現場の here and now

地上波再放送の『レインボーブリッジを封鎖せよ』を見た。何回目だろうか?
後半から終盤に移るあたりで、お台場周辺の地図に所轄の警察官(刑事、婦人警官含む)が、地元の現場を知る者ならではの情報を書き込んでいくシーンが好きだ。現場には現場の here and nowがある。
このシーンで、ふと先日の上級コーチ研修を思い出した。「コミュニケーションスキル」のワークショップ。
担当者は、もとリクルートの社員。ビジネスの現場で培われたコミュニケーションのノウハウを提供とのことだったが、提示されるスキル全体が大きなロジックに支えられているわけでなく、その都度、その局面に併せてスイッチしていく。コミュニケーション論というよりはビジネスモデルのプレゼン。「あなた達のコミュニケーションのやり方では、ビジネスの世界では通用しません。」という雰囲気。その時の口ぶりで、さらに思い出したのは、研修初日の「スポーツシーンを取り巻く環境と諸問題」の講義での講師の用いていたコミュニケーションスキル。この人は広告代理店出身の大学の先生だった。「スポーツはもうスポーツの現場だけで完結する時代ではない、より大きなビジネスモデルに取り込まれているのだ」、ということを、次から次に、異なるケースをとりあげて情報を提示していくのだ。村上ファンド、Jリーグ、プロ野球、マンチェスターU。この次から次に、というのが彼らのウリなのだなあ。同じ話をじっくりと片づけて本質に辿り着く、という地図がこの人たちにはないかのようだ。この人の話でとりわけ繰り返し強調されていたのが、「スピード」。「改革を決断するスピードが時代のスピードについていっていない」というわけだ。まるで日本の英語教育が糾弾されている状況とシンクロするように感じた。「なぜ、改革のスピードが遅いのか」、とせき立てられる。「改善ではなく改革を!」「トップに立つ者は、あれこれと策を講じるのではなく、選択肢のうちやらないことを決めて、優先順位の最上位を即実行せよ」、「決断の遅さと、不透明さは、コミュニケーションリスクを増大させます」と迫られる。今や、ビジネスをする者より、ビジネスモデルを売る者の方が完全に優位であると思われている。このような形で、「カスタマー・サティスファクション・インデックスを作り上げることがコミュニケーションリスクを減じるには不可欠です」と突きつけられると、みなこぞって、コンサルタント系の企業などに委託するわけですね。常に新たな地図を突きつけられ、タイマーが点滅している状況。
繰り返し。現場には現場の here and nowがある。
本当に必要なのは、英語教育(スポーツでもそうだろうが)における新たなビジネスモデルの構築ではなく、「英語教育の成果の定義」をきちんと示すことではないのか。ここで私が「成果」と言うのは、「数値目標」だけではない。「英語ができるということのもつ価値(感)」をリアルなものにすることである。
そうすれば、その仕事に携わる現場の教員には「誇り」が生まれ、「忍耐」も備わるだろう。
現場の教員には、切り捨てていい仕事も切り捨てていい生徒もいないのだから、ただ「効率の悪い事業を切り捨てて成果を上げる」という決断をトップがとった場合にそのツケはやはり現場に回ってくることになる。現場では汗と涙(時には血も?)が流れる。
「英語教育」という商品への不満をもつ購買者の側からの苛立ち、恨み辛みを、現場の教員が追体験することが、現場の我々に課された「タスク」だとすれば、その現場の悲鳴や痛みを、現場の側から語るだけでなく、トップが語ることもトップの持つべき「コーポレートガバナンス」の一部であろう。
『リーダーが優秀なら組織も悪くない』
チープなドラマであったとしても、その言葉にこそ突破口がある。