先週末は、本業はお盆休みの最後、正業で英授研の全国大会に参加してきました。
考えてみると、大阪で二日間参加は初めてですね。
そこから、1つだけ取り上げて備忘録代わりに。
17日 (土) のオープニングは、ビデオによる授業研究。
西村秀之先生 (横浜市立南高等学校附属中学校)
「教科書をいったりきたりしながら表現力を伸ばす授業づくり」
新設2年目の学校で進められている、ambitious な授業でした。
最近、金谷先生のグループだったでしょうか、「教科書を二回使う」といった高校での取り組みが注目されていますが、西村先生の学校は、中学1年生の段階で、二回ではなく、五回教科書を使う、というもので、ちょっと衝撃を受けました。
大会資料から掻い摘んで引用すると、1年次では、
一巡目: 音声のみで教科書の概要をつかむ
二巡目: 音文字の一致
三巡目:音読
四巡目: プロダクションにつながる音読活動
五巡目: ストーリーテリング
となっています。1レッスンとか1ユニットではなく、教科書1冊をこの流れで五巡するわけです。
今回、ビデオで見たのは中学2年生。1年次の取り組みを踏まえて、2年次では、
多くのインプットを大事にしながら、かつ、既習事項を何度も使う場面を設定しスパイラルな展開を考えた授業展開を行っている。具体的には、一巡目では、リスニングによる内容理解および、ストーリーテリング、教師によるオーラルインタラクション、二巡目では、内容理解したストーリーを音読、三巡目では、プロダクションにつながる音読活動 (穴あきリーディング)、四巡目では、ストーリーテリングという展開を実施及び、計画している。
とのこと。
授業を紹介するビデオは、時間の制約のためか、授業展開の「チャンク」ごとに編集されているため、それぞれの言語活動の「意図・目的」を理解するのにやや支障があったのですが、そこは質疑応答で確認できました。
ペアでのストーリーテリング帯活動に続いて、スモールトークから、「新教材」に接続。
リスニングでの内容理解ということで、繰り返し本文を聞かせていたように見えましたが、ここが編集されているので、生徒が実際に聞いている音声 (言語材料という意味で) が、毎回同じなのか、それとも、各回で何か変化があるのか、が不明でした。
質疑応答での私の質問は、
- 「いったりきたり」という時に、どことどこ、何と何の間のいったりきたりなのか?リスニングで例えば4回聞かせる、というときに、その音声は毎回同じなのか?
というもの。これに対しては、
- 「同じテキストを繰り返し使う」というねらいなので、毎回同じものを聞かせている。ビデオでカットされたところも、同じ音声が流れている。
という回答でしたから、
- ということは、言語材料としては同じものを繰り返し聴かせている、ということですね。
と確認、その通りという回答を得ました。
ここは、一回の授業だけでなく、「表現力を伸ばす」という大きなねらいを達成するためにも重要だと思ったので、時間を取って確認させてもらった次第。この部分は、懇親会でも突っ込んで話しをさせて頂いたし、その後、メールでも確認させてもらったので、自分の理解、シラバスの捉え方という点でも、納得整理ができたところです。
今回の授業の流れとは離れますが、一般に、「表現力を伸ばす」というねらいを立てると、当然のごとく、学年進行で、インプットもアウトプットも質量共に向上していくような「右肩上がりの」イメージを持つことが多いでしょうが、多くの中学校の教科書のように、「文法事項の導入順序・配列」という問題から自由になりにくいシラバスでは、常に新出事項の処理に追われて、なかなか「表現力」の向上までは辿り着けないのではないか、と危惧します。
今回の授業を見て、一番感じたことは、そこに「突破口」を作れるかも、という期待です。
- 1年次に行ったアウトプット (これをAとする)
が最終的に共有され評価され記録されて残る。
ただ、そのAは、言語材料としての「質・量」の観点からは、
- そのアウトプットを生み出す元となったインプット (これをBとする)
には及ばないことが多いだろう。
で、
- 2年次に与えるインプット(これをCとする)
は、1年次よりも負荷が高いものになっているはず。とすると、
- Cに基づき、様々な活動をした後のアウトプット (これをDとする)
までの、A,B,C,Dを、「どのように、いったりきたりするのか?」という見方で授業を組み立てることができると思った次第。
インプットであれば、BをCで「活かす」こと、言い換えれば、言語材料を吟味する視点と方法論(英語使いとしての筆力)が求められる。
1年次のインプットBを、
- 語彙構文=易(簡)・分量= 少(短)・テーマ=浅
というものとすれば、
それを、2年次のインプットCでは、
- 難(複)・ 多 (長)・ 深
と変化させていく際に、既習事項を意図的に盛り込む中で、どう肉付けして、より英語らしい表現へと書き換えることができるかが重要になってくる。
このような観点で「新しい課の内容を聞かせる」というときには、教科書の本文をそのまま繰り返し聞かせるだけでは不十分なのではないか、教師が教室で与える英語こそが重要なのではないか、という思いが私にあったので、質問させてもらった訳です。
アウトプットに関しては、ワークシートへの記録がきちんとなされているし、ペアを替えて、何回も同じ「ストーリー」を語り直す、仕切り直しのチャンスが与えられているところが素晴らしいので、ペア活動で、上手く言えなかったもどかしさをバネにして、複数回のラウンドで徐々に言えるようにする、というアプローチに加えて、
- 1年次のA で言えなかったことを、2年次の Dでは言えるようにする。
という、同一テーマ・トピックスでのアウトプット活動を積極的に「仕組む」ことに、突破口があるように感じた。ただ、ここでは、「時間」というファクターが大きく影響する。
どちらかというと、1年次には準備に1分かけて、2分話していたことを、2年次では、同じ1分の準備で、3分以上話せるようにする、という方向に進ませがちだが、むしろ、同じ2分という制約の中で、
- 語彙構文ともスカスカ感のあった、Aというアウトプットに、文と文の繋がり、主題への纏まりといった「質」の向上をともなうDというアウトプットを求める。
という方向も重要だろう、ということです。
- 言いたかったけれど、上手く言えなかった。
というジレンマを、フラストレーションとしてではなく、次への「バネ」として活かすためには、
- こんな風に言ってみたらどうだろう?このような表現で伝わるかな?
という、「メタ的」な部分と、
- ああ、こう言えば良かったんだ。
と気づいてもらえるような、インプットの機会が不可欠。
しかしながら、それを「多読・多聴」に任せて、ただ待っているだけでは不十分だから、「教師による事前・事後の介入」が重要な意味を持つのだと思います。
シラバス全体、カリキュラム全体の大きな流れの中で捉えることが必要で、今回の授業一回を見ただけでは、「評価」は難しいと思いましたが、今後どう進んでいくのか、3年次はどのようにつながるのか、久々に「次の授業を見てみたい」という、刺激を受けた授業でした。多謝深謝。
西村先生の学校では随時授業を公開しているとのこと。
お近くの方は是非。
高校の部の授業や、他の分科会、ワークショップに関しては、また日を改めて。
今回の英授研は二日とも参加と言うことで、懇親会の後、鶴橋に宿を取り一泊。
T先生に教えて頂いた焼き肉店で「牛」を堪能した後、東心斎橋でイベント開催中の旧友を訪ねてみました。
8年振りくらいでの再会でしょうか。
エレベーターを降り、店のドアを開けて中を覗いたところ、正面のカウンターにいた、旧友の驚いた顔に続く、満面の笑みに疲れも吹き飛びました。
懐かしい曲もあり、新たな時代を牽引する見知らぬアーチストの曲もあり、ベル・クラ好き、幸宏好きなど、好みの似た方たちとも話ができ、短い時間でしたが、本当に楽しかったです。有り難うH君、また会いましょう!
本日のBGM: Strange Bird (The Grip Weeds)