How do you hold a moonbeam in your hand?

tmrowing2014-09-10

ちょっと更新の間が空きました。
先月末、ちょうど前回のエントリーをアップした辺りで、映画『ハンナ・アーレント』を妻と見てきたのです。
心のなかに刺が張るとでも言うのでしょうか、靄が膨らむというのでしょうか、得体のしれない違和感が大きくなって帰宅しました。
帰宅後、家にある諸々を引っ張り出してきて読み返し。
東京で働いていた頃に持っていて、こちらに来るときに処分した本の買い戻し、増補版の入手などなど、自分の頭と心の中の整理に時間(とお金)がかかりました。

「呟き」やFBでも、小出しにventしていたので、なんとか持った感じです。自分の中に溜めていたら大変だったでしょう。こんな呟きをしていました。

「『今の日本でこそ見られるべき映画』という感想を、いったい何時まで持ち続けることになるのだろう?」という感想を残しておきたい。2001年11月増刊の『現代思想』の早尾貴紀氏の言葉を思い出した。
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先週末で、

想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット、2013年)
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読了で軟着陸。こちらの本も、もっと早く読んでおくべきでした。キーワードのみが独り歩きしても困りますが、「消費者民主主義という病」「熱狂なきファシズム」という視点で見えてくるものともう少しジタバタしようと思います。

2学期の生業は、体育祭も終わり、リハビリのようなフェイズ。
看護科2年は、『英作文連結トレーニング』から。トレーニングしやすいように両面印刷で準備。所謂SVOOのパターンから。
「ワニの口」が直接目的語になっているとちょっと処理が滞おる感じ。SVOだと、「ワニ使い動詞」でワニがいそうな匂い・気配がするからまだいいのだけれど、Can I give you ...? Could you give me ...? の後にくる<名詞1+前置詞+名詞2>の、名詞2にワニがくる時に、名詞1でその匂いや気配を感じられるのは、既に基本ができているということなのでしょう。
折角、could を扱ったので、今週のトレーニングを経て、ユニットをどーんと下って、助動詞の過去形が表す様々な speech acts へ進み、教科書での、所謂「仮定法」がターゲットとなっている「読み」の素材文に入って行く予定。それにしても、この『連結トレーニング』は、例文の塩梅が絶妙ですね。多すぎず少なすぎず。1セクションに4例文っていう、何か基準となるデータがあったのでしょうか?徳島でお会いした時にでも伺っておくんだったなぁ…。

高3は、夏期課外の積み残しだった、「基本動詞の語法」を終えて、『表現ノート』提出まで。基本動詞の語法、と言っても、過去問演習はしていません。用例を丁寧に見て行き、英和対訳の行ったり来たりで意味を実感するという地味で退屈な営みです。一例を紹介。


SEE は
<自分の目で映像をとらえる・視野に入る・見かける>
<頭の中に映像を浮かべる → 理解・把握・納得する>

LOOKは
<視線を送る・顔を向ける・見る>
<(顔が向いているので相手に)〜に見える・見せる>
が基本。

1) I saw you walking with your girlfriend the other day.
  「あなたが彼女と歩いているのを先日見かけました」
2) Please don't look my way when you see me on the street.
「道ばたでばったり会ったりしてもこっちを(わざわざ)見たりしないでね」
3) She was a cheerleader, and he was on the football team, so they saw quite a bit of each other.
「彼女はチアガール、彼はフットボール選手、そこで二人はしょっちゅう会ったものでした」
☆ see a lot [much, (very) little] of などのスケールで捉えて使い分ける
4) In her eyes, you see nothing, no sign of love.
「彼女の瞳の中に、君は何も見いだせない、愛の兆候さえも」
5) You see what I mean?
  「私の言っていることがわかりますね」
6) I wonder why he can't see things straight.
「どうして彼は、ああへそ曲がりなんだろう」
7) Are you O.K.? You look pale. Go and see the doctor.
「大丈夫?顔色悪いよ 医者に行きなさい」
8) She always tries to look good when boys are around.
「あの子は男子の前ではいい子ぶっている」
9) Things have begun to look up these days.
「近頃では事態は上向きになり始めた」→『好転し始めた』
10) I didn't dare to look him straight in the face.
  「彼の顔をまともに見る勇気がなかった」
11) If we passed on the street, we'd look the other way.
「道ですれ違ったりなんかしても、きっとお互い見て見ぬ振りをするんでしょうね」
12) Why don't you look in on Mr. Anderson on your way home?
  「帰りがけにアンダーソンさんをちょっと訪ねてみたらどう?」

というだけのもの。実感を伴う理解と口で言うのは簡単なんですけど…。
「ライティング」の2学期はdescriptive passageへ。アイデアジェネレーションの手法としての ”cubing” って、もうかれこれ20年位使っている手法なのですが、日本の高校の英語教室では、どの位普及しているのでしょうか?

Cubing 資料 写真 2014-09-09 10 44 12.jpg 直

高3の教室にも、英英辞典など、活用できる資料が揃いつつあります。

高3学級文庫・辞書類 写真 2014-09-09 11 05 48.jpg 直

80年代初頭のもの(Longman Lexiconなど)も未だ現役。最近の辞書は、異なるコーパス準拠のものを複数冊。進学クラスは学年に一クラスで、しかも少人数。教室には作業台としてテーブルがあり、広げて一覧でき、さらに、転記してもそのままにしておけるホワイトボードがあるので、授業が終わってからも加筆修正、確認や拡充が可能です。以前は自分が調べて対比し一覧にして授業でハンドアウトを配布していました。最近は「老眼」で小さな字は厳しくなってきたので、引くのは生徒に任せて「ああ、その語の定義なら、こっちの辞書なのに…」「その辞書引いたのに用例スルー?」という時に口を挟むようにしています。
これからの飛躍に期待します。

高2はまだ授業そのものが再開されていないのですが、恒例の「読み比べ多読」に向けての準備中です。
読み比べ多読では「世界の名作」を使うことになるので、DVD鑑賞もタイミングを見て入れています。
ミュージカル映画は、通常のセリフ回しに加えて、「歌」のシーンが主役とも言える構成・展開ですから、しっかりと英語のリズム、ビートに乗って、韻を踏むところなどでついていけるか、英語の運動性能が問われる格好の教材だと思います。こんなミュージカル映画を授業で使って良かったという方は情報交換などお願いします。高2で見たのは『オリバー!』(1968年作品)、当然、『オリバー・ツイスト』を読むことになります。

高1は、ようやく中2レベルの英語を終了。語彙や構文の制約が厳しい中学英語から、「言いたくても言えなかったことば」に出会うべく、対話文を地の文に、文の羅列をつながりとまとめりを整備したものへ拡充していく、という展開。ディクトグロスもどきから、シャトルランという定番活動の導入でもあります。

1週間授業が空いたくらいで、生徒の発音・発声が降り出しに戻ってはマズイのですが、やはり精度が落ち、甘くなるもので、対面リピートの前後で、しっかりと「調律」することも大切でしょう。
今日は、

child
children

のリズムと調音。黒板には、

中国電力
略して「中電」

と示して練習。
Charの名曲が頭をよぎりました。リズム、ビートの体得には「歌」ということで、高校1年が今週見るのは、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年作品)です。


さて、
自己啓発本やビジネス書の類で一番嫌いなのが「○○歳までにやっておくべき××」的な発想。学びはいつ始めたって遅くはない。フィギュアスケートだって、 3歳から始めたエリートに10代〜20代で勝てなくたって、彼らが40歳くらいで引退した後、自分は50代や60代まで続ければいいじゃないですか。それこそ、「それぞれ・それなり・そのうち」で「よりマシ」です。
能楽師の安田登さんや数学の独立研究者の森田真生さんと出会って感じたのは、浸り、没入できる何か、今生で実現しなくとも、生まれ変わった二生目、三生目 を掛けてでも、実現したいと思い続けられるものを持つことの大切さ。そして濃密な時空を共有した誰かにその思いが受け継がれていくことの意味。
「学び」の成否を司る仕事をしている人間として、投資や資金運用、貯蓄や保険の比喩、貨幣経済の比喩からできるだけ、遠いところに居続けようと思っています。


先日、有識者会議派生の「外部試験」小委員会の人選に疑義を唱える呟きをしたら「なぜ相手の正しさを認めないのか!」という、個人の強い思い込みに基づいたメンションがいきなり飛んできたので即ブロックさせてもらいました。私は意見の批判をしているのではなく、委員の人選を批判しているのです。
私は高校を中心に公立私立5校29年教壇に立ち、教科書、辞書作成に関わり、テストを作り、研修会の講師もしてきましたが、それでも、この国の英語教育はわからないことだらけです。普通はそうでしょう。餅は餅屋です。テストのことは、テスティングの専門家に委ね、有名人ではなく統括できる責任者を長に据えることです。

大きな問題・課題があるとすれば、日本の場合「その分野で、一体誰が信頼に足る専門家なのか?」という情報はどこに行けば手に入るのかが、現場の英語教師も含め一般人にはよくわからないことです。その意味では、ある時期はある専門家の追っかけをして、その分野の実態を把握するという努力にも某かの意味はあろうかと思います。

自分の呟きから拾っておきます。、

私は「英検」は高校生の頃に取った2級しか持っていませんけど…。この調査、中高生対象では教員による好意的な「推定」なのに、教員対象は、各種外部試験の受験実態集計で意味付けが違うからね。
英検準1級以上の英語教員、中学28%・高校53% http://resemom.jp/article/2014/0/03/20254.html

中高生の「英検」の実態を把握したいのなら、全国の中高生の受験料を全て公費負担でデータを取ればいいんですよ。そうじゃなければ、英検そのものを公営に して、無料にするとか。教員の英語力を批判する前に、各自治体の教員採用試験で英語のテストをやめて、英検の準1級を受験資格にすればいいのです。
「英検準1級以上相当とは、英検準1級以外にTOEFLのPBT550点以上、CBT213点以上、iBT80点以上またはTOEIC730点以上を指す。」を文科省が公式に認めるのなら、入試「外部試験」に関して小委員会を設置する必要などハナからないだろうに?外部試験絡みの利権や特需があるから、複式で複雑にしている?

こういうことを言うと、

中高生のデータだったら、英検のサイトに出ています。

という反応があったりするのですが、本当に「争点・論点」を把握しない反応をみると萎えるものです。
私の批判は、学力テストは全数で議論したがるのに、英検では抽出ですらない「有志による受験者」のデータ集計(+推定)に基づいての「意味付け」に対するものなのです。

SNSでの議論は平行線で噛み合わないことが多いのですが、一つの呟きに対する「条件反射」的な反論は、生産性が低いように感じています。

私がこのブログを書く時に心がけていることは、

・その分野の先行研究にあたる。出典引用は正確に。
・酔っている時や睡眠不足状態で、批判的なことを書かない。
・怒りを持って書いた原稿は一晩寝かし、翌日早朝に同じ思いなら書き続ける。
・是非ではなく「好悪」の感情を書いている時は、そうと示す。

というものです。

それでは、次回更新まで暫しのお別れです。

本日のBGM: 風の手のひらの上(佐野元春)