酸っぱい果実

今日は高校の卒業式。昨年は2月以降出校していなかったので、卒業式の案内があったことも知らなかったが、今年は出席。事前に出席を申し出た書式に、住所を書く欄があったので、式次第などが自宅に郵送されてくるのかと思いきや、前日まではもちろん当日学校に行っても何もなし。講堂へと移動し、受付があるのか、と言えば、出席者名簿にチェックするでもなし。保護者は別に保護者控え室があるので、そちらで受付を済ませているのだろうか?
シンプルな式次第をもらってさあ会場へ、と思ったのだが、教職員席とか保護者席とかの指定がなく、会場の外で保護者の列に混じってしばし待たされる。会場の座席数は明らかに出席者よりも少ないため、会場に入っても式が終わるまで結局ずっと立ち通しでしたが…。まあ、送辞も答辞も教えているクラスの生徒だったので、新たな一面も見られたことが良かったことと言えるだろうか。ただ、最近はみなデジカメなので、電子的な起動音が耳障りだなぁ。一通り式を見て、K先生と一緒に講堂をあとにしました。午後は特に予定もなく時間もあったので、お茶の水から神保町へと足を伸ばしたところでK先生から携帯にメールが。「お弁当が用意されていたそうです」とのこと。学校が違えばしきたりが違うのは判るが、もう少し段取りを考えて欲しいものだ。今日の様子を見る限り、普通は専任の教員以外は出席しないものなのだろうなあ…。来年も考えなきゃ。
今日購入した本は、

  • 鶴見俊輔・小田実 (2004年)『手放せない記憶ーー私が考える場所ーー』(SURE)
  • 中野好夫 (1979年)『酸っぱい葡萄』(みすず書房)

鶴見・小田とくれば、「ベ平連」だが、その当時の回想も含めての2004年の対談(放談?)。これまでにしらなかった鶴見のエピソードなど興味深く読んだ。
中野氏の方は、ハードカバーではなく表紙はイソップ寓話の狐が葡萄の木に寄りかかっている銅版画が使われているもの。内容はといえば、1937年から1949年までに書かれた随筆である。リンカーンのゲティスバーグの演説の一節、the government of the peopleのofの用法を説くことから始まり、民主主義に対する知識人の態度を論ずる標題の「酸っぱい葡萄」(1948年)は発表された時代を考え合わせると勇気のある言説といえるのではないだろうか。それ以外で面白かったのはやはり語学について述べる下り、pp.300-330,での「語学ーー如是我観」(1938年)。一部を抜粋する。

  • それにしても特殊的境遇にある学生を除けば、実際に英語を使う時間が一日平均一時間以上であることはほとんど不可能だ。二十四対一ではほとんど話にならぬ。それかといって、学生の大部分が外国人の家に住みこみ、朝から晩まで英語を聞いて、喋舌って、書いて…考えるだけでもいやなことだが、おかげで役人も、サラリーマンも、番頭も、電車の車掌までが、英米人との応対は自由自在ということになりーーーさてそれがどうなるというのだ。
  • では何を読むべきか。一言、生きた英語の読書力と答える。生きた英語というと、またしてもすぐ何かトーチカだとか、遊撃隊だとか、際物の時事英語をさえ覚えれば万事了れりという、穿き違いをする人もあるようだが、こんなのは覚えた瞬間に死んだ英語になること請合いである。
  • いくら生きた英語だからといって、新聞と時事英文だけの人間では、何かニュース映画劇場のようで、なんとなく浅薄さが見え透くのだ。
  • 人間は一流だが、語学は五流だというのは、必ずしも恥にならぬが、語学は一流だが、人間は三流というのは実際始末が悪いのだ。

中野氏が英語の学びに関してこう書いてから68年。今でも正論だと思う。しかし、当時でも氏のこの言葉は世間には響いていなかったと推察する。そして、今も語学に関して、英語教育者の言葉は充分に浸透していない。語学というものが、手が届きそうで届かない、食べたくても食べられない、そんな存在だとすれば、それは教える側の失策であろう。期待と失望が世代間で受け継がれてきたとすれば、世間の学校英語に対するルサンチマンもその年月の分積み重なっているということなのだろうか?「桃李言わざれども…」は「美しい花」もあるからこそ愛でる意味があるのである。
まずは、頑張れば手の届く果実を育て、そして口にした時に酸っぱくてもおいしいと感じてもらえるところから始めなければならない。