題材・テーマ・価値観

今日は午後になってから、高校2年用の教材研究。教科書はMilestone(啓林館)だと思っていたらMainstream(増進堂)だった。
Lesson 1はNo one's perfect. 乙武洋匡(←これは一発変換、すごいぞATOK!!)さんの『五体不満足』の英訳本をもとにしているのか、TMもまだ届いてないので詳細はちょっと不明。まずは、Amazonの米・英・加のサイトで、カスタマーレビューを読み、日本人以外の反応をチェック。短めのレビューは何かタスクとして使いたいなあ。
この教科書の課末(=1課の終わり、というような意味で用いています)のタスクでは、positive thinkingと negative thinkingに関する活動が設定されていて、Lesson 1のねらいは「乙武さんの生き方や両親の物事の受け止め方に見られるpositive thinkingに見習おう」というようなものなのだろうか、と考えていた。ただ、綜合本なので、いかんせん、一番最後のタスクは自由度が急に上がってしまい、「自由に場面を設定して、その場面でどんな考え方がnegative thinkingかpositive thinkingか考えましょう」となってしまうのはどうにかならないだろうか。
「Positive thinkingのススメ」というような価値観を設定すると仮定した場合、「通例、プラスと思われないことをプラスへととらえ直す」というような姿勢が取り上げられるのだろうが、乙武さんの「通例、プラスとは思われないこと」は「障害をもって生まれてきたこと」ということになるだろう。教科書のねらいを考えると、「健常者=恵まれた人・援助する側の人、障害者=かわいそうな人・援助の必要な人、という図式でのとらえ方ではなく、障害の有無に関わらず、誕生をこそ、一人の生を生きることそのものを喜べることが望ましい」というような価値観を提案することになるのだろうか。
そこで、このことが実感として理解できるレディネスが現在勤務する私立高校の生徒にあるだろうかと自問してみた。
なぜなら現任校では、以前勤務していた公立校とは異なり、車いすの生徒を見かけることはない、弱視なので、座席を一番前にしたり、教科書は拡大してコピーを用意するということもない。また、文字を書くことに多少不自由を感じるため、定期考査の時間を1.5倍に延長するなどということもない。このような環境で育っている生徒に、乙武さんのpositive thinkingがどれほどのリアリティを持つのか?確かに教科書の題材・テーマの社会性は今日的であることが要求されるのだが、「心温まる話」「泣ける話」「癒される話」など、価値観のセールスカタログにならないよう、切り口にはいつも悩まされる。
Although Oto was born with severe disabilities, he has always been positive about life. He got his positiveness from his parents. I was very much impressed with that, and I will try to develop my positive way of thinking. (39 words) などと、生徒が授業の感想を述べて終わりとならないよう、どうするか、教師の力量が問われるなあ。
毎年、授業の一番最初は歌から始めるので、現在選曲中。候補曲は、PretendersのShow meあたり。教科書オープニングの活動としては、学校要覧の校舎案内図を印刷し、そのワークシートを用いて、「この学校で乙武さんと話ができる場所を選び、色を塗りなさい」などと切り口を作ろうかと思っている。