いったい困っているのは誰なのか?

父の葬儀で帰省。雨の山口から羽田経由で北海道。梅雨のないはずの郷里も通夜が終わるまでは雨でした。
往復の時間で読了したのは、

  • 関川夏央『「世界」とはいやなものである 東アジア現代史の旅』(2006年、集英社文庫)

「国際化」とか「世界水準」の好きな人は読まないだろう類の本。内田樹を読んで溜飲を下げるような人は併せ読んで丁度良い感じだと思うのだが…。一節紹介。

  • だが、このところ私が抑えがたい「文明そのものに対する強い懐疑」は癒すすべがない。それは「情報」という名前のクズの洪水とともに、私を悩ませつづけるだろう。(p. 67)
  • 要するに、コスモポリタニズムや「アジア回帰」の情緒が、「世界とはいやなものである」という現実認識に敗北したのである。(p. 312)
  • 書き手は、頭と目と手が使える限りは考えつづけ、書きつづけなくてはならないのである。身の因果を嘆くひまはない。(p. 313)

慶弔休暇を1日早めて、今日から仕事復帰。進学クラスで0時間目にオーラルの授業がある日なので7時過ぎに出校し、ハンドアウトを印刷し、音源をiPodで確認。いざ、教室に行ったら、「先生、今日は0限ないですよ」と生徒。昨日、帰路につく際に電話で時間割変更を確認したときには何もいっていなかったのに…。二週連続で無駄足だった。
高校3年生の授業の教材研究で、A friend in need is a friend indeed. という諺をどう説明するか考えていたのだが、この諺のもじりで、A friend in need is a friend to dodge. (最後のフレーズは他にも、a friend to avoidとか、a friend to be avoidedとかあるようです)を思い出してしまったからさあ大変。
「いったい、困っているのは誰なのだろう?」と暫し悩んでしまった。「後置修飾」などと英語教師はわかったようなことばを使うが、オリジナルともじりとこの二つの区別は形からは決められない。英語はつくづく難しいと思う今日この頃。
『英語教育』の8月号特集のゲラが上がってきたので校正。自分の名前がいきなり間違っていたのにはへこんだ。
気がついてみれば、世間では「教育改革関連三法案」なるものが成立とのこと。死に体だった教育は息を吹き返すのか?それとも生まれ変わるのか?首相はこの三法案成立によって「教師は誇りを持って教壇に立てる」というのだが、立っているだけなら案山子も同じ。三蔵法師でも案山子でもない、普通の教師の声はどこに?

  • A teacher in need is a teacher indeed.

とだけ言っておく。
でも、本当に困っているのはいったい誰なのだろう?
本日のBGM: The man is dead (Briana Corrigan)