晴れのち雨

木曜日は昼過ぎから茗渓会館へ。福田陸太郎先生お別れの会。ほとんど最年少グループだった。かなり場違いな感じ。安藤元雄氏の言葉が良かった。引いていたのは『ある晴れた日に』。私の好きな作品だ。
同席していただいたK先生とお茶の水から神保町へ。数冊の買い物。

  • 『ジャズの本』ラングストン・ヒューズ著、木島始訳(晶文社;1968年)
  • 『夕鶴・彦市ばなし』木下順二作(岩波文庫;1982年)
  • 『映画で英詩入門 愛と哀しみ、そして勇気』松浦暢編著(平凡社ライブラリー;2004年)
  • 『19世紀のアメリカ人が集めた 中国のマザーグース』ロビン・ギル(北沢書店;1991年)
  • 『英語の恋の味わい方 アメリカン・ラブソングの世界』畑中佳樹(筑摩書房;1996年)
  • 『生きることと読むこと』高史明(コ・サ・ミョン)(筑摩書房;1991年)

『ジャズの本』の表紙はオリジナルの白地にオレンジでJAZZなのだが、古ぼけた感じが何とも言えない。『夕鶴…』のあとがきは堀田善衞(ほったよしえ)との対談。面白い。『生きること…』の最後にも堀田の「広場の孤独」が取り上げられている。大学生の頃、『夕鶴』の木下氏と『マクベス』の訳者としての木下氏が同一人物と知って愕然としたことを覚えている。戯作者としても超一流の氏なればこその名訳なのだ。『夕鶴』といえば、『日本語について』( 抱樸舎文庫;1997年)の中で、今回のあとがきでの対談と同じ種明かしをしていた。こちらの本は、以前公立高校で進路指導担当として進路通信で「書くために読む本」という連載記事を書いていて、そこでの推薦図書にあげてみたのだが、全く反応がなく寂しかった。
雨も落ちてきて、旧冨山房書店の地下のカフェで休憩。早期英語教育の音声指導のあり様について持論を述べ意見を伺った。こういう話ができる人が身近にいて良かった。日も暮れ、雨も激しくなる中、理事会へと移動。年度末ということもあるのか、出席者は少なかった。皆さんと夕飯をご一緒して、その後S先生とA先生の地元で二次会へ。11時をまわり、帰宅しようと駅に入ったら、強風のため電車が止まっているとのこと、迂回して深夜に帰宅。
一夜明けて今日は終業式。午前中から学校へ。ただし私はELEC同友会と語研の発表に備えての資料整理。だいたい終わった。あとは語研の講習会で使う、ハンドアウト集を綴じるだけ。B4裏表で10枚。結構な出費だなぁ…。参加される方はこの資料集だけでも、受講料の元は取れると思いますよ。明日の授業ですぐに使えるアクティビティ集ではないので念のため。目の付け所に気付くための資料集です。
終業式を終えた2年生が研究室に質問(相談?)に来た。「文法を深く追求したい」「つっこんだところまで学習したい」とのこと。危ない兆候だ。「つっこんでどうしたいの?」と問い返す。無言。たまたま、「教材研究の目の付け所、そして落とし穴」の資料を整理し終えたばかりだったので、高3生の授業後の総括アンケートのサンプルを読ませ、英文と教材研究での私のメモ書き(というにはあまりにも細かい多量の書き込みだが…)を見せ、授業で「意味」を読んだら、「英語」を読むように説明。高2,高3、入試レベルの英文でも音読が大切であることを指摘。「読む際は大まかに鷲掴みに読めるが、書く時は『鷲放し』というわけにはいかないでしょ。著者の思考プロセスを辿るには、自分の手で最初から書き写しながら考えるのが一番。面倒だし時間がかかるから、100人に1,2人しかやらないけどね。」とアドバイス。最後に、まっとうな学習参考書をいくつか教えてあげた。春休みに基礎体力をつけておいてくれると良いのだが。