ビジネス英語 > 学校英語?

巷ではよく「ビジネス英語」などという呼称が飛び交っている。何をさしてそういっているのかは人により様々。NHKラジオでの講師を長らく務める杉田敏氏の講座など、実際にビジネスでの英語交渉を必要とはしていない多くの人にも受け入れられている「ビジネス英語」もあり、学ぶべきことは多い。外資系企業や国際的な交渉を受け持つ省庁での要職を経て、その肩書きをもとに、企業や大学で英語を教えている人が多い印象を受ける。その中では『基礎から学ぶ英語ビジネス・ライティング』(研究社)などの著書でも知られる関西大学教授の中邑光男氏は積極的にSELHiにも関わるなど、高校・大学の接点に電流を通わせる役を担っており敬意を表したい一人である。(氏のサイトやブログから学ぶべきことは極めて多いので是非一度訪ねられたし。)
ビジネス英語の世界の住人ともいえる方々の発言で時々目にするのが、次のような学校英語批判。

  • 学校で英語を教えている人の中には、実際に英語が使われている状況をよく知らずに、自分が英語の専門家であると思っている人が多い。そういう教師に英語を教わっているのだから、学生も英語ができるようにならないのも無理はない。
  • 英語教師が学校で教えている英語は実際のビジネス最前線で用いられている英語とはかけ離れており、即戦力とはほど遠い英語力の習得に多くの時間とエネルギーが浪費されている。

物言えば何とやらである。「英語が実際に使われている状況」とは何をさして言っているのか?中学校一年で教室英語を用いての言語活動も「英語が実際に使われている状況」である。ビジネス英語を大学などで教えていて、「高校までの英語教育の成果が不十分である」と批判するのはいいだろう。しかしながら、その不十分な成果の上に、大学や企業での英語教育はかろうじて成立していることを忘れた評論家のような言説には怒りを覚える。実際の英語母語話者が用いている、または用いるべき(裏返せば、用いるべきではない)とされる英語の実態をいくらデータやコーパスで示したところで、現実の中学校・高校の現場では、どのように10コの英単語を覚えるのか?100コ覚えたと思っていたら翌週には半分忘れてしまう自分の記憶をどうするのか、どのように自分の間違えた英作文の添削を理解するのか、などといった個別の学習で精一杯なのである。
『英語展望』2006年夏号が届いた。
「トータルな英語教育のパラダイムをめざして 教育現場・TESOL理論・文科省政策の ”3本の矢” をたばねよう」
と題された座談会での、東京学芸大教授の金谷憲氏の発言は熟考に値する。

  • TESOLは英語だけの立場です。教育制度や環境などの制約から自由な場での研究といえます。現場から言わせれば、SLA(第二言語習得)研究なんて流行しているけれども、あれは長い長い年月の話ですね。今日教えたものが来週どのくらい生徒が忘れないでいるかという話は学問的には無理でしょう、となる。(中略)スパンが全然違う。(p.12)

ESPやEAPは大学や大学院でどうぞしっかりと行ってください。ただ、「最近の学生の英語力は…」といくらなげいたところで、大学入学時に基本的な英単語を2000語から3000語覚えている学生は高校生のうちの半分もいれば良い方なのだという認識をしっかりと持っていただいた方が教える側も学ぶ側も精神衛生上よかろうかと思う。どの学校種であれ「自分がこの生徒・学生の英語力を一からつけるにはどうしたらいいのだろうか?」という意識を教授者が持てれば、学校種各段階の接点に本当の意味での電流が通うのではないだろうか。
社会ではこのくらいの英語力が必要、では大学卒業までにこのくらいの英語力を、では高校まで、中学まで…、とどんどん前倒しになって結局は幼児教育の段階からの英語教育へとなし崩しになっていくのでは何の解決にもならない。
「乾いたところで笑っていられる」輩にはなりたくない。
本日のBGM: 『壁に向かって』浜田省吾 (1976年)