会の改革原案について報じたが、そこでは語学教育の拡充が重要項目の一つにかぞえられているという。高校や予備校の延長にしかすぎないといわれる現在の教養課程の語学の授業を、もっと質の高いものにしようということらしいが、こういう動きなどもその表れかも知れない。(『英語青年』 1969年7月号、編集後記、p.58)

中高の英語授業で培われた「臨床の知」が、大学での「英語科教育法」で活かされることは歓迎すべきことであろうが、大学での英語教育そのものの充実ぶりが世間を賑わすニュースになることはまだ少ない。先日のFTCでは、S先生が大学での英語教育の実情をレポートしてくれたそうなのだが、こういう話しが普通にできる風通しの良さがFTCの魅力ではあるものの、「業界」全体ではどうなのか?
普通の教師が、普通に営む英語授業の豊かさに、もっと光が当たることを望むものである。

  • Virtue and learning, like gold, have their intrinsic value; but if they are not polished, they certainly lose a great deal of their lustre; and even polished brass will pass upon more people than rough gold. (Lord Chesterfield)


本日のBGM: The fool dressed in velvet (John Simon)