木島始

「ときとして、わたしたちは、じぶんの言葉の犠牲になる。せいぜいのところ、言葉は、知性の貧弱な伝達者である。言葉に、してもらいたいことを、いざじっさいに言葉がするとなると、言葉というのは不正確なものだし、徹底した注意を払って、使われなくてはならない。不正確に、不適当に、そして、言葉に内在する多くの危険にかまわずに、言葉が使われるというと、言葉は、使い手に歯向かいだし、使い手を困惑させ、混乱させ、ついには使い手を破壊しつくす原因となる。」(「修辞の欺瞞」ジュリアス・レスター『革命ノート』;木島始『もう一つの世界文学』(朝日選書)「あとがき」より)

今週はちょっと疲労の色が濃いので、↑のことばを紹介するにとどめます。木島始はもう今の時代(世代?)には忘れられてしまうのかなあ。初めて読んだのは、ナット・ヘントフ『ジャズ・カントリー』の翻訳だった。今、エッセイ集の『ぼくの尺度』を探しているのだが、現在入手不可。2002年刊のものなのに…。