SELHiの成果を検証する

今回の語研の講習会では、モデルシラバスとしてこういうものが望ましい、という提案や、評価基準としてこういう枠組みが相応しいということは示さなかった。最終的にこういう英文が40分で2本書けるようにするにはどうすればいいのか?逆算で指導手順を考え、生徒・学習者が困難に感じる要因を想定してみるという作業が受講者にも要求される過酷な講座であったかと思う。
いわゆる自由英作文の評価の枠組みとしては、ベネッセコーポレーションがSELHi校の実践や研究成果をデータベースとして公表している(http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2006/sp/selhi_database/index.html ) ので、そういうトレンドと比較して頂ければ、今回の私の言わんとするところをくみ取って頂けるのではないだろうか?
例えば富山県富山南高校の「自由英作文採点基準」(こちらでファイルがダウンロードできます→http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2006/sp/selhi_database/detail/tokai_hokuriku/toyama/034/material/toyamaminami05.doc )と今回の私のワークシート集7,8に示したSelfcheckのリストを比較してもらえれば、どのような英文を良い英文だと考えているのか、が根本的に異なることがわかると思う。
データベースを概観してみて、現行のSELHi校で、ライティングに関して理論と実践のバランスのとれた真っ当な指導評価をしているのは福岡県立香住丘高校ではないだろうか?県下有数の進学校でもある中で、英語科がチームとして有機的に機能しており、どのようなことができれば英語の力があるといえるのか、どのように英語力を伸ばしていくのか、を技能間連携を含めてcan-do statementを整備するなど、次世代SELHi校のrole-modelたり得る取り組みだと考えている。(http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2006/sp/selhi_database/detail/kyushu_okinawa/fukuoka/051/051s1.html
講座でも駆け足で説明したが、これからのライティング指導では

  • プロセス・ライティング
  • ピア・レスポンス

などは普及し流行するだろう。
しかし、なぜプロセスなのか?書き手の数だけストラテジーがあり、上位者の用いるストラテジーを下位者に強要しても上手く行かないことがわかっているのに、ストラテジー先行でprocess-orientedな指導を推進しても大きな成果は得られないだろう。
根本にあるのは、教室でのライティング指導においてdirect feedbackを与えることは極めて困難である、という制約である。であれば、どのように擬似的なdirectさを演出するか?その仕掛けこそがwhile writing phaseの取り出しであり、プロセスライティングなのだろうと考えている。
そしてなぜピア・レスポンスなのか?ESL型のピア・レスポンスを取り入れる際に、学習者の習熟度を均質化してしまうと恐らく失敗する。学習者間のProficiencyのギャップをうまく活かすことを考えるべきである。そのためにも、教授者・教師が普段からどのようなfeedbackを与えているかを明示し、整理する必要がある。ピア・レスポンスを活かすためにはガイダンスとモデルと段階的導入が不可欠であることを心の隅、頭の端に置いておいて頂きたい。ここを考慮せず、ただピア・レスポンスという手法を取り入れておいて、「習熟度が高くないと効果的なレスポンス、フィードバックを与えることができなかった」とか「与えられたフィードバックを学習者が適切に処理することができなかった」などという研究成果を出すのは恥ずかしいと思った方が良い。
冒頭であげたデータベースだが、これは本来、SELHiというお祭りを仕掛けた文科省の仕事ではないのか?研究授業や公開授業をアーカイブにして、アクセスできるようにする計画があると、昨年度のフォーラムでは豪語していたのに、こちらは計画倒れなのか?屋台骨のSELHiの企画そのものが倒れないことを切に願う。
「検定教科書にも検定の段階で優・良・可がある。赤点じゃなければやっぱり検定は通るんですよ」とかつての教科書調査官から聞いたことがある。お粗末な教科書は採用しなければ、消費者である生徒も被害を受けない。ただし、教師が教科書を選べるのは高校だけである。
教科書と同様、SELHi指定校にも指定の段階で優・良・可があったとするならば、今年可のついた高校が次年度単位を取れる保証はあるのか?もし不可となってしまえば被害者は生徒であり、保護者であり、教職員である。せっかくデータが公表されているのだから、世間一般の人の目がSELHiの動向にきちんと行き届くよう英語教育界は努力する必要があるだろう。