「教えて!絶版先生」第8回:『英語スピーチ60日』

tmrowing2015-08-13

公教育に携わる教師にとっても、見かけ上は「夏休み」と言える時期です。

この不定期連載も、

第1回 
『英語科教育 基礎と臨床』
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20140818

から数えて第8回、およそ1年が経ったことになります。

今回取り上げるのは、中高の学習参考書ではなく、教師向けの指導書・概説書でもなく、新書判の一般向けの語学書です。


中尾清秋『英語スピーチ60日』

(三省堂、1969年)


「都の西北」出身の英語教師のみならず、一定年齢以上の英語教師であれば知らない人はいないのではないかと思える中尾清秋氏ですが、2014年3月5日ご逝去されました。

ここに纏められている年譜が一番解りやすいかと思いますので、リンク先をご覧下さい。
松坂ヒロシ氏の作成とのことです。

http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/45226/1/EigoEibungakuSoshi_44_Matsusaka1.pdf

雑誌『英語教育』『現代英語教育』に30年以上連載されていた、英作文の講座(和文英訳だけでなく自由英作文も扱われていた)で英文ライティングのなんたるかを教わり、鍛えられた人も多いだろうと思います。
私は、直接教わる機会には恵まれませんでしたが、中学校3年生で「ちゃんと英語をやろう」と決意した時期に、『NHKラジオ英語会話』(東後勝明氏が講師の頃)のテキストの連載エッセイで英文を読んだのが最初の出会い (1979年) ですので、以下、「先生」と呼ばせていただきます。
(この過去ログに、当時のテキストの画像ファイルへのリンクがありますのでご覧下さい→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20111229

上掲の年譜の「著書」では数点しか触れられていませんでしたが、高校上級以上向けの教科書であれば、

  • Learning to write by paraphrasing (桐原書店、1977年)

学習参考書であれば、

  • 『基礎と演習 チャート式 英作文』(数研出版、1977年)

が「有名」だろうと思います。

そんな中尾先生の「一般向け語学書」がこちら。

  • スピーチ講義全60回

と言えるでしょうか?

表紙や腰帯の宣伝文句は必ずしもその本の真価を表わさないものですが、表紙のタイトル英訳にはこうあります。

  • A 60-Day Study of Public Speaking

コピーはこちら、

  • 現代人のための、新実用英語ハンドブック!

裏表紙には何も書かれていません。
表紙カバーの見返し部分に「別売りカセットテープ」のお知らせがあります。そこには、

『英語スピーチ60日』をテキストにあらゆる場面のスピーチ指導と発音練習をカセットテープ2本に収録。国際人・ビズネスマン・英語関係者・学生必携。

とあります。当時想定されていた読者層がイメージできることでしょう。

「はしがき」には本書の特色として6項目が示されています。1つの「講義」の構成・展開と言っていいでしょう。

どの課も次の六つの部分からなっている:―
1. 模範スピーチ
2. 要旨
3. 引用句
4. 発音練習
5. 「講義」
6. 応用問題

日本人が英語が話し下手なのは、学生時代に、特に受験準備と称して、むやみやたらと単語―しかも難しいものーばかりの暗記に狂奔するが、文章全体の暗誦ということが余り行われていないからではなかろうか。誰が何と言おうと、expression (表現)ということの最小単位が sentence(文)であることは厳然たる事実なのであるから、一つでも多く、まとまった文章を暗記することが英語を流暢に話す秘訣であり、近道である。その意味で本書の1. の模範スピーチは、できれば全部丸暗記していただきたい。

2. の要旨は飽くまでも参考のために掲げたものであるから、英語の模範スピーチの大体の内容を示したもののつもりで目を通していただくだけで結構である。本書は英文解釈のテクニックを詳述した受験用の参考書ではない。

3. の引用句についてはこれといって言うべきことはない。ただ、日本語の演説の場合でもそうであるように、英語のスピーチにも諺とか格言とかはよく引用されるものであるから、これらの引用句を有効に使って、いわゆる「ワサビ」をちょっぴりきかせることができれば、それだけスピーチの効果が上がるというものである。しかし、決して無理をしてまで使うことはない。

以下、4.〜6. までは、こちらのファイルを。

中尾特色4_6.pdf 直

目次がこちら。「講義」の一覧もあります。


圧巻です。

「スピーチ」の指導は、中学や高校でも行われていると思いますが、現在の教科書や、市販の英語本で、このような「多様な場面」を扱い、「誰が」「誰に対して」「何のために」スピーチするのかが明確なシラバスが提示されることは稀でしょう。しかも、中尾先生ご自身が全てのスピーチを書いています。
「中尾先生は日常での学生とのやりとりも、全て英語であった」という逸話をよく耳にしましたが、この本刊行の1969年には既に早稲田大学の教授であり、その中尾先生の「日常」がこの本で取り上げられている場面にも反映されているように思えます。

では、次の画像で、一つの「講義」の全体像をまずはご覧下さい。


目次にも「講義」だけを60日分別立てでリストしていました。ここだけ読んでも、十分に「モト」が取れると思いがちです。例えば、23日の「講義」のテーマは「強形と弱形」。

中尾講義23強形と弱形.pdf 直

単語レベルに留まってはいますが、注意喚起には有効で、かつコンパクトにまとまっています。

でも、やはり、その日の講義の流れ、展開の中で、また、その日までこのテキストで学んできて、練習してきたからこそ、ここで「強形と弱形」にスポットライトを当てて扱う意味があると思うのです。「分かりやすいところ」「美味しそうなところ」だけをつまみ食いするような姿勢では、この本の良さを本当に味わうことは難しいのではないかと思います。

その意味では、

  • 古い時代の、理想的な教師が理想的な学習者を相手に行った名講義録

となるのかもしれません。

古さが気になる人のため、ではないのですが、私は今、細々と、この中尾先生の書き下ろしたスピーチの英文を、Text Inspector に打ち込んで、語彙のレベルなどをCEFRのどのレベルに当たるのか、EVP (English Vocabulary Profile) であれば、A1-C2までの、どの段階の語が多い、または少ないのか、COCAに照らし合わせるとどのような分布か、などを分析しているところです。

英語ネイティブに英文執筆を依存するのではなく、教師自らが英文を書き下ろす、という点で、

  • より良い英語で、より良い教材

の格好のお手本ではないかと思っています。
そのうちのいくつかを以下に示しておきますので、ご参考までに。

第7日 父の日の集いでの挨拶(日米合同の父の日記念行事;司会者の田中氏のスピーチ)

中尾 Day 7.pdf 直
中尾7_statistics.png 直
中尾7_readability.png 直
中尾7_EVP.png 直
中尾7_diversity.png 直

第40日 外国人ハイスクールの入学式での来賓の祝辞(外国人の子弟のための学校で;山口氏のスピーチ)

中尾 Day 40.pdf 直
中尾40_statistics.png 直
中尾40_readability.png 直
中尾40_EVP.png 直
中尾40_diversity.png 直

第43日 大学卒業を祝うパーティーにて (大学のE.S.Sの世話役安田君のスピーチ;顧問のDr. John Walkerも出席)

中尾 Day 43.pdf 直
中尾43_statistics.png 直
中尾43_readability.png 直
中尾43_EVP.png 直
中尾43_diversity.png 直

現在の中高生では、なかなか歯が立たない語彙レベル、文体であろうかと思います。引用など、C2レベルでも、AWLでもカバーしていない語が出てくることもしばしばです。

しかし、それであっても尚、この本を読んでいると、スピーチの英文を自分で口にしてみると、「ああ、英語だなぁ」という感慨が自分の中に満ちてくるのを感じるのです。そして、「講義」を読むと、あたかも授業を受けているかのように、声が聞こえるような気がします。なぜでしょう?その答えは、中尾先生を知る人、中尾先生の教えを受けた人、そして私のように教材を通して学んだ人には分かるのではないでしょうか。

最終講である「60日」の講義を引いて、第8回を締めくくります。

真心

どんなspeechであろうと---informするものであろうと、entertainするものであろうと、persuadeするものであろうと、またpraiseするものであろうと---それを真に効果あらしめるための最も大切な条件は「真心」である。それは人の心に訴えるものに「真心」以外にないからである。
「真心」はいかなる場合にも必要であるが、特に人をpersuade(説得)しようとする場合に必要である。自分自身が信じていないことを、人に信じさせることなどできるはずはない。たとえば「投票日に棄権しないことの重要性」というような演題についてスピーチする場合、speaker自身が「投票なんてバカらしい」などと考えているようでは、到底「真心」のこもったスピーチはできまい。人をpersuadeするということは、人を説得して、ある特定の行動をとらせることである。人にある行動をとらせる前に自らそのような行動をしていることが肝要である。英語でよくいわれることであるが、”Practice what you preach!” (おのれの説くところをまず実行せよ!)である。

人をpraise(称賛)するためのスピーチの場合は「真心」が特に大切である。偽りの賛辞ほど不愉快なものはない。結婚の披露宴でのテーブルスピーチなどで最上級の形容詞ばかり並べて、誰が見ても人並みでしかない花嫁を絶世の美人のようにほめたりするのは「真心」以前の問題であって、ただ悪趣味としかいわざるを得ない。 (p. 249)
中尾講義60.pdf 直

本日のBGM: What the world needs now is love (Jackie DeShannon)