Empiricism of emperor penguins

1月18日の記事が意外に大きな反響を呼んだ(といってもこのブログの中でだが…)。こういう反応があると書き甲斐があるというもの。
いよいよ明日はセンター試験。みな当たり前のように「センター試験」っていっているけど、実際は「大学入試センター」+「試験」だよね。
英語のリスニングテスト元年ということで注目されると思うのだが、メディアは誰にコメントを求めるかなぁ?靜流家元か?全英連会長か?JACET会長か?なんて考えてるのは英語教育関係者くらいで、実際の所は大手予備校に聞くのだろう。とにかく事故があっても被害が最小限で収まることを祈ります。教え子達よ健闘を信じているぞ!
個別試験でリスニングを課しているからセンターのリスニングを使わないと表明していた東大は今年の個別試験で傾向が変わるのだろうか?そうすると、また教材の修正をしなきゃいけないので大変だなぁ…。
ベネッセコーポレーションの「東大対策リスニング講座」も広告が出はじめました。制作チームの私が言うのも何ですが、要するに「概要把握だけでなく、細部もしっかり聞き取れないとできないリスニング課題」なんですね。TOEFL(R)のように1回しか聴けないと大変だけど、東大入試では2回聴けるんだから、その2回を上手く使いましょう、ということです。リーディングで言えば精読に対応する精聴みたいな要素をふんだんに取り入れています。たとえば「ディスコースマーカーに注意しましょう」なんて多くの教材で申し訳程度にリストが載っているけど、結局は、<主節→マーカー→従属節>の順の時と、<マーカー→従属節→主節>の時では意味の処理は異なるわけで、それをリニアに処理しなきゃいけないわけです。だからマーカーだけ聞こえたってダメだし、マーカーの後だけ注意したって不十分なのは自明。でも、巷のリスニングの教材に出てくる設問って概要が把握できて、主題が推測できればそこで終わり、っていうものが多いのです。主題がつかめたからこそ、細部は「こういう意味に違いない」と情報を絞り込んで聞く力が本当は一番大切なのではないのでしょうか?ただ、そういうマーカーの前後の定型をどれだけきちんと押さえているか、っていうのは結局はこれまでに精読をどれだけやってきたかってことに落ち着くんだと思う。逆に言えば、この「東大リスニング講座」をきちんとこなすと、長文読解力は相当骨太なものになると思います。一応、宣伝しておきます。
さて、SELHiの一つに、三重県立川越高等学校という高校がある。いろんな仮説を立て実践で検証しており、学校のサイトに報告書がアップされているという良心的な高校である。( http://www.mie-c.ed.jp/hkawag/selhi/reports/reportstop.html )
ただし、その報告の全てが素晴らしいかというとそれはまた別問題。リスニングにかかわる実践を例として引く。

  • 「15. 言語学習ストラテジーを織り込んだ指導でリスニング力を伸ばすアクションリサーチ」(平成15年度1学期レポート)
  • [PDFでダウンロードしたい人はこちらから→http://www.mie-c.ed.jp/hkawag/selhi/reports/report15.pdf ]

では、例によって、Rubin, O'Malley, Oxford, Chamotらの先行研究を拠り所として、いいとこどりでストラテジーのインベントリーをこしらえている。苦労が偲ばれる。インベントリーで扱う項目は20.そのうち、1/4にあたる5つが「練習ストラテジー」であるのはリサーチデザインの段階の不備だろうとは思うのだが、それには目をつぶるとして、いろいろ検証してくれた結果、20項目のうち1項目でのみ、有意差が認められた、という。ということは残りの19項目では有意差が見られなかったことになる。普通はここで仕切り直しだろうと思うのだが、この人達は「有意差が見られる見られないに関係無しに」、各ストラテジーの使用頻度が、リスニング力に比例して高くなるケース、低くなるケース、リスニング力に関係なく高いケース、低いケースにわけ、そのうち、リスニング力に比例してストラテジー使用頻度が高くなるケースを主として考察を加えているのである。(報告を読む限りにおいては)
中学校・高校の現場で本当に知りたいストラテジーの研究とは、「下位者であっても、上位者と同じある特定のストラテジーを用いているのに、なぜ上位者とのリスニング力の差が生まれるのか」、「あるストラテジーを使っていると答えた者のうち、そのストラテジーを実際のリスニングで使いこなせているか否かをどのように判定すればいいのか」など、インベントリーを分析した結果に誠実に真摯に向き合う中からこそ生まれてくるのではないのか?今回の報告で興味深い項目に「全文を日本語に訳して意味をつかんでいる」というものがある。その結果は、上位者10%、中位者9.5%、下位者0% である。これがどのような意味を持つのか?ここからスタートしなければ日本人学習者のための知見など明らかにならないだろう。
実証的研究やアクションリサーチの有用性が声高に叫ばれ、この種の研究が行われる時に、なぜ、国内の同様の先行研究をまず精査しないのだろうか?ストラテジー関連であげられる参考文献はいつも、Rubin, O'Malley, Oxford, Chamot。15年から10年位前に、日本に紹介された当初ならいざ知らず、それからリサーチは少なくともいくつかは行われているはずである。失敗例でもいいではないか。「ああ、一見良さげにみえたあのやり方は、こんな風にまずいのだな」ということがわかるだけでも大きな進歩につながるはず。大山鳴動してSELHiから何が生まれ得るか、少なくとも、この3年間の全国のSELHiでの報告は、全国のどこの高校からでもアクセスできるアーカイブを文科省は早急に整備すべきだろう。今のままではあまりにも無駄が多すぎる。