知性あるいはフィクションの地勢

3学期の高3課題が決定。
テーマ作文で、60語、150語、300語と同じ主題で3通りの解答を書くと言うもの。テーマは大学入試問題から拝借。これまで入試問題の難点を散々あげつらってきたので何か面白いことが分かったら、そのうちアップします。
高2の英詩に関しては、先週の段階で、 "Beginnings and endings poem"のサンプルをディクテーションさせて、全体の音読を踏まえ、「対比・並列」と「反復」を導入済み。サンプルは以下の詩。

  • A: Good-bye to overcoats
  • B: Hello to tennis lessons
  • C: Good-bye to rainy days
  • D: Hello to sunshine
  • E: It's spring, spring, spring

週明けの課題として、最後のspringをwinterに換えて、全体を書き換えてくるように指示。
月曜日は、グループで、情報交換して、A/Cに頻出のキーワード、B/Dに頻出のキーワードを抜き出させて、シェアリングして、同意語・類義語や反意語・対義語などを整理する予定。そのあとで、主題としてwinterのイメージでくくれるか否かを検討するところまでを予定。英英辞典や類義語辞典などの活用法も導入しておきたい。
火曜日は、視聴覚室でPoetry Readingと『今を生きる』のビデオを見る予定。週前半はこんな所だな。
教科書はレイチェル・カーソンの課なので、できれば原文を読ませたい。 教科書のレッスンでは冒頭のページだけに引用されているが、その後は「伝記」である。以前のブログで、教科書の題材がどんどんノンフィクション的扱いになることを批判的に述べたが、レイチェル・カーソンという偉大な人物について学ぶのなら、やはりその人の言葉にこそ焦点を当てるべきで、「その人について」書いてあることをいくら読んでも、心には響かないのだと思う。
入学試験などでの題材の扱いならばある程度納得いくが、それが波及効果となって教科書にも及ぶとなると看過できない。内容スキーマの有無に大きく左右されるノンフィクションばかりを読むようになってしまえば、「わからないものとどのように格闘して読み進めるか」という読解力・理解力の要素の1つが養成されないまま高校を終えてしまうことになる。
「たしかに文学の言葉は、事実をありのままに伝える力量においては見劣りする。だが、それらは、しばしばではあるが、普通人の言葉よりも洗われ磨かれ濾過もされ、そのことで多くの人のこころにゆくゆくはいきわたる。つまり迂遠なところに価値がある。」(荒川洋治「フィクションの敗走」、『文芸時評という感想』四月社収録)