what a March hare has learned the hard way

学年末試験は持ちコマの最後の1科目、高1のオーラルコミュニケーションが昨日で終了。新作は『ウサギとカメ』の書き取りで。自分の「声」にいつも以上に気を使いましたが、ライブリスニングも無理せず自分の身体に響くように読みました。今年度一番よい出来だったのではないでしょうか。
準備室で、同僚と一頻り「オムライス」談義をしていたので、夕飯はリクエストでオムライスを作ってもらいました。満腹で満足のうちに就寝。

先週の土曜日に学年末試験が入っていた関係で、今日はその振り替え休業日。
とはいえ、朝から採点と成績処理。授業と生徒指導がないというだけで、教員のやる仕事はあるのです。
採点の神様お願い!ということで、いつもの、バーデン・パウエルの遺作『記憶』とカザルスの『無伴奏チェロ組曲』をBGMに、なんとか午前中で一段落。お昼はモツ煮込みカレーライス。
ちょっと汗をかいてから、午後の読書。

  • 渋谷孝 『国語科教育はなぜ言葉の教育になり切れなかったのか』 (明治図書、2008年)

読了。それほど厚くはない本だが、体力を消耗した。市毛勝雄氏と共同研究をしていたのは知らなかった。勉強不足でした。倉沢榮吉や大村はまのことを高く評価していてこの人の立ち位置を推し量るのに骨が折れた。ここで指摘される「国語科教育」の抱えてきた、そしていまだ抱えている問題点を考えることは、先日のシンポジウムで世に問われた、「intelligenceを高める」高校英語教材の開発を考えることに繋がるだろうし、その根底にある「教材観」を揺すぶることにもなるだろうと思うので、敢えて記しておく。

国語学力調査と言っても、結局は客観的に評価できる分野、極端に言うと漢字の読みと書きと語彙や慣用句の意味、文法的な正誤などの問題に重点が置かれやすい。 (p. 35)

国語科教育を形成する主要な材料である国語科教科書は、公教育としての学校ができてから、百年以上の歳月が経過しているが、一種の「教養読本」であるという基本的性格は不変である。一種の「教養読本」とは、読んで<ため>になる感動的な読み物集である。または道徳的な教訓が露骨に述べられている文章集である。「感動的な読み物集」であることは、一概にまちがったことだとは言えないから、問題はますます面倒になる。しかし具体的な各論としての [言語事項] の教材の開発と質を深めることが、何人からも共有されない限り、わが国の国語科教育が「疑似修身教育」から脱皮することはできない。 (p. 37)

「文学教育」「文学教材」の扱いでは、2000年代の人気作品の1文の長さと、教科書に収録されている芥川や太宰の1文の長さの比較などがあり、考察・論考も地に足が着いている感じがする。

  • 第七章 第二節 語彙の知識をふやすことが、思考の深まりに連動するか (pp. 130-138)

では、辞書の扱いも取り上げつつ、「言葉相互の意味の微妙な使い分けの仕方を正しく知ることが大事なのである。量として、たくさんの言葉の、しかも国語辞典の第一項目にあるような意味だけを知っていても、思考力など深まらないのである。」と結んでいる。

  • 第八章 第一節 なぜ実用の役に立たない文法知識の「体系」ができあがったのか (pp. 139-147)

では、このタイトルからして、昨年9月の「学習英文法シンポジウム」を振り返らざるを得なかった。

  • 第九章 第一節 話すこと・聞くことが、学習指導になる道筋 (pp. 156-164)

のうち、三 「話すこと」「聞くこと」指導の一つの到達点 では倉沢榮吉、大村はまの「成果」を認め、野口芳宏氏の実践的研究を高く評価している。
そして、「第十一章 授業研究という考え方の成り立ち」で、

  • 一 よい教材と優れた指導過程は、よい授業を保障するか (pp. 206-209)

という切り口で語られる「授業観」は、どのような高校で英語授業をするにあたっても、示唆に富むものである。
ということで、このブログをお読みの方で、もしこの本を手にとって読む機会がありましたら、いつの日か、私と議論を交わしましょう。
国語教育について考えていたからこそ気がついたことなのだろうけれど、今日、知って本当に驚いたことがあります。
今年の都立高校入試の国語で宮原浩二郎の『論力の時代』から出題されていました (大問の4)。
この本は、先日の柳瀬先生の講演の振り返りでも言及し、そこでの宮原の言葉は拙ブログでも、
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061125 
で引いています。ところが、当該の都立入試の問題と解答を見て愕然としました。この宮原の言葉を真の意味で読ませたいと思うのであれば、こういう多肢選択での言い換えや要約は一番やってはいけないことなのではないでしょうか?さらに、200字の作文へ無理やり拡げていくなどとは、アイロニーにも、アレゴリーにもなりはしません。
問題解答などはこちらから。http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr120223n-mondai.htm
そして、恐らく、多くの塾・予備校などの受験産業が提供するメディアでは、この出題に関する「かしこそうな言葉づかい」による解説が既に行われていることでしょう。まさに、現代の「試験」という制度に縛られたことによって、ことばの姿が歪められ、言葉の力が奪われている象徴的事例に思えます。「国語教育」、「国語科教育」の前に、「言語教育」の観点で看過できない出題だと痛感し、ここに取り上げた次第です。

京都シンポでの柳瀬先生の講演で取り上げられた話題繋がりでさらに一件。
講演では、「身についたことば」としての外国語 = 英語、ということが再三取り上げられていましたが、その中で、「クイックレスポンス」というトレーニングの手法が中高の英語授業で取り入れられていることへの言及がありました。「効果的」な指導法として取り入れられている教室が多くなっていることを受けて、言及されたのだと思います。私は、この柳瀬先生の話で、「シャドウイング」が一時期、日本の英語教室で流行した時のことを思い出しましたが、これは、どちらかといえば流行に弱い英語教育界への警鐘ともなっていたように思います。
次は私なりの解釈。(柳瀬氏の文字通りの「ことば」は、講演の音声ファイルに当たられたし。 http://www.box.com/s/oa0po89mbysql97zmzhs)

  • テーマ語彙を自由自在に操るための同時通訳の訓練として取り入れるのは極めて効果的だろう。しかしながら、まだ英語の音声が自分のものになっていない中高生に、教室で「クイック」であることを求めることの意義とは?

英文解釈や英文和訳に対しては、「文法学者を養成しているのではない」「翻訳家を目指すのではない」と言って、英語教師は批判の対象となっていたわけですが、クイックレスポンスに関しては「同時通訳もやっているトレーニング」として推奨される、というのもおかしな話しだと思います。「翻訳家」はダメで、「同時通訳」ならマル、というのでしょうか?
日→英、英→日と置き換え練習をすることで記憶を強化しようというのは誰しもやることです。問題は、ただ単に「反応の速さ」を求めることで、「声」を蔑ろにすることにあるのでしょう。忘れたら思い出せば良いんですよ、そんなの。教室で教師がいるなら、突っかかっている生徒から、そのことばを引き出してやれば良いだけのことです。こういう活動を「アウトプット」などという用語でまことしやかに理論武装することには慎重でありたいと思います。
さて、
京都のシンポで山岡大基先生にお会いした際に直接話しをする機会を得たのですが、「地道にマジメに英語教育」で新しい記事がアップされています。「書評」とも関連しているように思いますが、この記事と書評も、良い対象に、良い深さで切り込んだ感じがしました。

詳しい考察は、是非とも上記リンク先をお読み頂きたいと思いますが、上の方のリンク先 (「クジラの公式」) から少しだけ引用を。

文法の説明など、理論的整合性は二の次で、要するにその説明で学習者が納得し、ターゲットの言語材料が正しく使えるようになればよいわけですから、アドホックでも何でも良いのかもしれませんが、あたかも筋の通った説明をしているかのように装ってこのように怪しい説明が出回るのは、決して良いことではないと思います。

私もそう思います。

もし、「クジラの公式」でそのような含意を認めるのであれば、比較の構文全体でもそれを認めなければ整合性がなくなると思いますが、もちろん、比較全体に一般化できる理屈ではありえません。

という、指摘で思い出したのが、このような表現でのnoの扱いに関してのこのブログの過去ログ。改めて自分でも読み返しましたが、結構詳しく書いていました。

今日取り上げた渋谷孝氏の言葉ではありませんが、「なぜ実用の役に立たない文法知識の『体系』ができあがったのか」と糾弾されないためにも、学習英文法で用いられる「説明のことば」はもっと整備しておかなければならないと思います。

本日の夕飯はあっさりと河豚雑炊。
綺麗な日本酒を合わせましょう。
残り少ない『相棒』でのミッチーを見てから就寝。
最後は告知です。
私が部長を務める「ELEC同友会英語教育学会 ライティング研究部会」の公開研究会です。研究報告に加えて、「シンポジウム」では、「書く」ことだけでなく、「描く」ことにも堪能で、様々な分野の英語 教育関係者を繋げる、web上の名コーディネーターとしての一面もお持ちの奥住桂先生、アカデミックライティングの名著『英作文を卒業して英語論文を書 く』の編著者としてアカデミックライティングの分野でも牽引しながら、GDMまで守備範囲とされている田地野彰先生をお招きして、ライティング指導の地平を見渡してみたいと思います。

◆ELEC同友会英語教育学会 ライティング研究部会 公開研究会
日時 2012年3月11日(日)13:00〜17:15
場所 東京外国語大学 本郷サテライト 3Fセミナールーム
(住所:〒113-0033 東京都文京区本郷2-14-10 http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
  最寄り駅等
都営バス: 本郷二丁目停留所 徒歩1分
東京メトロ丸ノ内線: 本郷三丁目駅(M21) 2番出口下車徒歩3分
都営地下鉄大江戸線: 本郷三丁目駅(E08) 5番出口下車徒歩4分
都営地下鉄三田線: 水道橋駅(I11) A1出口下車徒歩6分
JR線: 御茶ノ水駅 お茶の水橋口下車徒歩7分)
内容 
研究報告 I
• 「ライティング研究部会の研究成果から振り返るライティング指導の現状と課題」松井孝志(山口県鴻城高)
研究報告 II
• 「Discourse Completion Task・J1-J2 Task・Error Correction Taskのライティング活動3本柱の紹介と展望」長沼君主(東京外国語大)・木幡隆宏(工学院大)
シンポジウム
• 「今後求められるライティング指導」 田地野彰(京都大)、 奥住桂(埼玉県宮代町立須賀中)、松井孝志、工藤洋路(東京外国語大)
参加費 ELEC同友会会員無料、一般1,000円、学生500円
問合せ 工藤洋路 email: ykudoアットtufs.ac.jp (「アット」を「@」に置き換えて下さい)
詳細情報 http://www.geocities.jp/elec_friendship/

できるだけたくさんの方に参加して頂きたい思いは、スタッフもシンポジストも同じですが、本当に会場が大きくありませんので、もし満員となってしまった場合は入場をお断りすることがあるかも知れません。何卒ご理解ご了承下さいますようお願い致します。

本日の晩酌: 満寿泉・寒しぼり・大吟生酒・山田錦50%精米 (富山県)
本日のBGM: Falei E Disse (Baden Powell)