本当に揺れに揺れた週末

土曜日は、英授研の月例会へ。最初のセッションは、田尻悟郎氏の『ティーチャーズ・スタジオ』という新企画。盛況であった。明日の授業ですぐ役立つアイデアをお披露目するセッションとは対極にある、駆け出し教員の頃のご苦労や、teacher's beliefsを共有する2時間弱。やはり、公立を7校経験しているという事実は重みを持つなあ。企画そのものは単なるヒントの提供ではないものの、非常に触発され、自分の授業観・教材観を大きく揺さぶられた人が多かったものと信じる。ただ、質疑応答では、shadowingの効用に関するものが。『やったことがないのでわからない』という英語教師はまだ多いのだなあと実感。Shadowingやdebateは私も、神戸市立葺合高校に学校視察に出かけたときに玉井健教諭(当時)のビデオをいただいたりして勉強させてもらいました。(当時はfollow-upなどという言い方をしていた記憶があります)。私はこれだけ取りざたされていると、『教員自身がちゃんと自分のものにしてから授業で取り入れて欲しい』と思い、grammar dictationとloudspeakerをしつこく説いて回っているのだが、世間と私とのズレだけでなく、英語教育界とのズレもまた大きいのか…。
次のセッションは、阿野幸一氏。今年度から茨城大学専任講師とのことで、大学1年生の授業を見るまたとない機会。おそらく、高校の指導・実践で到達していた段階・領域からかなり降りていってシラバスを作らざるを得なかったであろうと思わせる苦心のビデオであった。多くの高校1年のスタートが、優れた公立中学の3年生の実践に及ばず、国立大学の1年生のスタートが、実践を積み重ねた高校2,3年の到達度に及ばない現状をどう打破するか。英語教育界の牽引者たる、一部の教員達だけの問題ではない。『文法訳読』などといって、文法も読解もできないまま学習者を放置していないか、『和訳先渡し』と『シャドウイング』に安心して、初見の英文を読むreading skillは身についているか、『自己表現』といいながら、生徒が表現したい『語彙』の手当、指導は生徒任せになったまま、マッピングなどの『形』だけマネをしていないか。英語教師それぞれが、自分の視点と立脚点を揺すぶり続ける必要がある。