再読の絶対値

時間割が何とか解決して安堵。危なく、1限のみのために出校になるところだった。自分自身、かつては時間割を組む係だったので、教務係の苦労はわかるが、今回のミスは軽率なもの。結果オーライだったから良いけれど…。時間割のミスといえば、公立の専任だった頃、隔週で土曜日が休みだった時代に、時間割を隔週で替えるという学校にいたことがある。月曜日の午後が空いていて、そこに隔週で土曜日の1,2限を入れる週と、土曜日の3,4限を入れる週をつくるという仕組みである。当然、土曜日に授業を入れる人は月曜日にも入るわけで、非常勤講師の確保など、管理職だけでなく教務係泣かせのシステムだった。ある年、私の土曜日の時間割が4時間連続で、月曜日の時間割が午前中4時間連続で確定してしまったことがある。見た目は、月曜午後は空いているので、教務係も連日の仕事で疲れた頭では私の本当の時間割が見えていなかったのである。祝日に当たらない限り毎週月曜日は6時間連続授業。結果、見た目は週に16時間ではあるものの、1年間、隔週で土曜日に4連発、1日空けて月曜日に6連発という過酷なスケジュールを生き抜いたのであった。(もっともその間の日曜日は本業に朝から晩まで費やしていたわけだが…。)その翌年は、総合学習的な週1時間のコマも含めて、高1から高3まで授業を7種類持ち、そのすべてが1クラスだけという隙間産業のような仕事もした。これはきつかった。7種類の教材研究をこなし、授業のどの種類も毎回真剣勝負。どこかのクラスの反応を見て軌道修正、などという悠長なことをいっていられないわけである。
その後、私学に移り、高校2年生1学年6クラス全部、計250人と高校3年の選択科目のライティングを一人で持つ、という超変則的な1年を送ったこともあった。この時は時間割の都合というよりは、英語科内の担当科目の割り振りの問題ではあったが、定期考査では答案が300枚近く出てくるので、気が狂いそうになったものだ。作文の教師冥利に尽きるととらえるか、冥途に送られるととらえるのか、とにかく1年間ライティングのみ。
そういう経験を踏まえて今「ライティング指導評価におけるマネジメント問題の重要性」を説いているのである。まあ、リテンションのトレーニングと一緒でやっているうちにたくさんこなせるようになるのは確かなんだけれども、経験値が上がるから必ずしも幸福とはいえないもの。プラスもマイナスも全部飲み込んで、ポテンシャルの大きさに転化する絶対値のような価値観というか、虚々実々、複素平面に自分の立ち位置をプロットするというか、そういう懐の大きさを目指したいものだ。
さて、今日は昼から某B社へ出向く。ライティング関連のミーティング。新たな展開を企画。2時間以上語ってきた。詳細がわかればまた告知します。
神保町の三省堂で、改訂された中学校の検定教科書を買おうと思ったのだが、16日以降の入荷ということで断念。代わりといっては何だが、奥西正史『考える英語教師』(三友社出版)、小野義正『ポイントで学ぶ英語口頭発表の心得』(丸善株式会社)を購入。店員はけっこうな年齢に見えたのだが、まったくこちらの話を聞かずマニュアル通りの対応で、紙のカバーを巻こうとしていた。この老舗にしてファーストフード店なみということか。
お茶の水経由で帰ろうと思って駅へと歩いていたら、普段本業でお世話になっている大学の後輩Mさんにばったり。就職活動の帰りだとか。新宿で別れたところで、ふいにferrierさんの言葉を思いだし、池袋で途中下車、ジュンク堂へ。店員は新人なのだろうか、ここでも正にマニュアル対応。『水声通信』の小島信夫特集を買う。
執筆者それぞれ各人各様の語り口で、ホログラムのように浮かび上がる小島像というところか。語り下しの小島氏本人による「チェーホフを読みながら」は演劇論としても傑出した小論として読めるのではないかと思うが、小島氏はここで指摘される舞台の持つ制約というか宿命の袋の中に手をつっこみ、袋をぐるっと裏返して中身を解放するように小説を生きている、というのが私の読後感。大橋健三郎氏、飯島耕一氏も寄稿していてこの編集者の力量と小島信夫という人の底知れなさを感ぜずにはいられない。以下、気になった言葉を二つだけ。
大庭みな子氏:

  • 小島氏は一生涯ずうっと、座り込んで泣き出したい心境でこの世を見つめてこられたと言ってもいいだろう。

阿部公彦氏:

  • 言葉はいつもジャストミートせず、芯を外している。