「フォーラムはあなたの心の中で開催中です」

第6回山口県英語教育フォーラム終了。
会場へのアクセスや昼食で不便を感じさせたり、スクリーンが見づらかったりなど、運営上の不手際もあったかと思いますが、ご容赦いただければと思います。
今年はスタッフを含めて70名弱での「集い」となりました。例年より少ない参加人数ではありましたが、私自身の満足感は過去5回に優るとも劣らないものでした。
高橋先生、山岡先生、植野先生の講師お三方はもちろん、参加してくれた皆さん、運営委員の先生方、スタッフ、そして「参加費無料」を維持するために「協賛」していただける方の篤志に心より感謝致します。

今回のフォーラムは終了後の余波がまだまだ続いております。
今年は会場よりtwitterでの実況がなされており、その「呟き」が、Togetterまとめサイトで、集約されました。
まとめてくれたのは、mami tanakaさんです。本当に有り難うございました。

twitterをされていない方も、このまとめサイトをご覧頂きたいと思います。
このブログを書いている時点で既に2000ビューを越える勢いです。
当日のフォーラム参加者の振り返りはもちろん、今回は諸事情で参加出来なかった方、これまで参加したことがないけれども興味はある方、更には、英語教育にまだまだ「期待」し、「希望」を持っている方たちにとっても大いに役立つものと信じます。

講演の内容等、上記 Togetterの実況コメントで、会場の「熱」とか「磁場」を推察していただきたく思います。私自身の評価に関しては、アンケート集計など今しばらく時間を要すると思いますが、主催する側の想いなどを少し記しておこうと思います。

今回、「多読」を主たるテーマとして講演の一つを高橋愛先生に引き受けていただきました。そして、山口県英語教育フォーラムという名にふさわしく、地元徳山高専での実践を通じて行うことができたのは、この「フォーラム」にとって大変大きな意味を持っていたと思います。巷では、「多読」という言葉は、指導法だけではなく、様々な「モダリティ」を纏って用いられていることが多く、「教室の真実」がともすれば、脚色されたり、歪められたりするようにも感じていましたので、今回の講演は、単なる「啓蒙」ではなく、教師としての想いの詰まっていることは勿論ですが、教室の、生徒・学生のリアリティ溢れる内容であり、伝え方だったと思います。学校関係者はプラマイ色々感じていらっしゃるのかもしれませんが、お願いして本当に良かったと思います。

今回のフォーラムの基調テーマである、「教室の英語は、今…」を設定する大きな柱が、この「多読」実践でありました。「ことばの発達段階」としては、なかなか見えにくいのが、「読んでいることば」です。
インプットやインテイクというラベルを貼るだけで安心せず、学習者の中で、「読んでいることば」はどのように育っているのか?それを探りたいという私の「お願い」に至る背景というか、私自身の「多読」、そして「読み」に関しての考察は、上記「モダリティ」も込みで、こちらに記してあるものなどをお読みいただければと思います。

まずは
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130903
その前提となる
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130831
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130828
を是非。

私自身、「作文の教師」を標榜しているので、「ライティング」に関する講演を誰にお願いするか、悩みました。私自身の実践や、考察を揺すぶってくれる山岡大基先生に引き受けてもらえたことに感謝致します。
教師としてだけではなく、学習者としての「ヒストリー」から始まり、教師になってからの「ビリーフ」を大いに語ってもらえたのも、110分という時間があればこそ。これまでの研究や実践をまとめた資料も、たわわに実った「山岡果実」の蜜として味わうのは簡単ですが、「ライティングの王道」で後に続く方が、また「ライティング」とは別な道を進んでいて、山岡実践を横目で見る方が、自分自身の足跡、足取りを振り返り、実感する時にこそ、更に大きな意味を持つことだろうと思います。
午前中のプログラムだった、高橋先生の「多読」と照らし合わせることで見えてくるものも多いと思います。
「書くこと」に関しては、このブログを以前よりお読みいただいている方にはお馴染みでしょうが、「教材論」も含めて、私の「ビリーフ」に関連して、こちらをお読みいただければと思います。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130713

プログラム最後は「音声」を扱いたいと思っていました。そして、私が東京で21年間英語教師として出会ってきた優れた英語教師の中でも、この方の英語はずっと聞いていたいと思わせてくれる「先生」ということで、植野伸子先生にお願いをした次第です。私の執拗なラブコールに答えてくれたことが何より嬉しく、植野先生が講演を引き受けてくれたことで、今回のフォーラムの骨格、体幹が決まったように感じました。
私から植野先生へお願いしたメールには、

「英語」ということばそのものに、今一度スポットライトを当て、「教室の英語、生徒・学習者の英語、教材の英語、教師の英語」といった切り口で、発達段階を踏まえた、音声・話すこと、読むこと、書くこと、を考える契機としたいというものです。

と書きました。当然、よく分からないことも多いでしょうから、質問のメールが届き、その返信に書いたのが、こちら。

私が、知っている英語教師の中で、この人の英語を聞いていたいなぁ、と思わせてくれる人というと、すぐに二人が思い浮かびます。
一人が河村和也先生、もう一人が植野先生です。
教師が教室で使う英語の音と声が豊かで適切なものであることが、生徒の音と声を育てる大切な要因である、ということは言うまでもないと思うのですが、音声指導と十把一絡げには出来ない現状があると思います。
・「音声指導」が「英語ネイティブモデル」に限りなく近づくことを目指すもの
・S先生のように、「英語の音声」としての要件を満たすべく、徹底的にトレーニングするもの
・world Englishes というような多様性・許容性を持つ音声を目指すもの
・「フォニクス」をやって終わり
・無能無策なのか、と眼や耳を疑うようなレベルの指導(の欠落)
など、教師がこうするべし、というワークショップや議論は、それなりになされているとおもうのですが、「生徒が使う英語」の音と声は、どのように「英語らしく」、さらには「その人らしく」育っていくのか、そんなことを感じるセンサーのある「中学校の英語の先生」ということで、植野先生にお願いしてみた次第です。
当然、「教室内外で」生徒が耳にする英語の音声もいろいろあります。
そんなことを全てひっくるめて、
・ 植野先生が自分自身で英語の音をどのように身に着けてきたか
・ どう変わってきたか
・ 授業で自分が使う英語の音声に対する自覚・配慮・変化
・生徒の使う、口にする英語の音声の発達・変化
・巷の教材の英語音声
などに関して、感じるところを話していただければと思っていました。

こんな無茶振りを、しっかりと受け止めてくれただけでなく、私の思惑を越えて、素晴らしい講演にしてくれたことに大満足です。

第1回こそ、私も講師として前に立ちましたが、その後の5回の企画、運営をしてみて感じるのは、

  • 英語教師になって良かったな。

と思える時間と空間がここにあるということです。
今回の参加者の中のお一人で県外から参加された某先生のアンケートにも同じ趣旨の言葉が記されていて大きく頷きました。
あらためて、そんなフォーラムを作ってくれた参加者、講師、スタッフに御礼申し上げます。
来年以降も開催できるかは分かりませんが、今回のフォーラムが皆さんの「実作」の中で、芽を出し根を張る契機となっていることを願っています。

本日のBGM: 私の知らない私 (野宮真貴)