期間限定

村上朝日堂がweb上で復活とのことで覗いてみた。

  • 僕は世間では「ろくでもないやつ」みたいに思われていることが多いようです。だから僕だって、自分が村上春樹であるということをできるだけ隠して、こそこそと生きています。あなたなんかまだ他人だからいいですが、本人としてはずいぶん大変なのです。隠れキリシタンどころか、天草四郎が山の中を逃げ回っているようなものです。「ふん」と馬鹿にされるくらいで傷ついていてはいけません。がんばってください。でも人前であまり「村上春樹が好きだ」とか言わない方がいいかもしれませんね。アンリ・ルソーが好きです、くらい言っておけば、向うもそれ以上追求してこないと思います(たぶん)。 村上春樹

読者&村上春樹フォーラム 06年3月8日〜3月10日 (http://opendoors.asahi.com/asahido/forum/002.html )
加藤典洋の『村上春樹イエローページ』(荒地出版社)や『村上春樹論集』(若草書房)が出てもなお、私は、努めて村上春樹にコミットすることを避けて生きてきたのかもしれない。とすれば、山の中を逃げ回っている天草四郎から逃げ回っていたと言うことか?そうすると逃げ回っているもの同士の大いなる遭遇がいずれあるのだろう。期待しよう。
締め切りの迫っていた、
中央教育審議会教育課程部会「審議経過報告」に対する意見募集について(http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2006/06022805.htm)
に意見を送ってみた。目安箱に入れた書状はかならず上様がお目通しになりますから、というシステムなのか?誰が上様なのかが今ひとつ実感が湧かないあたりは、村上朝日堂より心許ない。
ちと長いが全文引用。

  • 「2 基本的な考え方 1. 具体的な教育内容の改善の方向 2)国語力・理数教育・外国語教育の改善」に関して、英語教育に特化して意見を述べるものである。
  • 「また、教育課程実施状況調査では、書くことが良好ではなく、特に内容的にまとまりのある一貫した文章を書く力が十分みについていない。このため文字や符号を識別し、正しく読み、書くことができることを確実に定着させることはもとより文レベルでなく文章レベルの訓練が必要ではないか。」とあるが、指導要領でさえ、英語において「書くこと」の能力を定義づけられていない現状では無理な注文というものである。英国でのナショナルカリキュラムにおける8段階(+例外的能力)のバンドスケールのように、またはカナダに於けるCanadian Language Benchmarksのような発達段階と現実に「何ができると書く力があるといえるのか」という具体的な能力指標をまず明らかにする必要がある。
  • その観点では、「例えば、1分間150語程度の速さの標準的な英語を聞き取ることができること、与えられたテーマについて1分間程度のスピーチができること、300語程度の英語を読んで概要をとらえることができること、与えられたテーマについて、短時間で5分程度のまとまりのある英文を書くことができること、など具体的な到達水準を設定して、理解力・表現力等の育成を進めて」いくことは不可欠である。
  • その際に、「同じ1分間で150語の速さで話される(読まれる)英語であっても、言語材料の違いによって聞き取りの困難度は異なる」ということを、教師・生徒のみならず世間一般の人々にも広く理解をしてもらわねばならない。話すこと、読むこと、書くことにおいても同様である。Can-do list/ statementなどのproficiency scalesを整備していく中で、言語材料と定着・発達の段階を精査していくことこそ有識者・学識経験者に求められている作業であろう。
  • 英国ナショナルカリキュラムの例を出したが、その後英国の教師たちは、Inspectionに対応することを余儀なくされ、成果を報告するための夥しいpaperworkを課され疲弊してしまっている。John Cosgrove (2000), Breakdown: The facts about stress in teaching , Routledge Falmerではその様子がリアルに描かれている。日本の教育改革を推進する方たちに是非目を通して欲しい本である。
  • 現場教師たちの人的リソースが健全に活かされるような改善を心より求めるものである。

こちらの遭遇はどうなっていくのだろうか?