「詩人にはきびしくてもいいが、画家には寛容であるべきだ」

学校行事により授業はなし。朝から地元図書館に籠もり原稿書き。
ここはPC使用者(持ち込みです)用に別室を設けており落ち着いて仕事ができる環境はいいのだが、こちらの筆はすらすらとは進まないので、その合間を縫って、NHKの語学講座のテキストから表現の抜き出しと分類。結局、こっちの方が面白くなる。テレビとラジオ併せて、とりあえず、8講座分をチェック。『テレビで留学!コロンビア大学中級英語講座』8月号は「エッセーの構成」「遺伝子工学」という内容が扱われていたので、あらためて使われている表現を見直す。エッセーの構成の方は、今風のhookから書き始めるもの。日本で伝統的に教えられているアカデミックライティングの「作法」とも少し異なるので注意が必要。Restatementという用語に関しては、広く定着して欲しいものだ。この講座のgenetic engineeringで扱われているのは結局そのテーマでの議論に当たって「仮定法」を使いこなすということで、トピックに関する語彙に関しては、一昨年、旧カリキュラムの高校3年「英語II」でディスカッションをやったときに作成した表現集の方がよほどeffectiveだった気がする。そのころはまだこのブログも書き始めでアーカイブが整備されていなかったのが残念。「後々に残しておこう」、などと思っていない仕事の方が出来が良いものなのだろう。普段聞いていない『ものしり英語塾』が意外に(?)面白かった。杉田敏先生が『ビジネス英会話』の「はじめに」の中で田中菊男氏について書かれていたのが興味深い。
家に戻りWashington PostやSports Performance Bulletinなどを読んでいたら、TOEFLメールマガジンの50号(5周年記念号)が届く。全国のSELHiの奮闘記である「SELHi試行錯誤」は福岡県立香住丘高校。(詳細はこちら→ http://www.cieej.or.jp/toefl/mailmagazine/mm50/selhi.html
これまでにも香住丘についてはこのブログで再三言及しているのだが、これで大まかな実践の輪郭が伝わるのではないだろうか。英語科という特別なカリキュラムとはいえ、公立の高校で卒業時の平均でTOEICが700点近いというのはすごいと思う。今風のディベートだけではなく、「きちんとした」ライティング指導にも力を入れており、GTECのスコアも特筆もの。最近は高大連携とよくいうけれど、大学の先生との共同研究が成功した例でしょう。東京と福岡での3年以上の共同作業というのは並々ならぬ苦労があったと推察します。理論と実践のバランスに基づき「授業で使う英語をいかに豊かにするか」。鍵はそこにあるように思う。まだまだ目が離せません。
街は新総裁のニュースでもちきりか。「表現ノート」用に号外を入手しようと頑張っている生徒もいるだろう。某TV局の特番で「小泉政権」の世論調査についての「スクープ」などというのをやっていた。今更ジロー。
明日は久々に授業。ライティング三昧!と思いきや、明日は「英語俳句」だけだった。

本日の枕本:

  • 宮本常一(1995)『忘れられた日本人』(ワイド版岩波文庫):1960年に未来社からでたものの文庫版。解説は網野善彦。
  • 木島始(1984年)『もうひとつの世界文学』(朝日選書):今は絶版か。「精神の冒険」(pp.123-132)などの翻訳に関する考察など今も力を失ってはいない。ちなみに木島氏の東大での指導教官は中野好夫氏である。
  • 木島始(1989年)『群鳥の木 木島始エッセイ集』(創樹社):1980年代のエッセイ、スピーチ、インタビューを収録。本日のタイトルもこの中の「予言の虹 ロシア・アヴァンギャルド」にでてくる一節。
  • 木島始(1995年)『本の声を聴く 書物逍遙百五十冊』(新潮社):84年から10年に渡り書かれた書評の形を借りたコラム。