心機二転三転

日曜日とはいえ午前中は本業で5時半に家を出て、10時過ぎに一時帰宅。昼ご飯も食べずに、英授研のある筑駒へ。午後の部から参加。会場近くでK先生とばったり。(私の知人はイニシャルKの人が多いなあ…)。ちょっとお茶してから会場入り。超満員。200名を超えていたと思う。NHKラジオ講座「レベルアップ英文法」の太田洋先生や、最後の講演「文法指導に役立つ(かもしれない)認知科学」の大津由紀雄先生がお目当ての人も多かったとは思うのだが、私のお目当ては研究実践発表をする筑波大附属中の久保野りえ先生。FTCでは中1の入門期のデモンストレーションだったが、今回は中3の教科書を扱ったもの。「教科書の英文に命を吹き込む」という副題。看板に偽り無し。先輩を形容するのに失礼かとは思うが、今一番安心できる授業だなぁ。オーソドキシーの強みとでも言おうか。次にチャンスがあるとすれば2年後?高校の英語教師は本当に優れた中学教師の授業を見るべきだと思う。レジュメの参考資料を再読するだけでも新学期の授業を襟を正して始められるのではないだろうか。調子に乗って懇親会までお邪魔しました。無事帰宅。

昨日に続き、語研講習会アンケートから:

  • 現任校は底辺校でなかなかwritingの指導ができるような環境にありませんが、できるところから授業にとり込んで生きたいと思いました。
  • 1クラス45名でやっていますが、peer reviewを利用してwriting活動がもっとできるかもしれないと思いました。
  • 上位のクラスとはいえ、ここまできちんと書かせるには本当に細かい配慮があると思います。ただ書かせるのではなく、書くための準備、それまでに読ませておく準備など、あたり前のことなのでしょうが、自分は今までやっていませんでした。まずは自分が学び、きちんとmanagementができるようにしていきたいと思いました。
  • (自分が受けた)writingの授業でpeer reviewは余り好きではなく、先生が言うことのみを信じる傾向があり、今日の話を通して、peer reviewをやらせるにしてもstepが必要なことをすごく感じました。
  • 頂いた資料をゆっくりと読ませて頂き、ライティングがんばってみます。
  • 自分の書いたものや添削に自信が持てない。それでも授業をしなければならないし、そうした中でどういうことをやればよいのか当惑しています。
  • どのレベルまで生徒の原稿を訂正するか、にいつも悩みます。
  • 個人添削をしていると、生徒のレベルが上がるほど、ネイティブレベルの判断が要求される答案が出現してきて、managementが崩壊してきます。先生には無い悩みなのでしょうか?

みなさん、新年度を迎える大事な時期に、当惑したり、意欲を固めたり、高めたり忙しいことと思います。「いいことを聞いた。そうだ、これでいこう!」と勇んで始めて見たものの、「おかしいな、こんなはずでは…」となり、今度は別な誰かの「コツ」や「助言」を求めて…、というアプローチではうまくいかないのではないでしょうか?
最後の「悩み」ですが、私にも当然ありましたし、今でも悩んでいます。ただ、native speakersでもwritingは学ぶものなのです。日本語母語話者で考えても、書くのが下手な人は下手なわけです。日本語を母語として使用し、学校内外で学んできた人でさえ、「書くこと」は難しいのであり、「書かせる」指導は難しいのです。外国語ではなおさらでしょう。英語力も確かに要求されるのですが、問題はそれだけではないでしょう。書くこと、ととことん向き合うことの方が私には重要に思えます。
今回の講座の参考資料にBratcher, S. の著作を挙げました。この人はL1の作文教師・教師の教師です。我々のL1である日本語の作文指導、彼らのL1である英語の作文指導でいったい何をしているのか、という部分から私は随分学んだと思います。
基本的に授業では一連のタスクも幾つかに分け、書かせた後のfeedbackが次のタスクのためのpre-writing の作業になるように仕組んでいます。どんなに丁寧な指導をしたところで、訂正・添削の労はなくなりはしませんが、まずは何を書かせたいのか、という主題設定を突き詰めるだけでもその後の指導手順が明確になります。また、一般にpre-writing活動、などといわれる作業は、idea generationとかinventionの指導だけですぐに書かせていることが多いのですが、この段階でのテーマ語彙指導(当然理解確認も含む)とかコロケーションの指導をすることで、随分と生徒のproductionのベクトルをコントロールできるようになります。教室でこそできることは何か?通信添削ではできないことは何か?という観点で課題を見直してみて下さい。
もう一つの観点は、「好きなことを自由に書かせない」ということです。講座の中でも指摘しましたし、『英語青年』の原稿にも書きましたが、「レベルが上がる」という時に「レベル」が何を指しているかを吟味することが大切です。私も含め、北米型のマッチョな、straightforwardでrigidなパラグラフの構成を求めるアカデミック・ライティングの指導が好きな人は、とかくその完成へと急ぎすぎる傾向があります。ライティング活動に慣れ、習熟度が上がった生徒により社会性の高いテーマを与え、さらにより長い英文を書かせようとするアプローチを見直すことです。TOEFL(R)のエッセイ対策教材などで模範として示されるような英文のbodyの部分に空所を設け、「主題を踏まえた上で、このトピック・センテンスに対する理由付けを書いて文章を完成させなさい」などといった作業を課すことでも、十分に上位者を伸ばすことができます。例えばの話ですが、変数が2つあるとするならば、一度にその両方を変えるといたずらに難易度が上がってしまうので、どちらか一方だけを難しくするわけです。もう一方はそのままか、時にはより易しく(優しく?)してもいいでしょう。テーマが難しくなったら、書く量を減らす。全体としては長い文章だが、途中まで書いておいて最後だけopen-endedなタスクにする。所用時間を延ばす。タスクを分割し、一度にやることを減らす。ペアやグループで助け合う。語彙を与える。英訳先渡し(?)をする。などなど。今回のワークシート・ハンドアウト集、添付資料をよく読んで頂ければ、いろんなことが見えてくるはずです。
心機一転とはよくいいますが、その「すっかり」の度合い、いわば回転の角度は意外に見落とされていませんか?もし360度回ったとしたら、それは元通りですか?
じたばたすることを少し楽しんでみてはどうでしょうか。