「うまい話はないのかな」

先月、京都で行われた小学校英語教育関連の研究会で

  • 英語の指導に不安もあるが、先生がどれだけ楽しめるかが大事。教えようとせず、子どもと一緒に学ぶつもりで臨めばよい。

などと無責任なことを言い放った指導助言者はいったい誰なのだろう。

第3回全国小学校英語活動実践研究大会(2007年1月26日、27日、京都にて開催)に関するレポートに上記発言を発見。誰の発言かは記されていなかった。
大会案内を見る限りでは、助言者と思しきは以下の方々。

  • 影浦攻(鹿児島純心女子大学)
  • 斎藤栄二(関西大学)
  • 直山木綿子(京都市教育委員会)
  • 菅正隆(文科省)
  • 松川禮子(岐阜大学)

世間は学校教育の内容や成果に対して寛容になったのだろうか?いや、そんなことはないだろう。世間の「学校教育」に対する風当たりは、「学力低下」「いじめ」「学級崩壊」「履修漏れ」を例に引くまでもなく、極めて強い。しかも常に逆風である。そんな中、国語や算数などの教科指導、または学級経営や生徒指導で上記のような指導助言がなされるだろうか?

  • 「教科指導に不安はあるだろうが、先生がどれだけ楽しめるかが大事。教えようとせず、子供と一緒に学ぶつもりで臨めばよい」

といってもらえればそりゃ、安心だろう。でも、教師をその気にさせておいて、PISAなど学力低下が問題になると、とたんに「授業時間10%増加」と言い出すのは誰なのだ?

  • 「学級経営に不安はあるだろうが、先生がどれだけ楽しめるかが大事。子供と一緒に学ぶつもりで臨めばよい」

などと大らかに教師を受け入れてくれる環境・体制がこの日本に存在するというのだろうか?何かあれば、すぐに「指導力不足」として再研修に送ったり、辞めさせたりしているのは何処の自治体なのだ?
小学校に教科として英語を導入するのであれば、文科省・地方自治体は予算・人材等を本気で確保するべきだろう。もし新たな人材が確保できず、「英語活動は担任が指導するから面白い」などといって、現有の小学校教諭の研修で乗り切ろうというのであれば、研修に出られるように授業や校務の時間軽減などの措置を講じる必要がある。来年度、38億の予算要求に対して6億2千万しか獲得できなかった以上、当初の予定も6分の1くらいに縮小せざるを得ないのは小学生でも計算できよう。ところが、予算の裏付けがなくなっても、現場の自助努力をあてにして見切り発車するのが教育行政なのだ。このような「状況」「現状」を世論に問うこともメディアの役割のはずなのに、肝心なことがニュースや特集にならない。そんなトレンドの中、『週刊東洋経済』の2007.1.27特大号の特集「全解明ニッポンの教師と学校」(pp.38 - 85) は教育ネタとしては、きちんとした誌面構成だったと言えるのではないだろうか。「時給1000円の教師たち」(pp.46 - 47) などは身につまされる内容。未読の教育関係者は書店にバックイシューを注文しましょう。(私の身近なところにいる方はメールを戴ければお貸しいたします。)
さて、高2の授業は、コンピュータ室。「今月の歌」の発音練習。合唱。コメント集の着眼点を指摘。Acrosticのグループ課題は、昨年の例を二三示して、刺激を与える。2時間目は、K先生の伝で授業見学の依頼があり、来室。基本的には1時間目と同じ。私はほとんど何もせず、生徒が活動をしていく中で、時々気づきがあるようにと、流れを作る授業にどんな感想を持ったことやら。これで、しばらく授業が空くので、グループ作業と個人での取り組みとをしっかりやってくれることを期待するのみ。来週はacrosticの提出とフィードバックがあり、忙しくなる。最終週はグループの発表の予定。
3時間目に高3の生徒の要約指導。課題文で、話題が二つ提示された場合に、どちらかに焦点・力点があるのか、それとも両論併記なのかを見極めることの重要性を指摘。本日の指導は終了。
別のK先生から、今年の改善協の様子を伺う。聞く限りでは取り組みも随分様変わりしたようだ。荒川の英語特区に関わる資料なども見せていただく。同友会はどういうスタンスで関わるのかなぁ…。
帰宅後、『AERA English』をパラパラと。TOEIC (R) 900点ホルダーの学習履歴を公開、というのだが、この特集で紹介されている人たちの仕事・肩書きを眺めてみた。

  • ユニリーバ・ジャパン・カスタマーマーケティング
  • シーメンス旭メディック業務推進本部ビジネスコマーシャルグループ
  • モトローラCDMA ネットワークサポートグループ
  • 通訳ガイド
  • 丸紅情報企画部業務改革推進チーム
  • マネックス証券商品サービス部

巷では「英語が使える日本人」と血眼になっているようなのだが、小中高校生の「仕事で英語を使うってどういうこと?」という疑問に対して、このような特集はまったく機能しないだろう。現実に教室での学びとこのような業務との間に接点がないのだから。経済界などが仕事での即戦力としての英語力をいくら教育現場に押しつけようとも、それが強い動機付けとなって小中高の教室での学びが促進するとは到底思えない。中途半端に「誰かの現実の使用場面」を導入するのではなく、「自分の学びの中で実際に英語を使わせる」ことに発想を変える時期にきている!と繰り返し繰り返し叫び続けよう。
本日のBGM: 住所不定無職低収入(細野晴臣)