描写のうしろに…

前回、慶応義塾大学の経済学部の出題を取り上げ、その「著者名」をあれこれ論じてみました。今回は、今春の大学入試問題から、表現系の出題を取り上げます。
例によって、解法講義ではありませんので、不要な批判をされぬようお気をつけ下さい。

まず、慶大・理工。
メディアでも話題となった、村上春樹の日本語の文章の和文英訳。
問題は、こちらなどから入手して下さい(いつリンク切れになるかは分かりませんでの、悪しからず)。

http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/sokuho/s_mondaitokaitou/keio/mondai/img/keio_212_eigo_mon.pdf

次の和文を読み, 下線部分をひとつのセンテンスに英訳しなさい。 解答は解答用紙(記述式)に記入しなさい。

大学に入るときに東京に出て, そこで結婚して仕事を持ち, それからあとはあまり阪神間には戻らなくなった。たまに帰郷することがあっても, 用事が済むとすぐに新幹線に乗って東京に帰った。 生活が忙しかったこともあるし, 外国で暮らした期間も長かった。 それに加えて,いくつかの個人的な事情がある。
世の中には故郷にたえず引き戻される人もいるし、 逆にそこにはもう戻ることができないと感じ続ける人もいる。両者を隔てるのは, 多くの場合一種の運命の力であって, それは故郷に対する想いの軽重とはまた少し違うものだ。 どうやら, 好むと好まざるとにかかわらず, 僕は後者のグループに属しているらしい。

(村上春樹,『辺境・近境』, 1998年より一部改変)

※はてなブログでは下線部が見づらいので、上記引用箇所では斜字体で太文字にしている。
ソーシャルメディアでは、難問であるかのような声が漏れ聞こえてきていましたが、私は結構早い段階で次のようにツイートしていました。

今回、某大某学部の入試問題で採られたのはこの部分ですね。
ちょっと安易すぎる出題だな。
granta.com

Some people are constantly being pulled back to their home town, while others feel like they can never go back.

https://twitter.com/tmrowing/status/1757350114379862244

「安易すぎる」と批判的に取り上げたのは、数々の村上作品の翻訳に関わった翻訳者の定訳とも言えるものが既にあるので、安心して別解や採点基準を作れるというところが気になったから。
https://twitter.com/tmrowing/status/1757356896099725812

東大が多和田葉子氏の文章を和文英訳で取り上げたときは、翻訳される可能性が高かったり、最初から日本語以外で書かれる可能性のある小説でもエッセイでも講演録でもなく、「文庫版あとがき」の日本語だったことを考えると、私の問題意識も少しはわかってもらえるのでは?

メディアの担当者も、村上春樹、という名前で大騒ぎしないで、どうせ取り上げるなら、予備校等で指導経験の長い講師の方に話しを聞くべきだったと思いますよ。

文字通りの英訳ならそれほど難しくはありません。

先ツイの英訳なら、上位層の受験生で十分対応可能でしょう。前段で進行相を選ぶ人は少ないと思うけど。核になるideaはattachment vs. detachmentということでしょうから、近い意味合いで言語化できていればOKかと。下線部の後「想いの強弱は不問」という趣旨なので、心情に寄せ過ぎない表現選択が吉。
https://twitter.com/tmrowing/status/1757353083603218848

ただし、実際の翻訳者の方が選択した

  • being pulled back to their home town のpull back to their home town がどのような意味を表すか、
  • others feel like they can never go backのnever go back がどのような意味を表すか、

に関しては、英語でも日本語と同様に、幅や奥行きがある、と言ってだけ済ませて大丈夫かな、という気がします。
ということで、

因みに受験生レベルを無視して私が最初に考えたのは次の文。コロンは入試だと掟破りと見做されますかね。
There are two types of people in the world: those who compulsively attach themselves to their hometown and those who constantly feel their hometown is not where they should belong.

とツイートして、私見を示しておいた次第です。


早慶戦、というわけではありませんが、次に、早大・法の出題を取り上げます。

この問題も、こちらなどから入手されたし。

http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/sokuho/s_mondaitokaitou/waseda/mondai/img/waseda_215_eigo_mon.pdf

この出題もYouTubeも含むWeb界隈、ソーシャルメディアでは結構話題になっていた印象ですが、批判的な論評があっても、その多くが、バンクシー作品が使われたこと、背景的知識の有無で解答の出来に差がでるので、英語の試験としてはいかがなものか、というような視点・切り口からのものでした。

私の批判の論点はただひとつ。

一橋大は近年改善され、コントラストの明瞭なものが出題されている印象だが、今年の某大は酷さが増している感じ。もし「写真」を示したというなら、どこからどこまでが作品なのかが明瞭であることが重要だろう。
「お前は批判ばっかり」という人が時々いるので、とりあえずの解答例を示しておきます。



※2024年2月22日追記: 上記解答例でのdeemの用法で、続く形容詞のbarbaricの前の前置詞asは不要でした。慎んで訂正します。
あれこれ欲をかくといけませんね。


過去のツイートから、批判の根拠を示しておきます。

もう数年来言ってますが、カラーの絵画やイラストをモノクロ印刷すると、質感が損なわれることを出題側は弁えておくべき。出題者がオリジナルのカラー版で見た印象と、受験生がモノクロ版で受ける印象とのギャップで、受験生の描写が「誤解・曲解」となる可能性には要注意。



古くは、このブログの過去の記事で、

tmrowing.hatenablog.com

で指摘していたことです。もう9年も前のことですね。


今回の早大・法の出題は、問題冊子のコピーではなく、実際の問題冊子での印刷の質を確かめないといけませんが、モノクロ印刷の「精度/解像度」の問題はバカにできません。

2021年の出題の例もありましたので、私は相当に強い口調で批判しています。

この学部の画像・映像の使い方は本当に酷い。
今回の出題で、写真で、しかもモノクロで「ストリートアートの作品」を見せるなら、このような環境ごと見せないと、どこからどこまでが作品なのかさえわからないと思いませんか?
2枚目は私がモノクロ加工したもの。
https://eurbee.org/wp-content/uploads/2021/11/bbank07.jpg

https://twitter.com/tmrowing/status/1760189299818107218

「単純な描写で書いてはダメ」って縛りをかけて、他とは一線を画したつもりになる前に、言葉で「描写」するスキルとは何か、それが適切に発揮できる「作問」はどうあるべきか、を今一度考えて欲しいものです。
高見順が生きてたら怒るんじゃないか。
あれ、怒ったのは川端だったか?
https://twitter.com/tmrowing/status/1760188299447341533

このツイートの最後の高見 vs. 川端の件は、私も呟いた後、こちらで確認しました。

hanaha-hannari.jp

私のライティングシラバスでは、必ず描写文を扱いますが、その参考書籍類は既にこちらでも、ソーシャルメディアでも示していました。

ネタバレしたからどうだ、ということは全くないので、経験の浅い指導者の方は、どんどん、貪欲にスキルを磨いて欲しいと思います。


「共通テスト」の批判的検討や意見の表明では結構鼻息の荒かった方たちも、私大入試や国公立の入試問題の批判にはあまり乗り気ではないようです。現在受験まっただ中の受験生への配慮、ということは理解できますので、今は控えていても構いません。シーズンオフになったら、大きな声で叫んで欲しいと思います。

本日はこの辺で。

本日のBGM: Words Can’t Describe (Sarah Vaughan)

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