ようやく梅雨明け。ヒグラシが鳴いている。
今日からは自分のチームの強化練習。すぐにでも使えるはずだった宿泊施設が来春までお預けということで、合宿にならず、朝夕通いです。いっそテントでも張って文字通りキャンプにしようかしら。などと考えていたら、やってくれましたよ。雨の後、流木をモーターで丁寧に回収し、無事乗艇を終えてさあ、午前の部、終了!と2Xを運ぶ途中で足を滑らし艇が損傷。しばらくは使用不能。これもひとえに普段の指導の不徹底、監督不行届です。
まあ、8月から10月まで本業のために空けておいた予定が全部チャラになったので、その分は自分のチーム強化に加えて、原稿書きと、英語の自己研修に励むことにします。
さて、
ELEC協議会の夏期研修会、私の担当する8月7日分もそろそろ定員に達するようです。ご希望の方はお早めに。今のところ、自分のなかでの講義・ワークショップの大枠は固まり、レジュメに落とし込んでいる段階です。
- 昨年度の講義から結論部分の提示
- 紋切り型考察その1:今風のライティング指導推進派の論理
- 紋切り型考察その2:入試を楯に変化を望まない現場の論理
- どちらも横目にみるその他大勢組の考察:ライティング指導の第一歩は文字指導、視写指導
- これまでの実践から得られた教訓:英語教師は文法指導がヘタ
- 添削をやめたら何が残る?何が増える?何が足りない?
- 和文英訳をやめたら何が残る?何が増える?何が足りない?
- 自由英作文をやめたら?自己表現をやめたら?エッセイライティングをやめたら?
- 新教科書にみられる「文法シラバス回帰」「保守化傾向」
- learn to writeとwrite to learn再び
- 教室の磁場、学びの保証
- ライティングの効能と「作文の教師」の責務
- ITから遠く離れて:ライティングに於ける現実の使用場面とは?
などなど、どんな内容で行っても決まって最初に要望の形や、最後に質問の形で出てくるのが、
- 評価の方法
です。評価論やテスティングに関してはうんざりするくらい書籍も論文も出ているので、それを読み、いくつもはずれくじを引く中から、自分のねらい、自分の哲学と取引可能な落としどころを見つけることが最も健康的です。「ジャクソン・ブラウンの歌は、いつもハリウッド映画のエンドマークが出たところから始まっている」と名言を残した人がいたけれど、昨年のELEC研修会での最後の問いかけをここにもう一度書いておきます。
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建前としての「英語ライティング論」から、本音を引き出すことが必要
個々の学校環境、学校の教育課程の制約を抜きにして理想のライティングを語ることは不毛。新たな取り組みを始める際に気をつけるのは以下の4点。
- 指導法・生徒の能力等、知っているつもりになっていないか?(実態把握を踏まえた計画)
- 行き当たりばったりの指導になっていないか?(計画された実践)
- 研修会などで得た知見を取り入れ、やりっぱなしになっていないか?(実践の検証)
- 実践・指導は積み上がっているか?(検証から生まれる改善)
このうち、もっとも大きな要因は「自分と生徒の置かれている実態を踏まえているか?」である。以下の項目を職場の同僚と議論できますか?
- いま、生徒は年間でどのようなタイプの英文を、どれくらいの回数書いているか?
- どのくらいの時間で、どのくらいの分量が書けるか? 書くこと、以外の英語の技能・知識はどうか?
- 進学校?受験校?大学付属?専門学科?SELHi?進路多様校?教育困難校?
- 日本人教師のみでの担当、ALT とのTT それとも、NST 単独で担当可能?
- 教師一人がその年度に担当する生徒の総数は?
- 英語に割ける単位数はいくつ?そのうち「ライティング」は?
- 1時間の単位時間は何分?50分?45分?65分?90分?
- 3学期制、2期制?セメスター制?
- 仮に50分の単位時間で、3学期制の高校を想定すると、2単位で年間何時間の授業時数?3単位では?
- 夏期休業、冬季休業、早朝・放課後の補習の位置づけ
- 高校3年の1月以降にはどのような授業があるか?
- では年間、何回・どのくらいの分量の課題に取り組ませることが物理的に可能なのか?
- では、どのくらいがあなたにとって現実的・妥当な回数、分量なのか?
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評価の方法論を語る前に、マネジメントの問題をどうするかが大きいことを理解して欲しいのです。
もっとも、受講者のうち、どのくらいの方が、このブログを読んでいるのでしょう?私がどんな人か見てみたい、という怖いもの知らずな人は8月7日、是非。
今までの受講者からの感想・ご意見・ご批判などをつらつらと眺めるに、「自信を持って英語を教える」ということが難しい時代なのだと思う。
私自身が英語科教育法を受講していた80年代の英語教育の世界では、しきりに「教師の役割」の変化を強調していたように思う。
- 英語学習者から、英語使用者へ
というスローガンというか、モダリティは理解できる。
でも、
- 英語教師から…
と考えた時、やはり、教師は教師なのだと思う。いまだに、「これからの教師はfacilitatorたれ」だの余所から用語やラベルを持ってきて貼ることで安心している教師や英語教育学者がいるが、自分の身の丈でもう一度その概念を捉え直してみるべきだろう。プラトンの産婆術から何が変わったというのか?
ファンズローは逆をやってみよう、と言っていたが、「逆」を考えること、対極概念を精査することで、机上の空論を避けることも時には有効だと思う。個人的には、評価やフィードバック論で用いられる「用語」の恣意性を質すためにやっていたことなのだが、次のような問いを自らに向けてみるのである。
- 肯定的証拠の対極概念は、否定的証拠。肯定・否定と来たら、疑問は?では疑問的証拠という概念自体存在しないのか?疑問と証拠では自己矛盾?それは clarification requestになるのか?
- direct feedbackの対極概念は indirect feedback? ライティングのようにdelayed feedbackでしか与えられないものでも、direct feedbackと言っていいのか?directとindirectはクリアーカット出来るもの?それとも軸的なもの?
- metalinguistic feedbackの対極概念は?linguistic feedbackなんて言ったらfeedback全部そうじゃないの?もし、ライティングで気になるところに朱で下線を引くのもmetalinguistic feedback?
- corrective feedbackの対極概念は?non-corrective feedback? formative feedback?
などということを考えることで、「知っているつもり」「わかったつもり」「受け売り」「付け焼き刃」「メッキ」を少しでも防止できるのでは、と青年教師は考えていたわけですね。
今取り上げたfacilitatorに当てはめてみると、その対極概念はimpederか?流石にそんな教師はおらんやろ?ということは、facilitatorという資質は、教師が自らの役割を転換して身につける資質ではないのではないか、という思考の筋道があってもよかろうというのである。百歩譲って、教師の資質として「付加される要素」と考えるとしても、そういう「あり得べき」資質をどんどん身に纏っていったら、重たくてとても歩けないと思うのである。
金八先生でも、GTOでも、夜回り先生でも、泣き虫先生でも、ヤンキー先生でもいいよ。教師は教師なのだと思う。いや、そう思おう。
本日のBGM: Alfie (Eivets Rednow)