「杜若衣に摺り付け…」

tmrowing2012-05-06

五月五日は端午の節句、子どもの日。
日本にある全ての原発が停止し、42年ぶりに、日本では原発が全く稼働していない記念すべき日だったのですが、流石に、日々のトレーニングを怠っている者が、ムキになって漕ぐとろくなことが起きませんね。
本業の乗艇練習、最後の最後で、分漕から両舷に移り、スピードに乗った時に私が漕ぐバウのストレッチャーを固定するラチェットレールが「ベキッ!」と破損。老朽化、メンテナンスの不備など要因は重なっているのでしょうが、リリース時に、左の尻〜左脚がストレッチャーを踏ん張り続けられずに、引っ張ってしまったのが、駱駝の背を折る最後の一本の藁となった模様。反省。
ネジ止めする台座部分から補修が必要になる程度に剥がれているので、揚艇後はランニングに切り替えて終了。急遽、1Xにフロートを付けるべく調整に入ったのですが、近い方の湖にあったストレッチャーボードを規格艇の女子艇用にカスタマイズして、遠い方の湖に置いてあったことに気づき、遙々ドライブに出かけましたとさ。S2 Softのオールも1セット積んで帰って来られたので、週明けの練習の準備が進んだことを素直に喜びましょう。

正業関連の友人がこの連休最後に「はま先生」の本を読むというのに触発され、私も書棚から引っ張り出して読み返す。

(前略) 勉強し始めて考えますと、今の教室で、出てくることばが貧しいと思えるのです。単元について、最後にこれでやれるかと考える最後のものが、出てくることばだと思います。ことばでない国語の時間に勉強していることは、国語の先生の範囲に入っています。しかし、ことばを使って、みんな生きていましてことばを国語の先生の分量、中味だというようには、簡単に言えないと思います。社会科であろうと、何であろうと、たくさんのことばで、文章で学習しているのですから、その間にいろんな読解の力や何かついてくるわけです。
 ですけれども、語彙となりますと、これは国語の先生の大責任、ほかに誰が本気になってことばを磨いたり、ことばを増やしたり、そういうことができるでしょうか、やっているでしょうか。ですから語彙の面が十分でないという単元は、私はとりあげないことにしていました。このテーマで勉強する、「アイヌ、その意味は『人間』」であろうと、「一基の顕彰碑」であろうと最後的には、これでどんなことばが、出てくるだろうかと。勉強している最中に、話し合いの中とかに、どういうことばが出没するだろうか。また、ことばとして行き交うだろうか。これらを検討して、最後的にこの単元をするかしないかを決めています。

これは、「単元 ことばの感覚をみがき合う」、『大村はま 国語教室の実際・上』 (渓水社、2005年、p.266) という講演録からの引用。教科の違い、時代の違いはあれども、「ことば」に関わる教師として忘れてはいけないことが、書かれています。
新課程の高校教科書、とりわけ『英語表現』に関して、最近「英語授業工房」でも取り上げられていて、高校英語界で信頼を寄せる方々のコメントも寄せられていました。そこで自分の初心に返ろうと、はま先生のことばを反芻していた次第。「英語表現」という科目が、本当に「ことば」の科目になるためには、その科目を授業する教室で豊かなことばが交わされ、一人一人の身につくことが求められると思います。そして、自分の身についたことばで何を話し、何を書くのか、教科書の果たす役割はとても大きいはずです。
呟きやFBでもリンクを張っておきましたが、

ベテラン編集者である上坂洋史さんのブログ
「英語教育レボリューション―もっと言葉に力を!」エッセイ16―新指導要領下の教科書を展望する (http://wordpower.blog84.fc2.com/blog-entry-50.html)

をお読みになった方はどのくらいいるでしょうか?今回のエッセイは高校の新課程教科書について書かれています。そのうち、「英語表現」に関しての指摘には大きく頷きました。高校英語指導者には是非ともお読み頂き考えて欲しい内容だと思います。見本を見る限りではがっかりさせられる「英語表現 I」の教科書が多い中、上坂氏の関わっている「英語表現II」がどのような教科書になるのかにも、注目しています。
私自身は、現任校の新課程に向けて、「英語表現」ではなく、「学校設定科目」を新設し申請しました。当然、検定教科書ではなく、自主教材を使うことになると思いますが、検定教科書も出そろった時点で比較検討していくつもりです。
今日読み返した、はま先生のことばでハッとしたのは、

よく見てみますと、それはスピーチとか朗読とか、そういうことなのです。それはそれでいいのですけれども、そういうのは大正に育った私たちだってやってきました。まがりなりにもスピーチはありました。ずいぶん熱心にやっていました。まあ、旧式というだけです。(中略) いちばん大事な話し合いということについては、やっぱり同じではないか。させる人はたくさんいて、教える人がいないということ。(上掲書、p. 5、「単元 『赤い鳥 小鳥』の実際」)

という、ある単元の説明部分。その続きをもう少し詳しく引いておきます。

自分のできないことを教えようという気持ちになる人は、あまりいませんね。できないこと、経験のないことを教えてほしいといわれても、扱えっていわれても元気がでません。たまにそうっとやってみると、たいへんな教室になってしまいます。こんなことをしていたのでは授業にもなにもなるものではない、こう思いますから、やっぱり読解をしている方が安心じゃないかしら、学力低下になっちゃうなんて思って、また話し合いの指導をやめるというような。
そのとき、私たちの方に、話しことばの会ができたのです。つまり、これは自分たちができないからだ、自分たちが話し合いの値打ちを体験していれば、それこそが日本の歴史を改めていくものだということや、生活を楽しくするものだ、ということや、いろんなことをです。それを自分たちがほんとうに考えていて、考えていてもそれができないものですから、それで話し合いをするのがいやになる、できないことを教えたくないのは人情ですもの。ですから、私たちは、話し合いということを自分たちで勉強しよう、話し合える人、すぐれた話し手になろうといって、話しことばの会は出発いたしました。

目から鱗を落とすために、気づいているばかりではいけませんので、自分の実作へ。
少し先の話しですが、今年の8月中旬に、教員対象の研修会で講座を担当することになりました。「高等学校のライティング」に関わる内容になると思います。今月中には詳細が明らかになるでしょうから、このブログでも告知します。
2009年の12月には語研で、2010年の8月にはELECの協議会で、それぞれ「ライティング」に関わる講座を担当しましたが、単独の講座としては、それ以来で、それに続く内容と言えるでしょうか。

2009年12月26日 語学教育研究所冬期講習会 
What makes a writing teacher? 〜英作文教師の舞台裏〜」
「ライティング」という科目は消えても、「書くこと」の指導評価は続く。「書こう」と思わせるタスク立案の苦悩、「書くために読む」教材研究での視点、添削・評 価の観点など、「コミュニケーション」「自己表現」「パラグラフライティング」などのバナーの下、授業に臨む「高校ライティング教師」の舞台裏をお届けしたい。

内容詳細は、過去ログ、
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20091201
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20091227
などから推察願います。

2010年8月14日 ELEC 夏期英語教育研修会
今さら「ライティング」? 今だから「ライティング」!
・今「ライティング」指導を振り返る
・テクストタイプに応じた指導
・論理 (=タテ糸) と英語表現 (=ヨコ糸) 〜「言いたかったけれど言えなかった言葉」とどう向き合わせるか

内容詳細は、過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20100606
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20100817
をご参照あれ。

さてさて、今年の講座はどこに向かいますやら。
私がやることですので、最新のトレンドのお披露目というのはほとんどないと思いますし、新課程の「英語表現」礼賛とか、「私のこういった指導法を踏襲しておけばバッチリ」という内容にならないことは確かでしょう。まずは、過去ログも含めて、このブログの記事を読んでいただいてから、受講するかどうかの判断を下してもらうのがいいでしょうね。ということで、ご縁があったら、8月にお会いしましょう。

  • 阿部公彦 『小説的思考のススメ 「気になる部分」だらけの日本文学』 (東京大学出版会、2012年)

が届いたので、ボチボチ読み進めます。以前、『水声通信』で発表された小島信夫論がリニューアルされて収録されたことが単純に嬉しい。(過去ログ「再読の絶対値」参照: http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060406) 多くの人の目に触れ、思考を揺すぶることを期待します。

本日のBGM: driving somewhere (Stephen Duffy & The Lilac Time)