開拓と研究と

tmrowing2013-08-06

怒濤の週明けでした。
まずは正業。

  • 山口県私立学校優秀教員表彰式

で温泉街のホテルまで。教員研修会の開式行事の前に表彰を受けてきました。県ではこれまでにも公立学校の優秀教員を表彰する制度はありましたが、「私立学校優秀教員」というのは今年度創設された制度で、県内の私学中高の教員から私を含めて3名が選ばれたということです。賞状には県知事の方のお名前があります。お上から褒められるというようなことは、公立高勤務時代もできる限り避けて来た私ですが、もらえるものはもらっておきます。
表彰式に先立って、控え室で英語教育の有益な情報交換。全英連への取り組み、今年のフォーラムの陣容等々。へえーっという情報も。O氏から、問い合わせがねぇ…。

一旦帰宅した後、本業。
隣県の高校総体の視察で、行ってきました、遠賀川。
聞いていたよりも随分と静かな波でした。
山口県勢の応援で、ミラーニューロンを刺激されて帰ってきたら、腹筋にタテに溝が入り、広背筋がパンプアップしていましたとさ。

FBでも書きましたが、加筆修正してこちらにも収録。
教壇に立って、2年目。高校の授業傍用に、私家版『前置詞・不変化詞のハンドブック』を作りました。
1993年までに資料の見直し、同僚として働いていたALTの英語ネイティブ、JET教師との膝つき合わせ作業で、4回の改訂。
それから、早20年が過ぎようとしています。

ご存じのように、1995年以降、インターネット時代へ突入。
検索エンジンの精度が上がり、共起制限などの「アタリ」を付けやすくなって以来、改訂をせず、部分修正や余白への書き込みで対応。近年では、COBUILD Direct、BNCやCOCAなどのオンラインコーパスの利用が容易となり、改訂の必要性もあまり感じなくなっていました。

もともと、生徒が「場当たり的」に日本語との一対一対応で記憶しようとしながらも覚えきれず、身につかない様子を見かねて作成したもので、基本コンセプトは、

  • 原義・基本義

をいくつか立てて、その比喩的な発展を辿るというもの。学生時代に読んだG. Lakoffや、R. A. Closeの著作に着想を得て、教師になって給料が入ってすぐに購入したCGELに書き込みをしまくりながら、『政村本』に影響を受けつつも、LOB Corpusなどを参照し、動詞との共起の実態など、できる限り「英語」らしさに迫ろうと思って作っていたわけです。
この20年で、

  • 英語ネイティブのイメージとフィーリング
  • 英語の前置詞のコア
  • 丸暗記を排する

などといったアプローチで「前置詞」を取り扱う教材や参考書が増えてきたという印象を持っています。

英語の「前置詞」に関して概説書なり参考書なりで「和書」となると、おそらく

  • 安藤貞雄『英語の前置詞』 (開拓社、2012年) 

を読んだことのある人が多いのではないでしょうか。
この開拓社版の選書の「まえがき」にも、参考文献にも、著者略歴にも一切触れられていないのですが、同著者による

  • 『前置詞のポイント 高校英語ポイントシリーズ』 (研究社、1967年)

という新書版の学参があることをご存じですか?

その研究社版の「はしがき」の中ほどにはこうあります。

私は、この本において、前置詞のあまりにもばらばらに細分化された意味を、できるだけ単一の “本質的意味” にまとめるように努めた。

開拓社版では「本質的意味」が「中核的意味」に書き換えられているが、他は一字一句同じ。
研究社版のはしがき最後のページには、

英語を母国語とする人々も、上のような表現をするとき、「時点」「到着」「目標」などの区別は意識になく、ただ、<<一点>>という本質的意味にのみ導かれているのではないか、と私は想像する。私が本書の執筆を引き受けたのは、できれば、英語を母国語とする人々の立場から、前置詞の意味を直覚的につかまえてみたい、と念じたからであった。

という記述がありますが、この部分は、開拓社版では違う印象です。「母国語」→「母語」にはすぐ気が付きますが、一文が挿入されて全部で3文になっていました。「と私は想像する」に続くのは、

  • あるいは、atの対象を<一点>というイメージでとらえている、と言い替えてもよい。

という一文。ここで「イメージ」という語が入るだけで、随分と今風になりましたね。

開拓社版の「まえがき」の最後はこう締めくくられます。

最後にひと言。基本前置詞の章で大学入試問題が数多く引用されているとすれば、そこで基本前置詞の例が多数利用されているためであり、本書が大学受験参考書を目指すものでは決してないことをお断りしておきたい。

「キリッ!」と響き渡るかのような「お断り」なのですが、私はこの「ひと言」を受け入れることはお断りしたいと思います。
研究社版の「はしがき」の最後には、謝辞と受け取れる内容が記されているからです。

終わりに、本書執筆にあたって、過去10年間にわたる大学入試問題を入念にカードに取り、校正の全部に目を通して下さった山田政美氏のお骨折りとご好意に対して、心からお礼を申し上げたい。

この言葉は、単なる社交辞令なのでしょうか?
開拓社版の本編に当たる、p. 11の「基本前置詞」の項には、

筆者はかつて必要があって、過去10年間にわたる大学入試問題を調べたことがあるが、ここでも使用頻度の高い前置詞は、やはり圧倒的に上記の9つであった。

とさらりと書かれていますが、研究社版の「はしがき」で明らかなように、それらを調べたのは山田政美氏でしょうし、「過去10年間」というのは、大雑把に言って、1950年代の半ばから、1960年代の半ばまでの10年間ということになるでしょう。安藤氏が言及している、フリーズの “American English Grammar: The Grammatical Structure of Present-day American English with Especial Reference to Social Differences or Class Dialects” に至っては1940年の刊行です。
研究社版から45年の歳月を経ての開拓社版、「過去」というあまりに漠然としたことばで済ませてもらっては些か困惑します。この2冊で、内容がどのように updateされたのか、開拓社版の用例を幾つか引いて、研究社版との対応を見てみましょう。

開拓社版で、ATの「場所の一点」の用例は8つ。
そのうち、

(2) I arrived at the station just in time.
(4) He called at my house on his way home.
(5) I would rather stay at home.
(8) He shouted at the top of his voice.

はまったく同じ用例が、研究社版に収録されています。山田氏が当時の入試問題から採取したものなのでしょう。
また、

(1) They live at 10 Victoria Street.
(6) Let us begin at page ten.
(7) Mary is very good at English.

はそれぞれ研究社版では、

  • He lives at 10 High Street.
  • Let us begin at page three.
  • He is very good at English.

となっています。当然のことながら、研究社版ではそれぞれ出題校名が明示されています。
なぜ、安藤氏はここまで執拗に「入試」の臭いを消したがっているのでしょう?
研究社版の、p.13 「重要前置詞」の項では、出題頻度の高い前置詞9つに言及した後、こう続くのです。

しかし、考えてみれば、英米で最も多く使用されている前置詞が入試に最も多く出題されているのは、むしろ、当然とすべきことかもしれない。この章では、まず、これら重要前置詞の本質的意味をとらえ、そこからどのような派生的意味が出てくるか、を研究することにしよう。

まさに、その通りではありませんか?
私は、偶々この研究社版を手に入れたから、この2冊を比べることができています。
この「学参」が、「前置詞の意味論」において、先駆的な労作という評価ができるのかはよくわかりませんが、現在巷に溢れるトンデモ本や、したり顔で英語の「本質」論を語るトンデモ講師の教材よりも、用例を丁寧に収集・分析・考察した、良心的な教材ではないかと思っているので、

  • まるで、この世に存在しないかのような扱い。

は、この学参にとって大変気の毒だと思うのです。

「学参」として書かれたという理由だけで、著作が一段低く見られるようなことがあってはなりません。
あくまでも、「その内容」が評価に値するものであるかどうか、それだけのことです
今風の衣を纏ったからといって、評価が高くなる訳ではないのですから。
さて、
英語関連、英語教育関連でいくつか本を読んでいるところです。
A社、B社とくれば、そうC社。

  • 佐藤まりあ 『読みながら英語力がつく やさしい洋書ガイド』 (コスモピア、2013年7月)
  • 渡辺由佳里 『ジャンル別 洋書ベスト500』 (コスモピア、2013年8月)

多読実践を深めるために読み進めています。
毛色の違うモノでは、

  • 鈴木明夫 『図を用いた教育方法に関する心理学的研究 外国語の文章理解における探索的効率性』 (開拓社、2009年)

著者の博論を加筆修正したもののようです。私が一番興味を持ったのは、

  • 第3章 統語要素の図的提示の効果 (pp. 83-106)

まとめ (p. 106) のこの言葉は刺激的です。

今までの図解に関する多くの研究は、文章全体の内容を分かりやすく表現した図解を文章に付加し、その図解が文章全体の理解を補助促進するのかどうかを検証するものであった。しかし、文章全体の内容を分かりやすく表現した図解は、まさしく対象となる文章の状況モデルそのものである可能性がある。母語で書かれた文章の理解を補助促進することが目的であるのならば、付加される図解が文章の状況モデルそのものであっても問題はない。しかし、外国語としての英語で書かれた文章の読解を補助するという意味では、学習者は英語そのものを理解しなくても、状況モデルを直接的に表現した図解を見てしまえば、英文の内容を理解してしまう可能性が否めない。これでは、図解が真に英文読解を補助しているとは言えないであろう。

文章、統語、前置詞と対象こそ異なりますが、「図解」の有効性を考え直すには十分でしょう。「ハト感」関連ではこのブログでも数々苦言を呈してきたし、『学習英文法を見直したい』 (研究社) での拙稿でも、「和訳よりも饒舌」という切り口で批判的に取り上げましたが、この鈴木氏の指摘は見事だと思いました。

夏野菜のカレーを食べて、早めに寝ます。

本日のBGM: Now And Then (高橋幸宏 & Steve Jansen)