SELHi は何を超える学校なのか?

明日から2日間にわたって開かれるSELHiといわゆる「日本人構想」のフォーラムに備えて、自分の理解を整理するために文献を読み返した。SELHi(Super English Language High School)が独自性を打ち出せるとしたら、学外提携や課外補習などの付加価値か、他教科を英語で学ぶという、content-based learningか、ハナから英語漬けにするイマージョン・プログラムか、ということになってしまうのではないか。外国語教育に関連した、イマージョン・プログラムというと、カナダの例が引かれることが多い。国内での実践の多くはカナダでの先行事例にモデルを求めていると考えられる。

  • 伊東治己 (1997)『カナダのバイリンガル教育 イマージョン・プログラムと日本の英語教育の接点を求めて』(渓水社)

副題でも分かるように、イマージョン・プログラムを手放しで賞賛している本ではない。建設的な批評をしている部分を引用する。
『一方、日本の英語教育の場合、仮に小学校1年次から6年次まで週1時間学習したとしても、高等学校卒業までの累積学習時間(中学週4時間、高校週5時間、年間35週で計算)は高めに見積もっても945時間程度である。カナダのフランス語教育では実際の役に立たないきわめて基本的な能力しか身につかないとされている、1200時間にも達しないし、イマージョン・プログラムの最低履修時間とされる5000時間には遠く及ばない。オタワ教育委員会の早期イマージョン修了生の場合は、実に7000時間を超える。それでもなおかつ、イマージョン修了生の話すフランス語は母語話者のレベルには達していないと非難される場合がある。このことから、仮に近いうちに日本の公立小学校に英語教育が導入されたとしても、ことコミュニケーション能力の育成に関しては安易な期待は禁物であることが容易に理解できる。』(pp.193-194、早期開始への安易な期待は禁物 )
伊東での日本の累積学習時間の計算では、中学は週4時間という部分が標準を逸脱しているのと、年間35週というのが指導要領では定められているが、現実には2期制でも採用しない限り確保できないと思われるので、『高めに見積もって』いることが分かるだろう。旧来の英語科、国際科などの設置基準では3年間で32単位以上の履修が可能であり、計1120時間の学習時間確保となるが、当然英語が増えた分は他教科を犠牲にせざるを得ないので、難関国立大や医歯薬系の大学進学実績を学校経営戦略の重大な要素と考える高校では躊躇することになる。(そういう高校はSSH=Super Science High Schoolを狙うのだろう)
進学にも適応でき、かつ英語教育でも実績をあげ、一般の高校にも波及・普及可能な教育実践研究の名目で年間350万円の予算が付くとなれば、食指が動く学校があっても不思議ではない。SELHiではどの程度、学習時間を増やせるだろうか?
高校で英語に特化したカリキュラムを組む目白学園高等学校を例にとると、3年間で最低30単位、年間35週として、1045時間程度にしかならない。SELHiとして、さらなる時間数の上積みを求めたくなるのも無理はない。文法を教える教員以外はほとんどがネイティブスピーカのTESOL有資格者が単独で授業をしている、というのがselling pointのひとつである。実態(内実?)が知りたい。

  • The ABCs of English Immersion: A Teachers' Guide, 2000, Center for Equal Opportunity, Washington, DC.

アメリカに於ける言語教育やバイリンガリズムという要因・目的だけでなく、広く、equal rightsの観点から、学校・教師のガイドラインを示した50ページに及ぶハンドブック。巻末の公教育に於ける英語使用に関する法規・条例の一覧には、州ごとに人種構成が異なり、また法律の異なる合衆(州)国の状況が反映されている。

  • Julia Read, 1995, Recent Developments in Australian Immersion Language Education

1995年にロングビーチで行われた、American Association for Applied Linguistics の年次大会での発表資料。カナダ、英国(アイルランドやウェールズを踏まえて)、アメリカでの実践例と比較した豪州の事例をまとめたもの。10年が経過し、 "recent"という部分が古くなっていることは否めないが、豪州の状況を知るにはコンパクトで有益な情報である。一般的な外国語教育への応用や教員養成・教員研修にも言及しており、日本の英語教育から見ても押さえておかなければならないポイントなどが見えてくるのではないかと思う。
明日のフォーラムでは、Superは何を形容しているのか、既存の何を超えているのかをしっかり見てきたいと思う。