The ones you love to hate

科目不足、未履修問題は収拾のつかないところまで来てしまった感がある。いじめの問題も含め、今や学校・教師をいくら批判・非難・糾弾しても誰もとがめないので、世間もメディアも言いたい放題だ。
まず、肝心なことを言っておきたい。

  • 学習指導要領の法的拘束力をなくせば少なくとも今回の問題は解決する

相変わらず、メディアも世間も問題の表面だけを見ていて、根幹を考えようとしていない。
たとえば、次の論考を読んだ後で、この「問題」を見れば、教育に関して少しは建設的な内容で意見が言えるのではないだろうか?
http://mail.rche.kyushu-u.ac.jp/~rdche01/education/paper1014.pdf

九州大学全学資料で公開されているので、誰にでも開かれた情報である。特に、pp.3-4の部分で指摘される「学力低下を煽ったメディアや学者」「進学対策で高校の置かれている状況」などについて、経緯と事実を踏まえた上で、問題の所在・責任の所在を語るべきだろう。

気になることをいくつか徒然に。
「生徒が被害者」という指摘は一面的である。建築業者が購買者の不利になることを隠して不正を働いた「偽装建築」とは話が違う。その偽装によって、本来は人の生死に関わることはないのだから。
ニュースで記者にきかれて「生徒の負担にならないように補習を」という保護者がいたのだが、これまでの生徒の負担は不正に軽かったわけだから、痛み分けということだろう。受験が迫っているから辛く感じるだけのことだ。「子どもが感じる痛みが強ければ強いほど、加害者の罪は重い」= 「痛みを感じるのが子どもであればあるほど加害者の罪は重い」という論理は間違っている。新課程となって3年くらい同じ状況が続いている訳であるから、昨年当該の高校を卒業し、晴れて有名大学へ進学した生徒の保護者は、自分の子どもの卒業や合格を取り消してくれ、と願うだろうか?それはないだろう。では、必履修科目を賢明に勉強して合格を勝ち取ったマジメな高校の生徒は、同じ大学で学ぶ科目偽装高出身の学生に対して「アンフェアだ!」と人格批判したりするのだろうか?同じ入学試験をクリアして入学しているのだから、それに対して憤っていること自体が滑稽である。お受験自慢をやめることが重要なのだ。
教員の責任も多面的である。
学校要覧などでも教員構成・配置を見れば、公民科や家庭科や芸術科に専任の教諭がいない、などという学校があることがわかる。
当該科目の教諭はもちろん、学級担任・学年主任・教務主任・教頭(副校長)などは、カリキュラムを把握しているわけであるから、どこがまずいのかには必ず気付いているはずである。担任は毎年度、指導要録の記入があるわけであるから、当該科目・教科の教諭でないから、というのは言い訳にもならない。だからといって進学実績を誇ってきた当該高校の教諭は総辞職させるのか?それは無理だろう。一方、最近は有名進学校の教諭であることを看板として、研究会活動や執筆活動に励む人も多いのだが、こちらは恥ずかしく思うべきである。今回の件に該当する高校の教諭は、自分が学校のブランドを利用して仕事をしてきたことを深く自戒すべきだろう。
私は、公立高校の教諭を務めていた最後の年は、新課程にむけての「カリキュラム検討委員長」をしていた。当然、必履修科目の標準単位数を満たしながら、進路に対応した学力を保証するべく、週当たりの単位数を守ってカリキュラムを組む必要があった。公立の教諭の立場からいえば、週6日でカリキュラムを組める私立高校で今回の問題となっているのはあまりにもお粗末である、ということになるだろう。カリキュラムを組む立場から言えば、平日の6時限以降に科目をぶら下げようにも、その増加分の単位数をそもそも認めなかったのはどこの誰なのか!といいたくなるだろう。
みんな、一度、学校のことは気にするのをやめたらどうなのだろう。教育関係者も裸一貫で出直したらどうなのだろうか。教職15年から20年で一度、非常勤講師として出直し、3年間くらい禊ぎをしてみるというのはいかがだろうか。世界が変わって見えますよ。