英語教科書、表と裏

昭和女子大OCでの投げ込み教材用に、ある程度まとまった内容のShort StoriesやMaximsなどを準備する一方で、ELEC同友会英語教育学会での発表に向け、中学校の教科書のライティング活動を検証している。対話文も含め、いろいろな教科書を読んだが、文章・テクストの特質で気になったことがある。テクストタイプといえば、

  • その文を読んだ人が、新たな行動に移る働きかけがある文(human)
  • 時間の流れに沿って述べていく文 (time)

という大まかなマトリクスで考えたときに、

  • (I) 指示文 (Instructive) = (+) human (+) time
  • (N) 物語文 (Narrative) = (-) human (+) time
  • (A) 論説文 (Argumentative) = (+) human (-) time
  • (E) 説明文 (Expository) = (-) human (-) time

という観点での分類が考えられる。
教科書の全ての課を通してみると、 N, A, Eがまがりなりにも配置されていて、学習者のインプットに役立っていて、教室英語の使用により、Iのインプットも補完されている、という印象を受ける。
ところが、それぞれのレッスンを丹念に読み込んでみると、多くの問題が浮かび上がってくる。

たとえば、三省堂の『クラウン』の中学校3年の教科書では、年間を通じて3つの Let's Write というプロジェクトがあるのだが、そこでは NarrativeとExpositoryしか扱っていない。しかしながら、通常の課では、平和、人権、環境、文化間交流などが題材として扱われており、教師はその課の「内容理解」を促すために、いわゆるアウトプットの活動として「自己表現」を課すことが多い。つまり、その課で扱ったテーマや問題についての「自分の意見・感想・考え」を話す・書く活動が取り上げられることになる。
ここでギャップが広がる。
本文ではきわめて一般的な問題を指摘していて、個別の課題とその解決策に関しては「さあ、みんなも考えてみよう」と、読者に投げかけるような記述しかされていないにもかかわらず、いざライティングの活動になったとたんに、定型表現を使って、まとまった内容の英文を書くことを要求される。教科書本文で、個人的な意見、しかも様々な観点での意見と、その意見の表明に必要不可欠な定型表現を充分に示すことなしに、学習者にそれらの表現を使いこなすことを要求しているわけである。
中学校現場で、実践的な指導を続けている先生の中には高等学校用の『ライティング』の検定教科書を中学校3年生に用いている人が少なくない。「無茶なことを…」とか、「その高校の教科書のレベルが優しすぎるんじゃ…」という印象を持つかもしれないが、そうではない。ここにこそ問題の本質が隠れており、その先生たちはそのことを経験則で知っているのだ。
高校の『ライティング』の教科書には、アウトプットのための、より直接的なモデルとプロセスが、中学校の教科書よりも数多く示されているのである。
中学校の教員の方、また中学校教科書の著者の方は、ご自分の作られた教科書の「アウトプット」特に「ライティング」の活動から溯って、その課の本文やテーマを分析してみては如何だろうか?そして、今教えているのが中学生だから、という先入観をいったん置いておいて、高等学校の『ライティング』の教科書を眺めてみては如何だろうか?多くの発見があると信ずる。
もっとも、高等学校の『ライティング』教科書が、このままでよいのか?という問題はまた別の話である。