授業の視点と立脚点

今日は習熟度別クラス編成作業。非常勤講師の参加は任意という案内だったので、初参加しました。習熟度別編成は、英語力の養成はもちろんのこと、生徒個々の動機付け、内部推薦への対応など制度そのものは様々な課題を孕んではいるものの、今回の作業を見る限りではとても良心的な取り組みをしていると感じた。自分の担当クラスなどは一応わかってはいるが、新学期のお楽しみということで。
ELEC同友会のワークショップ、語研の春期講習会とも、準備完了。同友会の方は持ち時間が45分しかないので、参加者に実際に考えてもらうquestionを絞りに絞った。異なるQだが問われていることはほぼ一貫していると思う。最後に10分程度語りたい。
語研の講習会は27日分は定員50名に達して既に締め切られたとのこと。こちらは80分で「高校生にふさわしいライティングの地平」を見渡すので相当に忙しいですよ。私の前の田尻先生の発表に感動の余り目がウルウルしていたら、資料のどこをやっているのかわからなくなっちゃうから気をつけて下さい。
高校段階でこれだけのことができますよということを示すことも狙ってはいるが、それよりも、巷のライティング指導で主流であったり、効果的だと言われている指導法を取り入れる際に、ここに気をつけないと失敗しますよ、ということを示したい。
『英語教育』4月号(大修館書店)を読む。今月の特集は「指導の基礎・基本に立ち返ろう」。新年度ですから、まあ妥当なトピックでしょうね。
卯城祐司氏(筑波大学)による「教案作成の基礎・基本」は手堅い印象。それでも気になるところが。p.13で、

  • 「言語理解のプロセスの意識化」は、教える生徒にとっての未習事項そして苦手な既習事項を把握し、つまずく箇所を予測することである。これが意外と難しい、何故なら、われわれ英語教師は、教科書で扱う英文であれば、おそらくほぼ無意識に処理することができるからである。」

というのだが、本当だろうか?
高校段階の素材を扱う場合には、無意識に処理して、自分では理解しているつもりで、読み間違えている場合がことのほか多いのではないだろうか?また、ここでいう「理解のプロセス」は暗黙のうちに、listeningやreadingの活動を想定していないだろうか?卯城氏は、私が今最も注目している大学人の一人である。語研の講習会では27日の1コマ目を担当されるので、じっくりと話をしてみたいのが、そのチャンスはあるだろうか?
同4月号からは、「授業のここにフォーカス」というELEC同友会による授業の紹介とポイント解説の連載開始。第1回は、本多敏幸先生の授業を関典明先生が解説するもの。どのくらいの反響があるだろうか?ビデオで1回の授業を通して見て、それについて講評する、というスタイルを同友会は貫いてきたのだが、授業の目的に応じて使い分けるべきではないかと最近は強く感じる。いいとこ取りでパッチワークになったビデオを見ても得るところはないが、50分通して見たとしても「視点」がなければそれほど多くを得ることはできない。この点に関しては、昨年の『語研ジャーナル第4号』で、2004年度研究大会公開授業の学生の部の講評で河村和也氏が書いていることが的を射ていると思う。該当部分のみ引用。

  • 「ビデオを視聴しながらの解説では、必要に応じて映像を止め、特に学生が見落としがちな点については丁寧に解説しておられた。また、授業は1回きりのものではなく、年度当初から積み上げてきた教員と生徒の人間関係の上に成り立っているものであることを力説された点は印象的であった。教員志望の学生諸君の中には、実際の授業を見学したいという要望が数多くあるようだが、たった1つの授業をただ眺めているだけでは学ぶところはないと言ってもよい。大切なのは授業の見方である。」

「ライティング」という科目の指導を考えた場合に、oral introductionやoral interactionでの言語材料の導入が本当に最終的なproductの向上に効果的であるか、残念ながらよくわかっていない。ライティング力を伸ばすにはライティングを教えることが有効である、そのためには「良いライティングとはどういうものであるか」を教える必要がある。では「良いライティング」とはどういうものなのか?今回の語研の春期講習会では、視点を提供するとともに、立脚点を確かめてみたい。