今日から12月。
期末試験の作問、自校の入試問題の作問などなど迫り来るものとの鬩ぎ合い。
26日の (財) 語学教育研究所の冬期講習会の構想も考える。
(申し込みの語研サイトはこちら→http://www.irlt.or.jp/modules/eguide/event.php?eid=91)
今回は “What makes a writing teacher?” というタイトルなのですが、多くの方に事前に相談してみました。最終的には、以前、自分のライティングの授業で、”What makes a good student?” とか “What makes a good teacher?” といった題で書かせていたのを思い出して、このタイトルに落ち着いたわけですが、私のわがままなリクエストに応えてくれた方々に感謝し、そのご意見をいくつか紹介します。個人が特定されないよう、一部字句文言は改編してあります。
- いま、パッと見せていただいた感じでは、圧倒的にこの案です。冒頭にあるとおり、科目は消えてもライティングの活動は消えないでしょう。「パラグラフライティングって言ったって、その前なんだよなー」という声も強いでしょうが、やっぱり何といってもこの案です。掲げられたタイトルはちょっとわかりにくいのですが、「タスク設定の留意点」、「書くために読む」、「添削、評価」と、書かれていることのすべてが「そうそう、それ知りたかったの。聞きたかったの!」という内容。ぜひ、多くの心ある高校の先生のために、tmrowingさんのライティングの一端を教えてください。あーー、80分じゃ、足りないだろうなー。
- 語研の講習会に見える方には総じて《おみやげ》を求めるという傾向があるように感じています。それは、授業に役立つ《tips》であったり、実践報告の一環としての《生徒の作品》や《自作のプリント類》であったりします。どこの講習会でも似たり寄ったりなのかも知れませんが、語研自身が「明日の授業に役立つものを持ち帰ってもらおう」という姿勢で研究大会などを運営していた経緯があるもので、語研の講習会では特にその傾向が強いのかとも感じます。私としては、そのような傾向に迎合的になる必要はないと思っています。もっと言うと、そういう傾向を好もしく思っていないのです。お示しいただいた案にはいずれも興味深いものを感じました。現在、英文科の学生を相手にスキル科目としてのライティングを担当していますが、その運営に苦労する日常を踏まえると、個人的には、この案のお話を聞かせていただけたらうれしく思います。科目としての「ライティング」を超えて、普遍的な意味合いにおいて「書くこと」をとらえてテーマを設定していらっしゃるところに引かれました。
- 私のまわりの熱意ある先生がたは,ライティングを重視しはじめて実践にとりくまれています。しかし,この案にあげている問題に直面しているようです。と,同時に「バナーを越えた」書くことの意義についての先生の深い洞察も伺いたいので,個人的には「『アウトプット』『自己表現』『発信力』などのバナーを越えたところで、『書くこと』が高校英語教室でどのように根付き花開くのかを考えてみたい。」という案1からこの案2に展開していたければと思いました。
- 僕が受講者であるならば、tmrowingさんから多くのことを学びたいと思います。そこで、勝手ですが、下記のような題を考えた次第です。三つの魅力的な部分を融合しました。「『書くこと』が高校英語教室でどのように根付き花開くのか、特に『書くために読む』教材研究での視点、作文の添削・評価の観点を踏まえながら、パラグラフ『で』書く指導の前に、パラグラフ『を』書く指導方法や『書くこと』そのものを見直すための講座」。指導と評価そしてパラグラフ「を」という観点は特に素晴らしいと思います。「書くために読む」教材研究も魅力的です。タイミングが合えば、僕も参加してみたいと思います。
- これがいちばん心惹かれます。ライティングに限らないと思いますが、英語授業に関する本やセミナーでは、「Aは良い。したがってAをしましょう。」という論理が多いように思います。たとえば、「リーディング指導で要約させると生徒の力がつきます。だから、要約を授業に取り入れましょう」ということです。「要約」を「シャドウイング」「自己表現」「ペアワーク」などに置き換えても同じことです。たしかに、それはそうなのですが、それだけで止まってしまう物言いが多いのが気になります。発想がストレートすぎるのです。本当は、「要約をするためには、あれとこれとそれが前提として必要で、そのうえで、これこれこのような手順を踏んでやるのが効果的です」という「細分化」(あるいは「AさせたければBさせる」)の視点が必要なのですが。そういった意味で「舞台裏」こそ魅力的に思えるのです。というのが、私なりの考えです。
- 私は個人的に、やはり「正確さ」の練習はライティングに重要なものと考えております。近年、コミュニカティブなライティング指導での様々な活動例が報告される中、文法や和文英訳など、正確さの基礎を養い、学年が上がるにつれて長い文章で流暢に意見が書けるようにするというプロセスを踏む指導形態は、古典的ではありますが、コミュニカティブライティングの補助的手段としての位置づけという意味では、その有効性は失っていないと思います。いろいろリサーチをしてみます。
- ライティング、そしてリーディングもそうですけど、興味あるテーマはいつも同じ。動機づけです。これよりほかにありません。どうしたら書きたくなるのか、どうしたら量を書いてみたいと思わせられるか。その具体的な方策ですね。
みなさん、本当にありがとうございました。どの程度応えられるかはわかりませんが、最後の最後まで練ってみます。
今回、多くの方の助言を求めたのは、受験英語の指導と違って、英語教育プロパーとでもいわれる研究会での「ライティング」の講座というのは、それほど多くなくて、何をその講座に求めるのか、という視点・焦点がまだ成熟していないように思うからです。今回も、具体的な細かい指導技術に言及することはあまりないだろうと思います。それは、1時間程度の講義では伝えられないし、『パラグラフ・ライティング指導入門』 (大修館書店) や GTEC Writing Training (ベネッセコーポレーション) を読んでもらえばわかることだから。
それよりも、高校英語の現場に巣くっているもっと大きな何か、の実態を少し掴まえてみたいと思います。以前のエントリー (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070925) でも言及したように、新英研の伝統である、「自己表現」指導は、大きな成果、豊かな実りを備えていると個人的には思うのだが、まだまだ日本の英語教育界で正当な評価を受けるに至っていないという印象も同時に持っている。
いわゆる進学校に属する学校種に勤務する教師 (専任であれ、非常勤であれ) であれば、大学入試での「英作文 = 和文英訳」の指導・評価法と、「自由英作文 = ライティング」の指導・評価法が気になるだろうし、それもよくわかる。
受験の指導といっても、一昔前の英作文指導からは随分と改善が見られるようになり、竹岡広信氏が数研出版から出している『…必携』 (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071007) などでは、その和文英訳の状況分析を詳しく行い、コミュニケーションのゴールを明確にしてから訳出に取りかかれるような工夫が随所に見られる。喜ばしいことである。
ただ、日々の授業の中で、どのように英語表現の指導を行うことで英語力が伸びるのか、と考えるときに、和文英訳の参考書や問題集、過去問といわれる素材をどれだけ活用しても、真の意味での表現力も、ライティングの分野で言われる grammatical [syntactic] accuracyも養成されるとは考えにくい。竹岡氏的なアプローチを突き詰めていけば、必ず、
- だったら、人に与えられた日本文の状況や文脈をあれこれいじくり回すのでなく、自分で感じたこと、考えたことを、自分のメッセージとして、自分の英語で相手に伝える方がよっぽど速くて、よっぽど正確だろう。
という出口が待っているから。
そこからが、本当の「ライティング」の授業であり、「英作文」の授業になると思うのです。
だから、1文でいいので、自由に書かせることからスタートするのです。3文でいいので、自分の英語で日記やジャーナルを書かせるのです。
「自分の書く英語を読むのは一体誰なのか?」という問いに対して、多くの高校教室では、「教師」「採点者」以外の選択肢が余りありません。それは、書く動機付けと大きく関わってきます。いくらコミュニケーションを声高に叫んだところで、教室内で生徒同士が書くことによるコミュニケーションを必要とする現実的なニーズは非常に希薄です。では、どうするか?
今回の講習では、そういった部分を参加者の皆さんと考えながら、私のこれまでの実践のいくつかの成功例に隠れた、企画倒れ、失敗談、あがき、もがき、産みの苦しみなどを他山の石としてもらえればと思っています。
高1の授業は、教科書の素材文から「P単」フレーズ括りだし大作戦。B4の用紙を縦に2分割して、日→英の対照フレーズ集を生徒が自分で作っていきます。私は机間指導。
コロケーションのとらえ方の不備を指摘し、仕切り直しを経て、完遂!人に与えられるのではなく、自分で作るからこそ、作った段階でもう、ほとんど覚えているのです。今日与えた助言は、「のりしろを作れ」、「のりしろを生かせ」ということ。
- Her work has made many people aware of the true intelligence of some animals.
という1文を呪文のように、「忘れないうちに全部言ってしまえ!」という姿勢で取り扱うのではなく、
- has made many people aware
- (be) aware of the true intelligence
- the true intelligence of some animals
というのりしろを作り、のりしろを生かして、保持し、日→英という回路で、直ぐに取り出せるようにしようという取り組みです。
昨日の「自作自演、虫食い音読シート」 (おかじゅん、と久保野雅史先生のいいとこ取りです) で口慣らしでの音のイメージ作り、チャンキングが仕込んであるから、語彙に特化した指導の効果が出るわけですが、この後の復習の精度をどれだけ高められるかが全ての鍵を握ります。
テストのためだけの学びにならぬよう、生徒には、入門期での「発音・発声の基礎基本」と、高校段階での「ライティング」以外は教師に頼らずとも自分でできるもの、と繰り返し説いているところ。
高2は、「のりP」課題の書き直しでノートを集めているので、英文がチャンク毎にセンタリングされたワークシートの裏面に、虫食い音読用に動詞句を空所にして転写の作業。ルールは簡単、Read & Look-up をして、1行ごとに裏に書く。その際、動詞句は空所にする、というもの。もし怪しい部分の確認がしたくて表を読み直してしまったら、必ず裏返したときに、その行の先頭から音読し直して写していく。作成し終えたら、「自作自演」。インフルエンザの流行以降、「対面リピート」を封印しているので、自分の授業の教室内活動の見直しになった。上位者は、さらに、準動詞をかっこにして、原形のみを与え、適切な形に直しながら音読、という発展形も用意しておいた。
ラストの高3は、クラスでインフルエンザの生徒が出たので、潜伏期間を鑑み、教室の消毒。試験範囲はもう終わっているので、生徒は別室で自習として、養護教諭と二人で、教室の机、イス、ホワイトボード、窓ガラス、ドア、ロッカーなど手の触れる可能性のあるところ、咳などが飛散している可能性のあるところを、せっせとアルコール消毒。臨時休業以降もポツポツと休む生徒が出ていますが、これだけ県内で流行していると、どこでどう感染しているか把握できませんので、できることは何でもしておきます。教室では、私が自腹で買ったダイニチの加湿器もフル稼働です。
明日は、再度皮膚科に行って、治癒の経過観察の予定。教務に無理を言って、時間割をずらしてもらいました。申し訳ない。
山口県英語教育フォーラムのシンポジウム、「新指導要領を越えて」は、明日以降にでも。このテーマが気になる方は、文英堂のサイトに行って、『ユニコン・ジャーナル No. 69』での、和田稔氏の論考を是非とも読まれたし。
(→クリックするとダウンロードが始まります。http://www.bun-eido.co.jp/school/highEnglish/ujournal/uj69/uj690207.pdf )
写真も貼り付けておきます。
この和田氏の論考は、主題こそ違うものの、『英語展望 No. 117』 (ELEC, 2009年) の座談会、
- 小学校英語活動の課題と可能性 (pp.32-37)
と併せ読むと面白いだろうと思う。『英語展望』がお手元にない方、ELEC同友会英語教育学会に是非ご入会を!
本日のBGM: 陽炎 (フジファブリック)