The inspiring generations

授業は高2で2コマ、高1で1コマ、高3で1コマ。
高2は、Encyclopedia Brown の各巻から巻頭話を抜き出したものを2話、前時までに読んだ。その残り2話を自宅学習課題としていたので、今日は、その4話分を踏まえて、自分に割り当てられた巻の巻頭話を読み、10項目の確認。10項目以外の新たな情報が提示されているかどうかを一人一人に質問し確認。

  • ちょっと新たな情報が…。

という生徒には、「みなまで言うな!」と、そこから先は、面白かったらレビューに書くよう指示。
ということで、既読4話分とは若干話形の異なる、新展開の物語を私が選んできて、その冒頭部分だけをリスニング。どこが違っていたかを問う。
2コマ目は、昨日資料を読み返していたときに出てきた、清水かつぞー先生のお手紙を教室で紹介。これは1年生のコマでも同様に紹介。その手紙の中で、國弘正雄先生の名前が出てきたので、

  • 國弘正雄って誰?

とクラスに問うて、かつぞー先生の師匠であり、自分たちが使っている教材でもある、『ぜったい音読』の監修者であり、『短単』を作った組田先生の師事した方でもあることを確認させ、学級文庫にある國弘本を指摘。

  • 本物は本物を知るのですね。

と結ぶ。本当にその通りだと思う。
高2は、数研のビューポイントが終わるので、

  • 1話は長いものでも300語弱。1分間に150語のスピードで読むということは、全15話の音源を全て合わせても、30分で終わるということ。毎朝起きたら、30分シャドーイング、毎晩寝る前に30分シャドーイング。毎日続ければ、英文のデータベースが頭の中に出来上がるでしょ。そこから、『マイP単フレーズ集』を取り出して、完璧にすればいいのです。自分の達成度を誰か他の人にチェックしてもらうなど、どうでもいいことです。

という話し。もっとも、今年、生徒一人一人がわざわざ購入したあの最低の音源を録音し直してもらうことが必須条件なのだけれど。ちゃんと録音し直してくれているんでしょうかね、でも…。
後半は、ビューポイントで軽くしか扱われていない、いわゆる「強調構文」を取り上げた。この「分裂文」 “it is … that …” という構文に関しては、既存のほとんどの教材が、完全な文の任意の語句に下線を引いては、下線部 1. – 4. を強調した強調構文を作れ、などというまったく使い物にならない練習しかさせず、きちんとした解説がなされていない (例外は『ランドマーク』ですかね) ので、前提と焦点という用語を敢えて用いて、この構文の肝を解説。前提を踏まえた上で、焦点を問う疑問文が作れるかが鍵となることを、例をあげて繰り返し説いた。
随分古い話になります (1995年です) が、三省堂の今は亡き教科書、Dream-maker II のLesson 4 “The Wizard of Foz” のTMは私が書いていて、この項目をまともに扱っている数少ない例なので、英語科の書庫にでもあったら手にとって、読んでみて下さい (解説の該当箇所は、pp. 142-143) 。ちなみに、この教科書では、この他にLesson 6 & 7 でもTMを書いています (Lesson 7でも強調構文を扱っていて、該当箇所は、p. 271)。本文の解説では、WBDとBBCを多用していた時期でもあるので、この2つの辞書がいかに優れた辞書であったか、私の引いた例でよく分かってもらえると思います。
高3は、センター試験前の特別編成授業とやら。
私のコマでセンター向けにやるメニューはもう終わったので、あとは「達成度」を自分で高めることに心血を注いでもらうのみ。
ただ、年明け、センター試験以降の伸びしろとして、「ライティング」がまだ残っているので、和文英訳というよりもサマリーに関わるハンドアウトを配布。英問英答が怪しくなってきている者もいるので、丁度良いリハビリになるでしょう。「和文和訳」、などと言う前にやるべきことをやるまでです。今日提示した課題は3本。
昭和女子大副学長 (当時) 川平朝清氏の講演 (日本語ですが) をもとにした課題、サッカーの関東リーグかインカレに向けての電車の中吊り広告で駒澤大学 (当時) のエース、盛田剛平につけられたキャッチコピーを使った課題、そして、「クレージーな人々」で話題になった、アップルコンピューターの広告文を使った課題。最後のアップルの広告は、学級文庫に英訳 (つきというか、もとは英語だったのだろうけれど) の本があるので、それを見れば対訳はできるので、それをどう簡潔にまとめるか、というところがミソ。今日は課題の提示だけなので、その残り時間で、ここでも、去年までに終わったはずの『P単』に言及し、かつぞー先生のお手紙紹介。

26日の冬期講習会で使うレジュメと資料をまとめ、Expackで語研の事務室へと送付。ページ数が多いけど、全部印刷してもらえるでしょうか、ちょっと心配です。

(冬期講習会申し込みなど語研のサイトはこちらへ→http://www.irlt.or.jp/modules/eguide/event.php?eid=91)

ちょうど、郵便局へ出かけようというときに、いつもお世話になっている出版社の営業の方が来られたので、資料を頂いたり、

  • 電子辞書派の先生方に、紙辞書の効能を納得してもらうためにはどうすればよいか?

というような難しい質問に対するこちらの考えを伝えたり。
私も一時よりは、電子辞書を使う頻度がめっきり減りました。私の使用モデルは、1世代以上前になるのでしょうか、SR-E10000。老眼が入ってきて、小さな活字はだんだんと厳しくなってきている昨今ですが、それでもやはり、仕事で使うことを考えると、意味を調べるときには、ネットに接続して、オンライン辞書を使うか、COCAなどで検索しますので、電子辞書の出番はほとんどありません (日本語の類義語・同音異義語を確認するのによく使ってはいますが)。 用例検索に関しても、研究社の英和大辞典や英和活用大辞典、ランダムハウス英和クラスの辞書でないと、充分な用例を期待できないので、高校生用の辞書で用例検索をしても思い通りにはなかなかいかないのでは、と思ってしまいます。最近は、GoogleやERekでさえ、「ことばの使い方」を確かめるために検索することはほとんどなくなりました。これは、ブログの急速な普及、tumblrやtwitterなどでの情報伝達の仕方を鑑みたときに、「ヒット数」というものの持つ意味を吟味し直さなければならないと感じたためです。
今PowerBookに入れているのは、

  • Shorter Oxford English Dictionary on CD-ROM

これは、条件検索プログラムが秀逸なのでオンライン辞書にはない魅力があります。
普段の教材研究では、紙と活字の辞書で、定義文やオーラルイントロダクション用のパラフレーズをするので、

  • WBD (World Book)
  • ISED (開拓社)
  • Shorter (旺文社)
  • The Basic Dictionary (北星堂)
  • 岩波英和・新版 (岩波書店)
  • ハンディ語源英和辞典 (有精堂)

あたりの登場回数が多くなります。見るからに古い辞書ばかりです。電子辞書の出番はそれほどありません。それよりは、Web上で公開されている、LDOCE, OALD, MEDなどの辞書をタブを複数開いて同時並行で検索していく方がよほど効果的です。語法に関してなど、運用面での詳細な解説と類例は、書棚の専門辞書を見た方が解決が早いようです。
Kindle、i-Phoneなどでダイレクトにネット接続が出来たり、大容量のストレージを備えた機器が普及してくれば、「電子辞書」というコンセプトそのものが、web-dictionaryの進化によって駆逐されるのではないか、という危機感が私にはあります。「電子辞書で、そのままネット接続できて、大容量のmicro-SDカード対応」などとなったときに、どういうコンテンツをデフォルトで入れておくのでしょうか?そういう根本的な発想を辞書を作る人に聞いてみたいです。
というようなことを早口でまくし立ててしまいました。営業の方、ごめんなさいね。
雑談の中で、今読んでいるのはこれ、といって示したのが、『英語青年』 1967年2月号 (研究社)。
お目当ては、

  • 座談会: 和文英訳欄を担当して  出席---増田綱・小沢準作・山田和男 (pp. 96-100)

凄い時代の凄い企画。
そこから印象的な部分を引いて、本日はこの辺で失礼します。

山田: ただ、こういうことは差しさわりがあるかもしれませんけれども、非常に長い人を私も知っています。20年近くぐらいやっている。そうして進歩しないという人もあるのですよ。これは言ってはいけないのですが、ほんとうに正直に申しまして、かえって新しい名前の中にこれから伸びそうな人が少し出てきた。つい2,3年前までは古顔で、悪い意味じゃなくて、型のきまっちゃった投稿者が多かった。実力がコンスタントな、普通科として、大いに伸びるというような希望を抱かせる人がいま少し増えてきたような感じがするのです。 (p.96)

小沢: いま、1, 2, 3 とだんだん長くなっているのはそういう意味らしいですね。
山田: ところが実際してみると、1 の方がむずかしいときがある。3の方はごまかしちゃって自由作文にしちゃったりしてやれるのですけれどもね。それともう一つ、これはいろいろな考え方があるのだけれども、増田先生が前に言っていらした、出題をする人がきまっていると、とにかくいい意味でも悪い意味でもマンネリズムになっちゃって型がきまっちゃうからとおっしゃいましたね、ほかの人が出したほうがいいんだと。
増田: ええ、そういうこともあるわけですね。 (p.97)

小沢: あなたは学校でやっていらっしゃるのですか。
山田: やらないですよ。(笑)
小沢: それはいいですね。最も賢明な態度です。
山田: やらないどころじゃない、ぼくが張本人なんですよ、一橋ではやらなくてよろしいときめたのがぼくなんですよ、だから幾らか後悔していますよ。(笑) (p.99)

山田: これは私の持論なんで読めもしない者が書けるか、理解もできない者には書けないから、いまの学生だったら、これは読むことの方が先で、読みさえすれば書ける、それは僕が断言すると、そういうことを言いましてね。それで一番初めに学科課程をきめるときに、ぼくがそれでやろうといったんです。皆さんそういうふうにしてくれたんです。それで、やらなかった。さて、それが読む方も読めないし、作文の方も全然だめなんで、それでこれは少しやったほうがいいんじゃないかと。だけれども、作文をやって有効な学生というのは数は少ないでしょうね。

山田: まあ、だいたいどこの学校でも、大学で作文やってるというのは高等学校の復習みたいなものですね。
増田: そうでしょうね、それ以上やってもあまり力がつかない。

小沢: クラスの人数を少なくする、それが第一です。それが出来なければ、作文と称することやって、いわゆる作文じゃないですね。作文と称することをやって幾分かその英語全般の学力を増すということですね。岡倉先生は、英作文というのはあれは和文英訳にしても、なんにしても、読書力を増すわきからの助力としてやるのだと、そう言っていましたよ。それならよくわかるのです。読書力を増すために英作文をやるのだといえば、これはよくわかるのです。そう思ってもらえば、もう大手を振ってできるのです。作文そのものの力はつかないから、これでどうなるのかなあと思いますが、確かに作文をやっていると、こまかくはっきり読むようになりますからね。 (以上、 p.100)

本日のBGM: Voice in pain (Little Creatures)