「教えて!絶版先生」第4回『ストーリーテリングのすすめ』

tmrowing2014-11-16

不定期連載の「教えて!絶版先生」も第4回。
今日は、教師用の指導法の概説書になるでしょうか。

 西村嘉太郎 『ストーリーテリングのすすめ 三省堂英語教育叢書7』 (三省堂、1993年)

念のために、確認しておきます。

  • 「リテリング」ではなく「テリング」です。

この本も、過去ログで何度か言及しています。
三省堂から、『叢書』が出ていた時代があったのですよ。
私が公立の2校目に異動した頃に買って読んだのが最初だから、1995年くらいですね。

過去ログでは、こんな引用をしていました。(再録)

英語の教授法は氾濫している。われわれ日本の英語教師が、自らの教授法を作ろうとはせず、「外国人が、外国で開発した、外国人のための英語教 授法」をうのみにしてきたからである。そして、もう食傷気味にもかかわらず、新しい学習、習得理論が輸入・紹介されるたびに、右に左になびきつづけているからである。
さらに悪いことに、われわれは、これぞ決め手といったものはないのだということを知っている。学問的究明と理論分析を怠ってはならないが、多くの現場教師にとってメソッドはもうたくさんである。今はそれよりも、それらを応用して実践の成果をあげることが必要なのである。そもそも教授法とは、一定の理論に基づくその人個人のもので、現場での闘いの中から編み出されたものでなければならないのだ。ある教材を、だれに、いつ、いかに教えるかを考え出すのは教師自身であって、一巻の極意書があるわけではない。 (p. 163)

いかにも、私が好きそうな物言いですね。

「呟き」の方にも登場しています。

残念ながら、既に絶版なのですが、英文の「つながり」と「まとまり」を考えるのに格好の素材とヒントに溢れています。
https://twitter.com/tmrowing/status/355868283846656000

この時は、FBでも同様の文面でアップしていたことも影響してか、数時間のうちに、「密林」のマーケットプレイスの在庫が一気に減りました。本当です。「学参」だけでなく、教師用の「叢書」レベルでも、気にしてくれている英語教育関係者、英語学習者が存在することが確認できて嬉しかったのを覚えています。その後、密林でも在庫がなくなった模様。公立図書館の所蔵状況はこちらから。(http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002267126-00)
過去ログではこうも書きました。

このような良書が存在していたのに、なぜ、ことごとく絶版になっていくのか、ということと、「日本の教材の英文」が「つながり」と「まとまり」を欠く嫌いがある、ということとが、どこかで繋がっているように感じています。
「英文のパラグラフ」、「つながりとまとまり」というものを考えるための良書が、これまでに何冊も出ていますから、それらをきちんと読み、消化吸収していれば、少なくとも「後発教材」の方が、英文のクオリティは上がっていくはずなのです。でも、現実は…。

私の歯痒さが少しは伝わったでしょうか?

目次と第一章の「さわり」をご覧下さい。

ストーリーテリング目次.pdf 直

目次に続く最初のページは、その本の印象を決めるものです。

「B. ストーリーテリングの作り方」から、少し引用を続けます。(pp. 20-32)

次の例は、中学校向きの教科書のあるレッスンの全文を切り詰めを行い、必要最小限度の書き替え (アンダーライン) を施したものである。できあがったもののほうが、よりcoherentなものとなっている。
切り詰め.pdf 直

このように長いものを切り詰めるということは、代名詞と実詞との書き替え関係を軸に行われるcohesiveでcoherentなactivityであるといってよいと思うが、次の例は左側が原文、右側はそれを作り替えたもの3通りである。
切り詰め2.pdf 直
切り詰め3.pdf 直
以上、3通り (108語、83語、96語) それぞれ、趣の異なるものとなっていることに注目してほしい。

私のライティングのシラバスで説き続けている、英文の「つながり」と「まとまり」について、20年以上も前に、こんなにも丁寧に指摘してくれていることに感謝です。

次の例は、S. Craneの The Red Badge of Courage (1895) の第24章全文と、Michael West のA General Service List of English Words (N.Y., 1953) に準拠して、3000語レベルでretoldしたものである。これをさらに、われわれのSTの資料に作り替えるやり方を試みる。長さは約300語、中級 (高校生) 向きのものとする。また、初めての作業ということを考えて、削除を中心に実行してみた。「戦いすんで、日が暮れて、明日はいずこのいくさやら」、争いの空しさを漂わせている名作『赤い武功章』の結末はよく知られているが、その味をどこまで出せるだろうか。
3000語レベル.pdf 直
中級(高校生)向け.pdf 直
中級(高校生)向け2.pdf 直

実例をもとに、現場の実践をもとにして、具体的なstory telling の手順を述べているところが本書の最大の強みでしょう。

「今風」の読解指導、英語指導では、「再話」と称されているのでしょうか “Story retelling” が注目を集めているようです。
オーラルイントロダクション(やインタラクション)で用いた、visual organizersをもとに、内容理解や、音読活動を経て、reproductionとして、retellingを取り入れている授業は高校でもよく目にするようになりました。
しかしながら、「再」というからには、まず「初」がなければならないでしょう。
肝心のtelling a story がなければ、retellingは始まらないと思うのです。そして、その「語るべきstory」が豊かでなければ、「retellした・されたstory (= what is retold)」にどれほどの意味があるでしょう。ところが、story telling の方はどういうわけか、流行の多読・多聴の取り組みの一環としての「読み聞かせ」の側面ばかりが強調されているように感じます。
「初」の意義が再度見直され、その「話」のクオリティが上がり、豊かな「再」が共有できる教室であって欲しいと思うのです。

Story telling の効き目は、何も「ナラティブ」だけで発揮されるわけではありません。

「テクストタイプ」というものを考える際に、

・時系列に沿って書かれるか、時に支配左右されない言説か
・対人機能 (相手に働きかけ、行動を促したり、説得したりする) を持っているか、単なる情報の提示か

という縦軸・横軸での象限を取ると仮定しましょう。(あくまでも仮定です。原点に相当する文章とは?と考えると答えがでませんから)

(+) 時系列、(+) 対人性 →instruction
(+) 時系列、(-) 対人性 → narration
(-) 時系列、(+) 対人性 → argumentation
(-) 時系列、(-) 対人性 → description (狭義の exposition)

というような切り取り方ができる、ということをこのブログでも、私が講師を務める研修会でも何度もお伝えしてきたのですが、なかなか浸透はしていないので、私の「ライティングシラバス」観、ひいては「文章=テクスト」観をここで再度繰り返しておきます。

instruction の多くは口頭で済みますから、教室内で「書くこと」によって賄う必然性があまりなく、従って「教材」「学習材」としてはあまり機能していないことが多いでしょう。

ELEC同友会ライティング研究部会の調査(2006年)によれば、大学入試の出題では、argumentationの比率は約50% ですから、予備校や学参での受験対策というものがここテクストタイプに集中することは理解できます。しかしながら、実際に高校生にargumentation を書かせてみると、論理構成や頭出しチャンクの指導を経ても、テンプレートを作ってから取り組んでも、なかなか「文章=テクスト」としてのクオリティが上がって行かない歯痒さを感じたものです。

その一因が、

事実と意見の区別、事実を事実として書く力の欠如、個人的経験を踏まえた一般化をする力の欠如

にあるというのが、私がライティング指導を本格的に始めた1988年から1995年までの単独の、または英語ネイティブの講師との共同授業を通じて得た実践知、経験知でした。

その「気づき」から、現在へとつながる「重層的、紙漉的」なシラバスを構築していきました。
シラバスの最初は、クオリティを上げるのに最も時間がかかるナラティブから始めます。
そのテクストタイプの記述に慣れさせてから、テクストタイプを expositionやargumentationへと移行します。
exposition においても、「ナラティブ的な書き方」の練習が含まれるように、そしてシラバスでは最後に置かれているargumentationへ移行した際には narrative & expository なライティングの練習が含まれるように「お題」を設定するという目論見です。

当然、事実を事実として書く場合に、時系列に依らない expositionの力も必要ですから、argumentationでの理由のサポートの際、自分の意見を「事実で」「客観的に」支持するために、必然的にexpositionの力が試されます。

ただ、これらのテクストタイプはクリアカットできるわけではなく、重なり合い混交しているのが実態なので、私のシラバスでは、風景描写・人物描写・表やグラフの説明だけでなく、「レイ・チャールズ」や「団十郎と勘三郎」の obituaryや「中也とみすず」などのbiographyが、narrativeとexpositoryを橋渡しする課題として重要な位置を占め、単に要約文を書くsummary writingだけでなく、「本の『まえがき』や『あとがき』」といった、「時系列での考察を経た予告やまとめ」にスポットライトを当てているわけです。

英語教育の研修会の、どこで何度話しても、分かってもらえる人は限られていますが、十数年この考えは変わっていません。

個人的には、螺旋階段登るように、ぐるっと回った少し高みで、再度、「ナラティブ」という足場に立ち、そして、そのナラティブから、その他のテクストタイプを眺めているといったところです。

『ストーリーテリングのすすめ』でも、expositoryなテクストは扱われています。

着物.pdf 直
着物2.pdf 直

「つながり」と「まとまり」を満たす、という観点で「文構造」を見直すことも説いています。

つながり・まとまり.pdf 直
文の構造.pdf 直

ストーリーテリングを「作る」の後に続くのは、当然「話す・語る」になるのかな、と思いきや、

  • 「第2章 ストーリーテリングを行う楽しさ」

です。「行う」ということですから、performanceというような意味合いなのでしょう。「1.原稿の総整理」から引きます。(p.103)

STを行うということは、いわば、public speakingという、日本ではあまり教えられず、また行われていない言語表現活動の実践であると前に述べたが、それに伴うSTの暗記練習に入る前に、作り上げたSTをいよいよ「行う」にあたって、手直しの必要はないか点検をする。せっかく暗記しても、後で直さなければならなくなったら無駄なことである。

として、以下の4項目をあげています。

1.全体のムード確認
2.全体の通し読み
3.全体の長さチェック
4.全体のまとめ

最後の「全体のまとめ」での指摘は極めて重要。(pp.103-104)

長いものから切り取って作る場合が多いから、その部分に至るまでの「いきさつ」、口演するSTへの「つなぎ」、そのSTのクライマックス後の「結末」が親切に与えられていなければならない。聴衆は前後を全く知らないのだから、これらが与えられていないと、何のことやらわからない場合がある。自分だけがわかっていることに気がつかないことが多いから、十分な配慮が必要である。

スピーチでの草稿指導で痛感する事柄だと思います。

そして、「暗記」。
最近では「暗唱」ということが多いのかもしれませんが、「暗記」は、とかく旗色の悪い学習活動でもあります。しかし、次のような段階的な取り組みを見ても、まだ「無味乾燥」などと言っていられるでしょうか?

段階的暗記.pdf 直

終盤の「第3章 ストーリーテリングを聴く楽しさ」、「第4章 まとめ」、そして参考文献のリスト、と至れり尽くせり。

異なるテクストタイプを扱う際のトラブルスポットを示してくれて、そしてそのトラブルを克服するヒントまで与えてくれる。更に、storytellingに取り組む間に、教師としての「英語」が豊かになり、生徒は「ことばの生息域」や「運動性能」に敏感になる。
まさに、良いことずくめの『叢書』ではありませんか。

20年、世に出るのが早かったのでしょうか?
今、出ていたら、本当に皆、読んでくれるのでしょうか?

そして、「絶版先生」は今宵も叫びます。

  • 嗚呼、絶版也。

本日のBGM: 青春は一度だけ (Flipper’s Guitar)