”When a generation’s lost its place”

明日は中学入試なので準備のため午後の授業はカット。そのため片方のクラスのみ。進度の関係もあり、歌をもとにした展開で意図的に足踏み。”Mercy mercy me”の歌詞から課題を設定。

  1. What does the title mean? タイトルの意味は?
  2. (the wind that blows) from the north and south and eastとあるのだが、 Why does the line fail to have “the west”?
  3. Animals and birds who live nearby are dying. とあるが、このare dyingはなぜ dieではだめなのか?
  4. How much more abuse from man can she stand? のstandを言い換えると?

問いの3,ではしっかりとした理解がなされており安心。昨日導入したことわざ、A drowning man will clutch at a straw. を再度確認。
問いの4.ではendureくらいしか適切な言い換えはなかった。resist などと答える者もいて、まだまだ、パラフレーズに必要な「語義」と「文脈」と「語法」の知識に乏しい者が多い。今回は次のように指導。

  • 生徒のあげたendureを契機に、bear, put up with, tolerateを確認。他動詞で用いる、put up の動作のイメージを、立方体の展開図、傘、テントの図解で示したのち、「外圧」の矢印を書き、それに対して持ちこたえるので、「対応のwith」というつじつま合わせをして、stand とput up withの共通したイメージを伝える。「外圧に対してハリのある状態を保ち続ける」という基本義に対して、その逆は、「ハリを失い、崩れる;つぶれる;へこたれる」なので、break down; collapseを導入。ラグビー部員がいたので、スクラムを崩す反則「コラプシング」ということばを引き出し、「ハリのある状態」と「張りを失って崩れた状態」のイメージを持たせる。で、standに戻って、<助動詞・疑問・否定>という文脈で用いることを指摘。

これは「教師の側からの理解」を示したものである。この「説明」をきいて、なるほど、と思う者もいれば、「何それ?」という者もいるのが教室なのだ。「腑に落ちる」者もいれば、「渋々受け入れる」者もいて、「無関心な」者もいるのである。ここでのstandに対して、resistをあげた生徒が、どのように意味を解釈していたのかを推測することは難しいし、他の生徒や教師の示したパラフレーズがなぜ適切で、自分のパラフレーズがなぜ不適切なのかは「納得するしかない」ことには変わりはない。語彙の定着に唯一無二の確かな方法などないと心得ておくことが肝要。
その後は、Marvinの歌声を一通り聴いて歌の練習。進度調整としてはまあまあの出来ではないだろうか。
今日は、下北沢に寄って帰宅。Mona Recordsが少し模様替えしていた。ライブ前だからか?
古本屋で、Nan’un-do’s Contemporary LibraryのThe Laughing Man and Other Short Storiesを入手。J.D. サリンジャー、100円なり。注釈が小島信夫。これは、1992年の31刷。初版は1963年。この時代の英語教育界における小島の立ち位置を窺い知ることもできようか。
佐伯正剛著『翻訳の曼荼羅:英語と翻訳の不思議』(国書刊行会、1998年)という本を発見。俳句、短歌、諺などの翻訳に関しても考察されており、豊富な実例が提供されている。「『横紙破り』又は『つむじまがり』の人は『率直だ』」という項 (pp. 64 - 65) がとりわけ面白かった。英語の日本語訳と日本語の英語訳の双方をつなぎあわせて辿ることで、反対の意味の語に至る、という遊びの要素がある考察。パラフレーズや類義語・反意語を考える際に重要な示唆を与えてくれる。

  • 横紙破り→perverse→つむじ曲がりの→contrary→不利な→(中略)→おとなしい→meek→率直な

英和辞典・和英辞典、さらには「単語集」で、ある語に対して列挙される訳語を学習者がどう処理しているか、という問題を考えるのにも有益だった。
「訳読」と十把一絡げにすることの愚はこのブログでも再三指摘しているのだが、なかなか理解されないようだ。そこが理解されないと、「訳語」の問題、「語義」の解説の問題は、結局ブラックボックスのままで終わってしまうのではないか。
行方昭夫著『英語のこころを読む』(ちくま学芸文庫、1996年)にこんな一節がある。

  • あまり細部にこだわっていないで、だいたいの意味が分かれば、どんどん先に進もうという。そうできればそれに越したことはない。でも何が書いてあるか大筋が分かると言える英文となると、単語も構文も相当平易なものでなくてはならない。多少とも込み入った文章の場合は、とばし読みは困難である。/列車に乗り合わせた隣の人に「これ食え」とみかんか何かを差し出されたら断る人も、「召し上がりませんか?」と言われたら、きっといただくことだろう。みかんを食べなさいという内容は同一でも、これだけ表現が違えば、伝える意味内容も違ってくるではないか。アバウトな理解では困ることが多いのだ。(pp. 39-40)

では、アバウトな理解を脱するにはどうすればいいのか?行方氏はこう言う。

  • 速読では歯が立たず、精読によってのみよく理解できるような英文の実例を示すしかないと思う。丁寧に辞書を引き、文法を調べ、前後関係・文脈から論理の一貫性を整えるのが、正確な意味を捉えるのにどうしても必要なのだと納得させればよいのだ。(p.42)

昨今の英語教室はスキルに目を奪われている間に、もっと大切な何かを失ってしまったような気がしてならない。いや、ひょっとすると奪われたのかも知れないし、自ら捨ててきたのかも知れない。
本日の失われたBGM: Lost Generation (Elliot Murphy)