18ギガ vs. 40メガ

失意の火曜日。
朝あわただしく身支度をしながらもニュースの新政権組閣の話題に耳を貸す。アナウンサーが「らちたんとうだいじん」と言ったので、「おいおい、それは違うだろ。『拉致問題』の担当じゃないのか。どういうアナウンサーだ」と憤っていたら、妻が「アナウンサーが悪いんじゃなくて、そういう用語なんじゃないの」というので調べてみてびっくり。本文では「拉致問題担当大臣」と書いているものの、新聞等の見出しでは「拉致担当大臣」で通用しているのだ。何とかしてほしい。
通勤時のシャドウイングのネタにCNN RadioのPod castingから「9.11から5年」というような特集のファイルをiPodにコピーしようとしたら、10メガ分くらい足りなかったのだった。何か、もう聞かなくなった教材などをフォルダごと削除すれば、入るだろうと思って、暗誦基本例文集を選んでクリック。やけに時間がかかるなあ、と思いながらも、作業を終え、家を出て電車へ飛び乗る。インタビューの人選バラエティーも良く、面白く聞きながらシャドウイング。ところどころ、「おおっ、今のはなんて言ってるんだ?!」いうものが出てくるが、やはり初見(初聞?)のシャドウイングが一番リスニングそのものの練習になる。途中乗り換えの際の階段では中断しながらも約40分間のファイルで、充実したトレーニング。さて、気分転換に、大貫妙子でも聴こうか、と思ってプレイリストから選ぶが、反応なし。あれれ、とホイールをくるくる、中身を確認して、唖然。カラです。18ギガ、約6000曲あったものが、CNN pod castingの40メガ分のファイルのみ。あちゃー、やっちゃいました。道理で消去に時間がかかった訳だ。マックのHDDとバックアップ用のモバイルHDDに入っているものは復元できるけど、自宅のCDを整理する際にiPodに入ってるからいいやということで、大量に処分したものの中にはレアものも入っていたんだよなあ…。マニアックな趣味もそろそろケリをつけなさいという啓示か?
そんな失意の中、授業はといえば、プロとして滞りなく進めました。高2「英詩…」ビデオ収録も終了。今日のグループ課題は、Dylan Thomasの文章(Notes on the Art of Poetry)を素材に、グループで4カ所、2文以上のまとまりを抜き出しパラフレーズの問題を作る。当然、模範解答として自分たちのグループが選んだ部分は英語でパラフレーズを考える、というもの。「中間考査では、この同じ英文に下線を引いて、パラフレーズせよという問題を出すから、簡単なところだけやっていると、試験の時に、どのグループもやっていないところに線が引かれることになって困るよ」とだけ指示。ビデオ収録を終え、教室に戻ると、皆頑張っていました。すごいよね、この学校の生徒たちは。
高3ライティングは、もう一つのクラスで昨日と同じ手順。昨日出て来たばかりの隣のクラスの作品を書画カメラで見せておきました。暗唱に向けたペアワークも、対面でのrepeatingはそれなりに難しいようで暇をもてあます生徒は皆無。問題は、一定の型を踏まえた上で、新たな課題を与えられても自分の英語で説明・定義できるか、ということ。型を覚えて再生するだけなら小学生でもできるのだが、それはまだコミュニケーションではないのだ。たとえば、自分が覚えた英文を使えば答えられるのに、英語で質問されたりするととたんに英語が出てこない、とか、自分が覚えた英語を言ったあとに、単純に聞き返されただけで、何をもう一度言えばよいかさえわからない、などというレベルでとどまっている反復練習では不十分である。

  • The New Year is important for Japanese. We send nengajo --- New Year’s greeting cards. We eat mochi and osechi-ryori. They are traditional Japanese foods. (『陰山英男の反復練習はじめての英会話』アルク、p.110)

という英文を暗誦できるくらい反復練習するのはいい。でも、What is mochi made of? What is special about mochi? とかWhat’s the difference between nengajo and Christmas cards?って訊かれたら、黙ってしまうでしょ。日本文化紹介は中学高学年や高校生など語彙力や構文力がある程度ついた頃に行えば、充実した活動になるのだから、先取り先取り、前倒し前倒し、で成果を競ったり、焦らなくてもいいのに。大まかな定義や説明は高校の先生がcubingなどをちゃんと教えれば1年でできるようになる。ただ、日本で学ぶ限りにおいては、その後もそれほど高度なことが英語で出来るようにはならないこともわきまえておかなければならない。小学生のうちここまで出来た、のだから、中学ではもっと高度なことを、高校ではもっと、もっととやらせたがるのはやめたらどうかと思う。名詞以外の語彙を地道に増やすことと、文あるいは、単語より大きなチャンクを作るルールを体感させる活動をしなければその後の応用に結びつかないのではないか。今回引用した『反復練習…』でも、たなばたを扱うレッスンでは、「今回の英語は、難度が少し高めなので,子ども向けの解説にあるように、単語の意味をひとつずつ正確に理解させ、反復させてみるとよいでしょう。」と指導者向けの注記がある。ある時には、「分からない単語があっても、リズムでまとまりとして、メロディーのように子どもは英語を覚えるのです」といっておきながら、ある時には「単語一つ一つの理解が重要です」という。語彙や構文をそれなりに制限して教材・シラバスを組んでいる中学校英語と違い、この語彙・構文への場当たり的対処はいわば児童英語・小学校英語の最大の弱点であろう。

高32学期のライティングの授業では、生徒も教師も学びの真価を問われることになる。
本日失われたBGM: Blind Man's Zoo (10,000 Maniacs, 1989年)