さしずめ Leroy Brown のように

今週は火曜から金曜までずっと朝の生徒指導。家を出る時間が早くなったので、いつもブログの更新をしていた早朝の時間がちょっと窮屈になっていました。
高3の授業は、演習の継続。
代名詞の語法と数量表現。数量表現とくれば、比例増減も含めて、GTEC Writing Trainingにあるコラムと課題のレベルをクリアーすることが何よりも大切。
そのレベルは既に高2の時に導入済みだが、定着まではほど遠いので、再度ハンドアウトをつくり簡単に解説。補足として、J.B. Heaton (1986年) の、

  • Writing Through Pictures (Longman)

から、グラフ描写の課題をやらせる。良くできているなぁ。もっとも、これを下敷きにして、自分の教材を作っていたのだから当然か。
入試問題への対応を考えると、センターレベルでは、細かい比例増減の表現を使いこなせる必要はなくなってしまったので、広島大の07年の出題を取り上げる。これは、

  • 『パラグラフ・ライティング指導入門』 (大修館書店、2008年)

の大学入試編で扱われているものをコピー。解答例は前任校の生徒が、解説は私が自分で書いたところなので、そのままでは芸がないから、YゼミとT進の解答例を併せて提示。英語としての適否を解説。一方の英語は帰国子女っぽい言葉遣い。もし英語ネイティブだとすると、最初の1文と最後の1文がいささか稚拙な印象。興味のある方は、調べてみて下さい。
最後は、グラフを読み解く着眼点を鍛える課題として、

  • Writing as a thinking process, 2nd edition (Michigan University Press)

からグラフ付きの課題をいくつか。これは1996年刊。自分自身、本当にお世話になった教材。
高2は、パート2を同様の手順で。
今回は、教科書脚注の質問ではなく、私が作った日本語による質問をもとに、自分が書き出した情報を補足して、聞こえていて理解していたはずだが、初めに書き出せなかった「英語」を自分の中から引きずり出す工夫を。
少し、英語力が伸びそうな予感がしてきました。
3連休の課題としては、Donald J. Sobolの、

  • Encyclopedia Brown: Boy Detective (Yearing)

を紹介。少年探偵の活躍する超短編小説が10編で、それぞれの事件で最後に、謎解きの質問があり、ちゃんと読めていたかが確認できます。今回与えた課題は、右京さんも、コナン君もびっくり!なんと、事件が始まり終わるまでB4で1枚に収まります。何という筆力。それもそのはず、ソボルさんと言えば、あの『2分間ミステリー』の著者ですから。初版は1963年です。
教員室で、同僚の国語科の先生がその話しに興味を持ち、読了。しかも正解!凄いなぁ。このような推理小説で、しかも短編で求められる読解力は今風の英語教育で求められる「リーディング」力とはかなり違うのでしょう。そのうち、星新一の英訳なども試してみたいと思っています。

高1は、パート1からパート3まで通して音読をしてから、パート4へ。動詞と名詞が同じ形の中学から馴染みのある語に安心して誰も辞書で確認しなかったがために、読みの精度が落ちていました。早く高校生になりましょう。パート1で張られた伏線をしっかりと辿っていれば防げたはずのミスですので、なぜ、新しいパートに入る前に復習の音読が課されていたのか、その意味をよく考えることが大切です。

放課後は、授業担当者会議が入っていたので、地元の中学校の研究授業も、広島大付属の福山中高の研究授業も断念。
自分のクラスで、すでに合格が決まった生徒の状況も含めて、情報交換と今後の取り組みへの支援要請。

さて、
スピーチ指導での添削とエッセイライティング指導での添削の位置づけの違いについて考える機会があったので、備忘録。
イベント系のスピーチ指導は中学校でも熱心に行われていて、多くの指導者は生徒の書いた英語の文章に朱を入れていると思うのですが、原稿を書く段階では「ライティング」の指導になっているはずだと思うのですね。ところが、なぜ「ライティング」を前面に出した指導では、細かな添削をしないのか訝しく思うわけです。
まだまだ、「スピーチの原稿作成での添削は、聴き手に誤ったインプットを与えないためにも必要」、「エッセイライティングの添削は、グローバルエラーにとどめるべし」という考えが強いような印象を持っていますが、結局、スピーチやディベートは擬似的 (強制的?)であれ、「聴き手」を設定できているのに対して、エッセイライティングでは「読み手」の設定に失敗しているということだと思います。

この違いを生む要因の一つは、

  • 年間に何語のエッセイを何本書かせるのか、何回のスピーチを何語で書かせるのか?

といった全体のマネジメントに大きな差があることでしょう。
私のこれまでのライティング指導での年間自己mostは、
280名 X (設定課題年5回+定期考査年5回) X 150語 
30名 X (設定課題年5回 + 定期考査年5回 ) X 150 語 X2題
です。このあたりが限界でした。

そこをある程度押さえた上で、考えるとき、パラグラフライティング指導やエッセイ指導のような、まとまった長さの作文指導では教師の添削が、生徒の新たな作文の質を高めるのに有効とはいえない、という研究成果があることは知っています。それでは、イベント系のスピーチ指導では、添削の効果はどうなのでしょう?スピーチ原稿に朱を入れて、暗誦の末に発表させることで、達成感が得られ、自信は確実に深まるでしょう。その生徒は次にスピーチ原稿を書くときに、質や量にどのような変化が起こるのでしょうか?そのようなプラスの効果を測ろう、とするときには、やはり、ライティング指導・評価の分野でのこれまでの研究成果を援用することになると思うのです。

添削指導そのものを見直すというときに、
・教師は添削をせず、今までの3倍の数の課題を書かせる、とか3倍の量の課題を書かせることで、生徒の作文の質が向上する。→ Now, write away! 大作戦
・きめ細かな添削をすることで、インプットとしてふさわしい質の英語を生徒に還元し、暗誦の段階にまで高めることで、生徒の作文の質が向上する。→ スピーチ指導、でも発表はなしよ、大作戦!
という両極の間にいろいろな段階や切り口があると思うのですね。

1. 生徒には自由に思ったことを書かせる。でも書くのは1文とか2文だけ。
2. 自分で考えて原稿を書くのではなく、良いパラグラフを視写する。

との両極の間でも同じこと。
1. のために私が行ってきたのが、「今月の歌」実践での、英語の感想・コメント書き。これは、読み手の設定も周到に計画しています。
2. は、余り面白くないので、そこに至るための足場として、ディクトグロス (grammar dictation)。書き直して、書き加えて完成した、英文を清書させることで、初めて適切なインプットとなると考えています。
では、スピーチ活動やディベート、ディスカッションではどうでしょう?

3. すでに、他の誰かが書いてあり、定評のあるスピーチの暗誦。
4. すでに、前の学年で終わっていて、好評を博したディベートを、原稿をもとに再現する。

極端に見えて、3.は「キング牧師」「ケネディ大統領」「オバマ大統領」などなど、当然のように行われているのに、4.ってあまり人気がないですよね。研究授業などで、「やらせ」や「仕込まれた」ディベートを見せられて落胆する人も多いと聞きます。でも、ここにディベートを仕掛けるヒントがあるわけです。わかっている人は、もうやっていると思うのですが…。

「ねじれ現象」、というラベルが適切かどうか自信がありませんが、本来ライティング指導の過程で高めておくべき、指導者の添削の経験値は等閑視されている一方で、スピーチ系の活動では添削はデフォルトで組み込まれており、指導者としては否応なく経験知が高められ、生徒のライティング力伸張に貢献している、という状況が実際にあるのだと思います。
しかしながら、スピーチ系活動での草稿指導 (創構指導) だけで、生徒が新たに書く「ライティング」そのもののクオリティ (プロセスもプロダクトも含めて) が本当に高まっているのか、もっと実践を共有し、叡智を集めるべく、語りあう必要があるでしょう。
12月の語研の講習会では、そういったことにも触れたいと思います。

さあ、いよいよ、山口県英語教育フォーラムが日曜日に迫ってきました。
インフルエンザの猛威を受け、講師の方が無事に来られるか、多くの参加者を一堂に会することができるか、不安はつきませんでしたが、なんとか開催を迎えられそうです。現任校の先生方をはじめ、多くの方のサポートに感謝。

本日のBGM: 突破 (TOMOVSKY)