文法の「準教科書」をこそ和訳先渡しで!

高校レベル、大学入試レベルの英語を扱うには「文法力」が必要不可欠であり、教材の意味の確認を口頭でのinteractionだけで処理仕切れるものではないことはもちろんである。たとえば、名詞構文などと呼ばれる圧縮された英語表現はオーラルだけで扱うのは大変である。「精読を高校英語に取り戻す」≠「高校教師は文法訳読しかやらなくなる」ということを多くの人に認識してもらいたい。例えば、

  • the inability of international conferences to come up with an agreed resolution on the rules of conflict and disarmament

という英語がこれ全体で名詞句であり、これが主語になったり目的語になったり、同格での言い換えになったりするのだ、と瞬時に意味処理できるためには「文法力」が必要であろう。ただ、従来の問題演習型の授業で、並べ替え作文、4択の空所補充などをいくらやっても成果は芳しくないだろうというのである。
中学校でも私学ではある程度当てはまると思うのだが、高校(しかも進学校と言われる高校)の英語授業で顕著な文法「指導」を本気で見直してはどうだろうか。現行の「指導」の典型例としては、
B5サイズの「教科書」の左ページに文法項目ごとの例文、右ページに簡単な問題演習という見開き2ページ完結。巻末には入試問題から「精選」された補充問題。そして、この「教科書」とタイアップした学習参考書があり、さらには、項目立てがほぼ全て同じ発展問題集がある。多くの高校では、一定の範囲を授業で扱えば、小テストが繰り返し行われる。
だいたい、このような「教材」を高校の2年生くらいまでに終えて、高3では「大学入試頻出問題」と思しき、文法・語法・イディオムの演習に移る。高3の2学期後半以降はセンター試験の過去問または予想問題演習という流れだろうか。
このような「指導」が行われ、大学入試も突破しているのに、大学の先生からは「近頃の学生は文法ができない」という嘆きを聞く。高校段階で一向に文法力が養成されていないのである。最近、自分が発表する研究会などでは、できるだけ「高校の英語教師は文法を教えるのが下手だという自覚を持とう」と言っているのだが、参加者からの反応は芳しくない。
私は、文法が不要だと言っているのではない。ましてや、予備校の講師や参考書の著者に時折いるような「私の文法の教え方なら、こんなに簡単に文法が身に付きますよ」と独自の文法用語や理屈を用いて差異化を図ろうというのではない。現行の「指導」で生徒が文法力を身につけた、と錯覚しない方が良いと言っているのである。
いわゆる文法「教科書」の構成で顕著なのが、左ページの情報提示。これは何十年も変わっていないのではないだろうか。
新出の文法項目がより小さな項目立てで、見出しとなる文法用語の日本語→語句または英文→申し訳程度のコメントという情報の提示しかなく、英文の意味は「まず学習者が予習で考える」ことを想定しているかのようである。新出の文法事項を含む英文の意味が自力で分かるくらいなら教師も授業もいらないだろう。文法の授業が答え合わせにしかならないから、答えの合わない学習者は面白くないのである。しかたなく、正答のパターンを暗記することになり、「一度見たことのある問題に素早く対応する」能力を鍛えるわけである。
これではいつまでたっても、「自分の頭に浮かんだ意味を英語で表現するための文法力」は身に付かない。
まずは一文主義からの脱却をはかることを考えてはどうだろうか。これには、二通りの解決策があるだろう。

  • 二文対比など文脈を作ることにより、特定の文法事項により強い焦点を持たせる
  • チャンクやコロケーションなど、文を作る、語より大きく文よりも小さな意味の単位要素をまず練習させる

二文対比に関しては、学校文法で扱う項目の多くを平井正朗著『特進レベル 二文対比の英文法スキル90』(英潮社)で確認できるし、チャンク文法に関しては、田中 茂範 、 阿部 一 、 佐藤 芳明著 『英語感覚が身につく実践的指導―コアとチャンクの活用法』(大修館書店)や『多読多聴マガジン』(コスモピア)での長沼君主氏の連載などに詳しい。
「文法」という授業を独立して設けるのであれば、情報処理や練習の方法を次のように変えてみるところから手をつけてみては?

  • 例文の和訳が教師用指導書などで存在するなら、その和訳で例文集を作成する。
  • 和文の方を提示しておき、その意味を表す英文はいったいどうなるか、と考えさせて正しい英文をディクテーションする。ここで、ターゲットとなる英文をいきなり完成させられる生徒はほとんどいないだろうし、聞き取りが不十分でも意味をもとにして既習の英語を用いて別の英文を完成させられる生徒も少ないだろう。それぞれの生徒なりに、いくつか間違えた英語を書き取っていると思われる。お互いの書き取った英語を比較検討させても良い。こういう作業は教室でしかできないのだから。
  • 正しい英文を提示し、各自の書き取った英語と照らし合わせる。意味と形式をマッチさせるのであるから、提示した日本語も英語も類型化できるものであれば、新しいルールとして受け入れ可能なはずである。問題は、それ以前に学んだルールと矛盾するのではないか?という学習者の疑問・不満にどう答えるかである。なぜその「形式」が適切なのか、既習の文法事項を含む英文との対比、その文が答えとなるような疑問文との対比などを用いて、ターゲットとなる文法項目に焦点を当て、「日本語で」解説するのがいいだろう。
  • 正しい英文を音読する。チャンクごとに取り出して音読やシャドウイングをすることもできるだろう。その後、substitution drillsや疑問文・否定文などのconversion drillsで強化すればパターンプラクティスの段階はクリアーできる。

次に、右ページの問題演習も和訳を先に示しておいてはどうか。

  • 基本問題であれば、教師が口頭で言った英語表現をsentence repetitionの形で行わせてから開本させればよいし、4択の空所補充であれば、空所に書き込みをさせず、口頭で正答を言わせて、チャンクの取り出し方を二三変えながらリピートさせてから空所に記号ではなく、英語を記入させるようにする。このチャンクの取り出し方を変える、というのはあまり高校の授業では行われていないようである。上述の
  • the inability of international conferences to come up with an agreed resolution on the rules of conflict and disarmament

という語句であれば、

  • the inability of international conferences / to come up with an agreed resolution / on the rules of conflict and disarmament

というようにスラッシュを入れて、ただ左から右へと進むだけではなく、

  • the inability to come up with a resolution
  • an agreed resolution on the rules

という切り出し方でも練習をしておいた方がいいだろう、ということである。当然<inability to 原形><agreed resolution on>の解凍・展開が必要ならするべきだろう。

  • 2文以上のディスコースを持った英文を練習させたいのであれば、grammar dictation (dictogloss) を活用することができる。
  • 和文英訳の問題も、このような「教科書」では特定の文法項目がターゲットなのであり、別解を提示する必然性はほとんどないのであるから、ディクテーションで十分である。
  • 問題演習の段階でも、和訳から与えているので意味の分かっている英文を繰り返し音読することになり文法構造の自動化に寄与することも可能であろう。

これだけでも、相当に時間を取られると思うが、今はやりの「和訳先渡し」で英語 1 やリーディングの授業から余剰時間を捻出すれば可能であろう。
と、ここまで書いてきて、気が付いたことがある。
文法指導のために和訳先渡しを行い、口頭練習の積み上げから、ディクテーションをさせたり、英文を完成させたりする流れは、1970年代の「グラマー&コンポジション」の頃の指導手順と大きくは変わらないのである。私が高校生の頃の教科書でも必ず「オーラルコンポジション」の項目があり、文法の授業といえどもヒントとなる語句が与えられた後で英文を口頭で言わされた。高校1年の時は木村明を愛用するM先生に教わったので事なきを得たが、これが頻出問題集演習大好きな先生だったら、事態は変わっていたことだろう。要は教師の英語力・指導力の前に、英語力「観」が問われているのだ。このように、「文法」の授業で和訳を先に提示するのであれば、あまりにもつまらない例文が教科書に載ることは減り、何をやっているのか分からない生徒も減るのではないだろうか。
あまりにもinput → intake → output という図式に雁字搦めになっていると、「コミュニカティブ」というバナーの陰で文法解説・文法学習は鬼っ子扱いのまま終わってしまいかねない。私がここに示したような「異端」の教えには従えないというのであれば、「教科書」ではなく「学習参考書」を用いて授業をしてはどうだろうか?参考書では和訳が必ず与えられているのであるから、解説の手薄なところ、既習事項との対比、文法項目のターゲット以外で含まれている難しい語彙の手当など、やるべきことはいくらでもあるだろう。
文法教材こそ、和訳先渡しを検討するべきでは?
本日のBGM: Wise Up (Aimee Mann)

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