ある日、職場から帰ると小包が届いていました。
若林俊輔 著(編集:小菅和也、小菅敦子、手島良、河村和也、若有保彦)
『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016年6月20日発売)
研究社の津田正様よりご恵贈賜りました。
腰帯にはこのようなキャッチコピーが。
若林俊輔先生が生きていたら、
今の英語教育に
何を言っただろう?
はしがきに当たる部分で、編者の小菅敦子氏は次のように問いかけています。
- 「なぜ、いま、若林俊輔なのか?」
この問いの持つ重みは、読者によって、大きく異なるだろうと思います。
読み始める前に決めていたことが一つ。
- 決して、センチメンタルにならないこと。
一気呵成、という形容が相応しいくらいの勢いで読了。
今はまだ、「書評」という形では書けそうにありません。
著者の若林俊輔氏は2002年3月2日没。
私は東京外国語大学在学中 (1982年〜1986年) に若林氏の薫陶を受け、英語教師となりました。
この過去ログでも記していましたが、入学前にふとした偶然で若林氏と出会っています。
雑誌『英語教育ジャーナル』(三省堂)の1982年4月号特集「やめてしまえ英語教育」の誌面ででした。
その後、教壇に立って30年、このブログを始めてから干支も一回りしようかというくらい月日が経ちましたが、自分の英語教師としての節目節目で、若林氏に教わったこと、若林氏のことばを思い起こしてきたといっていいでしょう。
とは言え、語研のメンバーとして若林氏の跡を継ぐでもなく、COFSで揉まれた直系の弟子筋でもなく、大学の英語科教育法の担当者として英語教師を育てているわけでもない私に、この本が贈られてきたことの意味を噛みしめています。
この度の新刊『英語は…』は、これまでに雑誌等で発表された記事、論文・論考を5人の編者がそれぞれの視座でまとめたものとなっています。
既に、和歌山大学の江利川春雄先生のブログで書影や目次が紹介されていますので、私は、年表との対比で、今回収録されたそれぞれの記事の時代区分というか、位置づけを見てみたいと思います。
[↓]アイコンをクリックするとpdfファイルが開きます。
若林各記事発表順.pdf
これを見ると、
70年代の記事が14本
80年代の記事が14本
90年代の記事が15本
00年代の記事が3本
となっています。
個人的には、70年代の東京学芸大学所属、またはそれ以前の記事や発言をもっと読んでみたいと思いました。
というのも、本書でも多く引かれている雑誌、『現代英語教育』(研究社)の1995年5月号の特集、「戦後50年:リストで読む英語教育」には、次のようなリストが載っているからです。
学芸大時代に充実した記事を発表し、今私たちがよく形容する「若林節」とでも言えるスタイルが形成されていったのだろうと推察します。
また、
Teacher’s Manual to The Junior Crown English Course
『中学英語事典---語法から指導法まで』
主幹 中島文雄 (三省堂、1966年)
には、同事典の執筆者の一人として若林氏も紹介されています。
若林俊輔
東京工業高等専門学校講師.1962〜63年ミシガン大学留学.中学校での経験が長く, また, もとELEC指導主事だったせいか, 英語教育を身をもって体得している.音声面にはことに非常な関心を持っている.三省堂の「英語教授法辞典」の実質的編集者.本書では, 発音ならびに指導法に関する項を担当.
とあります。
ミシガン大留学の頃のお話は直接聞いたことはなかったのですが、今回の『英語は…』を読んで、若林氏のC.C. Friesの引用は極めて的確であると、あらためて強く感じました。この60年代の「英語教育の最先端」での経験を得て、「若林節」がどのように作られていったのか、その源流に思いを馳せています。
今回の編者は、それぞれの担当部分で、「解説」「解題・注記」を施しています。
小菅敦子(「本書の出版にあたって---いま、なぜ、若林俊輔なのか」)
小菅和也(第1章「いっとう りょうだん」)
手島良(第3章「英語授業学の視点」・第4章「ことばの教科書を求めて」)
河村和也(第5章「英語教育の歩み」・第6章「英語教育にロマンを」)
若有保彦(第2章「つまずく生徒とともに」・付章「英語の素朴な疑問に答える」)
適材適所、と私が言うのもおこがましいですが、唸ること頻りです。
それぞれの章の解説を読み、巻末の「出典情報」に施された「注」を読んだ後で、再度、本編の記事・論考に戻ることをお薦めします。
編者の中では、若有氏だけ、お目にかかったことがないのですが、資料の収集整理など、若有氏なくては完成しなかったとも言えるご尽力に、感謝のことばしかありません。
pp.294-295 での、
- 「付章 英語の素朴な疑問に答える」 解説
での最終段落からの引用をお許しいただきたく思います。
本書においてもそうだが、氏の残した「名言」は様々なところでいくつか取り上げられてきた。しかし、「英語教師はことばの教師である。ことばの教師はことばに興味を持たなくてはならない」という授業で何度も登場した氏のことばは、なぜか忘れられてきた。よって遅まきながらではあるが、これも氏の名言であることをここに記して解説の結びとしたい。
- 「ことばの教師たれ」
正に、私が、教壇に立って30年、大事にしてきたことです。
これから英語教師になろうという、学生・院生や、若い世代だけでなく、私と同世代か、それ以上の英語教育関係者、そして「ことば」の教育に関わる方たちに、是非読んで欲しいと思っています。
過去ログでもいくつか「W氏」や「恩師」、「私の師匠」といった匿名で若林氏に触れたエントリーがあります。
私の師匠は「大学で学ぶことは須く机上の空論で良い」と喝破した。「その論が何故、現場で窒息するのかを身をもって体験する」ことを私(たち弟子)に求めていたのだと思う。
Anniversary (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071220)
- 戦後のこれまでの日本の英語教育はことごとく上手くいっていない。根本的にダメである。そのダメな英語教育のもの差しで、「優秀だ」とみなされてきた君たちは本当に英語ができると言えるのか、疑ってかかった方が良い。
英語科教育法の授業第一回での恩師の言葉。大教室で概ねこのようなものだったと記憶している。私の周りでも何人か、この言葉で嫌気がさし、教職の履修を止めた者もいた。私はといえば、入学以前の高校生の頃、すでに『英語教育ジャーナル』(三省堂)でこの教授のことは知っていたので、これがあのW氏か、という感慨があった。そして、この「感慨」が本気で英語教師を志す契機となったとも言える。
「能ある豚は星を見ない」(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20081208)
今回、自分の作った定期試験問題を希望者に配布しているのだが、「自らの退路を断つ」、という恩師の言葉の影響というよりは、自分自身のため、という側面が強い。今の自分の取り組みを恥ずかしく思う気持ちは全くないが、過去の自分に指された後ろ指とはきちんと対応したい、とでも言えばいいだろうか。過去ログ (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061204 ) で以前の自分の持っていた典型的な定期試験に対する考え方が記してある。では、どの学校に行ってもそれで通していますか?どんな生徒に対してもそれでやっていけますか?という問いへの回答、または回答しようという試みである。
In a double bind (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090308)
私の恩師である、W先生は『学校英語を批判する前に読む本』というものを生前企画していたらしい。自前の考察、地に足の着いた論考というDNAを受け継ぎたいと切実に思う。
- 現状での、中高の英語教員が使い物にならないと思うのであれば、自分が中高現場に飛び込んでいってその世界を根底から変えてみればよいではないか。自分が主となって新たな組織を作らずとも、既にある学会や研究会のスタッフとして志を等しくする人と手を結べばいいではないか。大学や大学院の教員養成課程を自ら担当して、優秀な卒業生を教育現場に送り出せばいいではないか。英語の教科書が世界水準で評価した時にあまりにお粗末というのであれば、教科書の著者になればよい、または教科書会社の編集担当となり、全国にいる例外的に優秀な教員を集めて、自分の理想とする教科書を作ればよいではないか。英語の辞書も批判するだけでなく、自分で辞書を作って、全国の学校で使ってもらえばいいではないか。英語力の測定が適切に行われていないというのであれば、毎回のようにTOEICを受験して、TOEIC対策本を書いて売りさばくのではなく、TOEICのアイテムライターになればいいではないか。
私自身のことを振り返ると、東京にいる時分はそういう思いで一貫して現場で生きながら、全英連でテストを作り、英和・和英の辞書を作り、検定も非検定も教科書を書き、教材を世に問い、業界内でも糺すべきは糺し、学会・研究会の末端として働き、一方で山口の地に来てからは新たに研究会を立ち上げ、地元でのイベントを開催すると共に、時折中央に赴き、現場の先生方対象の研究会や講習会の講師を引き受けてきました。
anfieldroadさんの企画に乗って、英語教師になるあたりまでの英語学習歴のまとめを書きましたが、その後のことも少しだけ書いておきましょう。学習歴というよりは、職歴を振り返るようなものになるかもしれません。
大学の恩師のW先生に、• 君はね、自分で英語が出来ると思っているでしょ。そういう人には入門期の指導なんて出来やしないんだよ!
と怒られるたびに、
• わかりました、だったら (中学じゃなく) 高校へ行きます。と答えていたから、というのは本当に多分にあって、高校で教壇に立とうと決めていました。
”easy said but less often done” (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20110306)
そして、昨年度の「第8回山口県英語教育フォーラム」では、若林氏の「正四面体モデル」を紹介し、技能統合についての先見性に言及していました。今回の『英語は…』では、第3章で扱われています(この章は手島良氏による解説)。
Expressly, exclusively or excessively
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20151117
こんなにも影響を受けている私が、『英語は「教わったように教えるな」』を評する、ということはとても難しいのです。
若林氏に出会い、教えを受け、心酔し、その一方で反発もし、それでも自分の身に就いて「剥がれない」かのような、「英語教育」、「英語授業」、そして「ことば」というものを捉える視座が形成されているから。
今回の収録から洩れた、ある雑誌記事について、11年ほど前の過去ログで取り上げていました。
「スピーチ&レシテーション」
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050518
今日のエントリーの冒頭で、
読み始める前に決めていたことが一つ。
- 決して、センチメンタルにならないこと。
と言っていたのは、この特集での「師匠」のことばを今も生きているからでした。
「小若林」にならずに、私自身になれているか、独り立ちできているのか、自問自答は続きます。
本日のBGM: Here, there, and everywhere (告井延隆:サージェント・ツゲイズ・オンリーワン・クラブ・バンド)