夕べ寝る前には辺り一面曇りで星空などどこかに行ってしまっていたのだが、夜明け前にポツポツ雨が滴り落ちてくるなか、雲の切れ間に一つだけ、見えました。一瞬でしたが。何か良いことがあるといいなと、家に入り二度寝をしないように、レジュメの見直し。朝ご飯をしっかりと食べて、0限に間に合うよう、早めに家を出る。
授業は高2、高1それぞれ2コマ。
高2の冬期課題が『ブックレビュー』で、課題図書は “Encyclopedia Brown” のシリーズから、一人一人が異なる本を読んで、その中から2つのエピソードについて、他の人にも読んでもらえるよう工夫してレビューを書くというもの。少人数クラスだからできる「技」ですね。
手始めとして、私の手元にあった4冊から巻頭話4話の冒頭300 wordsほどを抜き出し、B4用紙1枚に印刷。その中から1話を取り上げ、10項目の情報を指摘し、それが第2話以降では、どのように表現されているか、該当箇所を指摘し、パラフレーズや表現のバリエーションを確認。2コマ使って、2話。僅か700 wordsしか読めていませんが、論説文の入試問題を700 words 読むよりも余程英語の力がつき、言葉のセンスが磨かれる授業だと思っている。時制で過去完了と、仮定法が導入できていれば読み続けられるので、しばらくは続けていきたい。この実践については、26日の語研の冬期講習会で少し紹介する予定。
高1は、『P単』の適切な使い方を本気で身に着け、語彙力増強のために自分に何が出来るのかを理解してもらう2コマ。公立校勤務をやめた直後に、その前任校に届いた、故清水かつぞー先生からのお手紙を紹介しておきます。他の高校の先生へ書かれた言葉を引いて、作成裏話を披露してくれていました。
- 本音のところを申しますと、そもそもピー単を作っている過程で、付属のチェックテストに関してはまったく思い至らなかったのです。テキストそのものがドリルブックになっているというのが最大の理由です。そのドリルに取り組めば必ずそれなりの効果が生まれます。誰よりも使っている本人が分かるはずです。その到達度をさらに誰か別の人がチェックするなどということはどうでもいいことでした。(中略) そうです、本来ピー単というものは、範囲を決めて課題とし、そこをテストでチェックするという教材ではないのです。もともとそういう発想から生まれたものではありません。(中略) もちろん私としては、学校採用が増えるのは嬉しいのですが、あまりにも細かく範囲を決めてチェックテスト形式で利用されるのには抵抗があるのです。なぜかと申しますと、最初からきちんとやっていくよりも、忘れてもいいから、全体をざーっと何回も繰り返し (おそらく20〜30回)、繰り返す度になんかの縁で定着していく連語が少しずつ自然に増えていくという方法が一番であろうと確信しているからです。」
思いは一緒でした。今も変わりません。
高1の冬期課題は、サイドリーダーを自力で読み続けることになるので、2学期末の取り組みがテストのためだけではなく、もっと大きな学びを成立させるための必要条件であることに気づくべし。
放課後は7限の課外が終わるのを待って三者面談。7時過ぎに帰宅。
レジュメは概ね完成。会場には教材提示装置があるということなので、実際に活字の状態で「ことば」を読まないとわからないものと、「実物はこんなものなのね」と視覚で確認できればいいものとで棲み分けをしておくと良いと思った。
今日、読み返した資料は、
- 1986年、教師になって2年目の定期試験問題と、その誤答分析。弁別係数をセコセコと計算して出していました。
- 1998年当時の高3授業「ライティング演習」での達意文・軽妙文など、ある程度長文の日本語を英問英答をもとにして英語でまとめていく、という「サマリーライティング」に持って行くことを狙ったワークシート。清水ミチコ、濱田マリ、忌野清志郎などのアーチストによるコラムや広告のキャッチコピーを題材にしていました。国公立大の受験者などほとんどいないTTクラスでの実践でしたが、ALTと一緒に日本語から英語の質問を考えて授業の準備をしていくのが楽しかったのを今でも覚えています。(「清水ミチコ」の回だけは、過去ログにあり→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060924)
- 1979年と1981年の『NHKラジオ英語会話』のテキストの巻頭にあった、東後勝明先生の英日対訳エッセイ。79年度のテキストには、中尾清秋先生のエッセイもあった。
- 出来成訓 『英作文1000題徹底演習』 (研数書院、1969年、 ※過去ログはこちら→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070722)
- 『英語青年』 1964年11月号、「伊地知純正先生を偲ぶ」〜高等科和文英訳演習は増田綱氏の担当
- 『英語青年』 1970年5月号、「追悼: 増田綱氏を偲ぶ」〜高等科和文英訳演習は山田和男氏の担当。
全部はハンドアウトに出来ませんが、いくつかは実際に紹介できるかと思います。
公立校勤務当時同僚だった、柳瀬和明先生から頂いた、私の実践に対する評価も出てきたので、これを引いて本日はおしまい。この柳瀬先生の実践に裏打ちされた深い言葉に襟を正したものでした。同じ職場、という極めて身近な場所に、目標とすべき、頼りになる先輩教師がいた幸せな時代だったとも言えます。
- ライティング指導に先生がこれまで実践されてきたマクロとミクロがとてもよくわかりました。とても手間のかかる性格の科目なので敬遠されがちなものを、きめ細かく指導されている姿がわかってすばらしいと思います。これは英語だけの問題ではないと思います。国語 (日本語教育と分けて日本人にも「日本語」という科目をおいても良いと考えていますが) でどの程度扱うのかも大きいと思います。『コミュニカティブ』とか『ロジカルな展開』というそのもの自体が日本の風土の中でどういう位置にあったのか (今も含めて) を考えると、『なぜ英語の授業に関してだけ、こういうことがことさら騒がれるのか』と不思議に思うと同時に、これが日本語を用いた他教科科目で扱われないテーマであるという現実が全てを語っているかのように (逆説的ですが) 思います。
本日のBGM: いろんなことに夢中になったり飽きたり (サニー・デイ・サービス)