聴くだけで英文法は身につくか?

『聴くための英文法』上田秀樹著(朝日出版社 2005年) 1600円(CD1枚付き)
『英文法使いこなし練習帳』四軒家忍著(テイエス企画 2005年) 1800円(CD2枚付き)
の2冊をチェックしている。
Grammar dictationに活用出来るような、80 -- 100 words程度のまとまった話が音声付きで収録されている教材を探しているのである。
『聴くための…』では第4章で英語のファニーストーリーズとして、短いながらあるまとまった話が20題、その後にテストとして10題収録されている。
『…使いこなし練習帳』では、各ユニットの最後のステップが和文英訳と書き換えを中心としたシミュレーション的な口頭作文課題で、模範解答が50 words前後の英文で収録されており、計40題の練習が出来る。
2冊を比較してみて、教材として優れているのは「パターンプラクティス」を取り入れた後者である。あくまでもシミュレーションのレベルを出ないが、充分に「音声をもとにした文型練習」が徹底出来る。さらに、トレーニングにあたって文型の解説にかなりのスペースを割いているので、「これまでに学校英語で学んだ英文法の知識を整理しないと再入門教材は成立しない」ということが著者にはわかっていると思われる。ただし、その解説の全てが優れているわけではないし、収録されている例文は800にも及ぶので教材を全部こなすのは相当にしんどいだろう。
前者は、いろいろと問題を感じた。
ネイティブが使う英文は基本の15パターンに集約されるので、そのパターンを頭ではなく、感覚的に覚えようとする、というコンセプト(?)で作られている。第1章から第3章は、見開き2ページで約20ほどの単文・短文が扱われているだけのいたってシンプルなもの。学習の手順は以下の通り。
Step 1 1つの文法パターンの全例文を、通して2,3回繰り返して聴いて、パターンの感じを耳で感じ取る。
Step 2 CDで聴いた例文を、今度は目で読み、パターンの感じを目で感じ取る。
Step 3 もう一度同じ例文を、今度は意味を理解しようとする意識のもとで、通して2,3回繰り返し聴く。

「耳で感じ取る」というのがどういうことなのか?という理論的根拠に、「意味記憶」と「手続き記憶」という、中途半端な学術用語を持ち出しているところが感心出来ない。日本語の文法は手続き記憶、一般の英語学習者は英語の文法が意味記憶となっているから、英語ができないのだ、よって「耳で感じ取る」トレーニングをこの教材を用いて行えばネイティブのように英語が聞き取れる、というのである。
これだけ読むと、「聴くだけで文法もわかるようになる」という期待を持ってしまうかもしれない。しかしながら、忘れていけないのは、全ての単文には和訳がついており、Step 2で行うとされている「パターンの感じを目で感じ取る」といっても、ほとんどの学習者は聴いて理解出来なかった英文を「読んで確認する」際に、この和訳を見て自分の理解の正確さを評価していることになる、ということである。
「パターン1」として示されているのは I'm starving./ I promise. / I'm coming./ I'll try.等の文型でいえばSVにあたる例文である。しかしながら、次のような解説はいただけない。
「主語の後に動詞だけが続く最も単純な文法パターンです」「このパターンの場合強く発音される動詞を聴き取るだけで、通常は問題ありません」「主語の後ろの、will/can/shouldなどの助動詞は弱く発音されます。あえて付け加えなくても、話の背景や声の調子などから相手に意味は伝わるからです」
強く発音される動詞を聴き取れないときどうするのか?強く発音された語が動詞であると理解出来ないときはどうするのか?
また、次の「パターン2」では、You look hungry./ He's sneaky.などのSVCの文型を扱っているのだが、たとえば、 I'm surprised.と It's surprising.と He's surprising.はどのように識別しているのか?
今まさに、最も単純な「型」の聴き取り練習をしているのだから、この発話の前後の英文を理解する能力がない、と仮定したところからスタートしなければ自己矛盾になってしまうのではないのか?せめて発話の場面設定だけでも日本語で提示するとか、質問の英文自体は和訳付きで与えておき、その答えとなる可能性のある英文を例文として列挙するとかしなければ、効果はないだろう。
結局の所、学校やテキストで覚えた正確な「意味記憶」に依存して、その守備範囲の中にある英文を自動化するためのトレーニングなのだから、著者はまことしやかに脳科学の知見を披露することよりも、読者に、正直にトレーニングの本質を伝えるべきだろう。
結局の所、正確な知識があるに越したことはないのである。