「ゆう」に「こ」とかいてYOU子?

tmrowing2015-06-20

私がSNSで2ヶ月以上、執拗に追い続けている、「高3英語力フィージビリティ調査」そのもののfeasibility について誰も検証しない内に、文科省から凄い「プラン」が打ち上げられました。
吃驚です。






「生徒の英語力向上推進プラン」について(文科省サイトより)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1358906.htm

pdfファイルはこちら。文言がこのあと変わらないとも限らないので、このバージョンは保存しておくことをお薦めします。(※2016年3月現在でこちらの6月18日付けのファイルは案の定リンク切れとなっています。)

http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2015/06/18/1358906_01.pdf

※今、リンクが辿れるのは、こちらのバージョン。7月21日付けですね。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/__icsFiles/afieldfile/2015/07/21/1358906_01_1.pdf

例によって、「文科省の推し進める改革」はあんなに周到に計画して、現場の支援もしてきたのに、全く成果が上がっていないのは現場が悪い、とばかりに次から次へと。
「高3英語力」の「フィージビリティ調査」だったはずなのに、その結果を都合よく使い回して、「いかに今の英語教育は成果を挙げていないか」を説明しています。必死、死に物狂いにすら映ります。

以下、気になるところを抜粋します。私のコメントはファイル名にしてありますのでそちらをお読み下さい。

20150605プラン背景1.png 直
20150605中学英語力把握スケジュール3.png 直
20150605 都合が悪くなったらそもそもの計画が「A2から」が「A1から」に変わっているし。.png 直
20150605 この最後の項目をよく見て!.png 直
20150605都合よく使われてるfeasibility調査結果.png 直
20150605いつまでやるのかfeasibility調査.png 直
20150605 「特に『書く』『話す』が課題というが、テスト問題そのものの問題は?.png 直
20150605 卵が先か、コロンブスが先か?.png 直
20150605そもそも単一技能の「書くこと」の指導は充分なの?.png 直
20150605 単一技能の「書く」ことは既にテスト済みなんだよね?.png 直
20150605「工程イメージ」って、F1と同じ扱い 直

「ヨンギノー」のうち、「書くこと」にいかに問題があるか、だけでも、これでもか、というぐらい指摘されています。
でも、今回の業者丸投げ 業者に委託した出題・作問そのものの検証は第三者でやっていただかないと。

私の過去ログでも、この「調査」の問題点は、これでもか、というぐらい指摘しています。

「明日の風で桶屋は儲かる?」

"The bottom line is ...."

Here they "GO" again!

  • 「時間も予算も限られていて、しかも既に運用されている外部試験と同じものではダメ、という制約の中では、これが精一杯。これしかできませんでした!」

というのなら仕方ありません。
でも、問題を出す順番、1問目(聞き取り要約)と2問目(お題に基づく意見文)が入れ替わるだけでも、正答率はかなり違ったんじゃないかと思うんですよ。
主要メディアが、データとして示された「数値」だけを鵜呑みにして、一次資料に当たらない以上、自分の手足や頭を使って自前で考えるしかないでしょう。

だって、自分たちひとりひとりの、私たちひとりひとりの英語学習であり、英語教育なんですから。

高校生の英語力の状況.png 直

「プラン」より「高校生の英語力の状況」を抜粋。さんざん、「高校の英語教員の英語力のなさ」を批判的に語っておいて、「英検準2級相当の英語力を有すると思われる生徒」の存在は、その高校の英語教員に訊いてるんだからなぁ…。

現職の文科省担当者の言葉は、普通「言質」になると思うのですが、これまで「英語教育に関わる文科政策の失敗または機能不全の責任」をとった人がいるのか、寡聞にして知りません。
このエントリーからもうすぐ2年が経ちます。

上手の手から漏れる水 - 英語教育の明日はどっちだ!
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130907

さて、
最近、こんな「書」を呟いていました。

https://twitter.com/tmrowing/status/611692523073896449
web書道.com_つながり.png 直
https://twitter.com/tmrowing/status/611692717727334400
web書道.com_まとまり.png 直

「教材」に関しては、学習者の発達段階、レベルや目的に応じて選択する、「適不適」とは全く別の次元で、「著作者の側」とは別に、「制作・編集の側」で英語になっているかどうかの吟味を望みます。「教材」として選ぶ教師の側としては、良い物は良い、ダメなものはダメ、と言い続けるしかありません。

では、「英文」のつながりとまとまりを見る『眼』とは、どんなものなんでしょうか?
先日のブログでも言及した、某教材の英文を授業で実際に高2、高3の生徒と読んでみました。ネット上でも読めるページですから許容範囲でしょう。

高3では半分くらいが、高2では9割近くが、「主題がわからない」という反応でした。
解説後に、私が添削した版を読ませたら、「これならわかる」と、添削版の方が理路整然という評価になりました。

ところが、この2つの英文をオンラインツールのText Inspector で計量的分析をすると、何ということでしょう、原文の方が添削版より、語彙も易しく、リーダビリティも約1学年分低いという判定がでたではありませんか!

http://textinspector.com/workflow

大学改革の流れで、「人文系は不要!」と息巻いている人たちは、こういう状況を見て何というでしょうか?
語彙レベル、一文あたりの語数、一文あたりの音節数などの定量的な分析だけでは、「まとまった分量の英文が『一読了解』な文章になっているか否かはわからない」ということがわかっていないのではないでしょうか。

  • 語彙レベル、構文レベルを易しく抑えて、文法上の誤りのない文がいくつか集まっているからといって、必ずしも「つながり」「まとまり」を満たしていることにはならない。

という厳しい現実がそこにあります。

英文はお見せできないのが残念ですが、データだけでも示しておきましょう。

某教材オリジナル英文のreadability等統計.png 直

これがText Inspectorによる某教材オリジナルのリーダビリティ等分析結果。小学校3年後半くらいの難易度。

某教材の松井添削版readability score等統計.png 直

私が添削した英文での分析結果。 リーダビリティは、約1学年分くらい上昇。オリジナルより少し難易度が上がったという評価です。

某教材オリジナル英文のEVP分類.png 直

こちらは、CEFRに準じたEnglish Vocabulary Profileの結果。教材オリジナルです。A1レベルの語彙が70%以上で易しいという評価になっています。

某教材の松井添削版EVP分類.png 直

こちらは添削版英文のEVP。A1が6割強で、B2の比率が増加。語彙の面でも若干難しいという評価になりました。

現代の「計量言語学」「コーパス言語学」等、関連領域の学問水準も上がり、オンラインで処理できるほどICTが整備されているとはいえ、その英文が「一読了解」できる、つながりとまとまりのある英文であるか否か、は実際に読んでみないとわからないし、わからない人にはわからないのです。

問題は、この「わからない人」が教材作成に携わったり、教壇に立ったりすること。

「中級の壁」と紋切り型の形容でおしまいに出来ないのが辛いところ。まだまだ多くの「教材作成者」や「教師」に気づいてもらえないと困る、あまりにも当たり前の「できてしかるべきこと」といえるかもしれません。

私の教えている高2の教室には「学級文庫」と称して、私の私物である『英語本』を置いているのですが、生徒にはよくこんなことを言います。

ここにある本は全て、私が「自分の学びの学習材」として、または「自分が英語を指導する教材」として使ってきたもの。半分くらいは既に「絶版」です。いや、出版され、市販されたのですが、一部の人にしか好意的に迎えられなかったということなのでしょう。一方、巷には「ベストセラー」の英語本も多々あります。そういう類いの本は、沢山の人が目にして、手に取り、買われていくわけです。柳の下のなんとやらではありませんが、第2弾、第3弾、と同じ著者や著者グループで続刊が出るのも最近の傾向でしょうか。そして、それがまた売れていく。
でも、ちょっと待って下さい。そんなにベストセラーになるような「英語本」が多いのだったら、「日本人」って、もっと英語が出来るようになっていないとおかしいのでは?

結構真面目に、そう考えています。
そのような『今どき売れセン英語本』で、「目から落とした鱗」の数と同じくらいの数の「気づき」を得ている人が溢れんばかりにいるはずでしょう?それだけ「気づき」に満ちているのなら、SLA的にも、英語が「身について」いても可笑しくないようにも思います。
でも、何故でしょう?英語が出来る人はそんなに溢れていないように思うのです。

20代の終わりから30代の終わりまで、ちょうど10年間、検定教科書の著者をしていた頃、著者同士の笑い話でよく出ていたのが、

  • 「文科省的(指導要領的)に、良いものを作ると売れない。現場に選んでもらえない。」

というものです。著者を辞めて、既に十年以上が経ちました。今は、少し違った感覚で眺めています。

「英語が出来るようになるには?」「英語を身につけるには?」「自分の英語のOSをアップグレードするには?」という「ゴール」設定を考えた時に、そのゴールへの到達を真面目に考えて対応している『英語本』が提供している、課している「学び方」を、多くの学習者は求めていないのではないか、と思うのです。
こうなりたいという、「ゴールE」を目指すのに、それと直結したE’という学び方は選ばない。そうではなくて、「これが私の求めていた英語学習だ」と思わせてくれる英語本に飛びつく。その英語本の提供しているものが、たとえEの遥か手前であるBというゴールにしか到達できない、B’ という内容やプログラムであったとしても、です。そして、自分で充実感・満足感を得ているので、Bという自分の居場所に対する自己肯定感はものすごく高くなる。
そんな人が増えているのではないでしょうか?
やっぱり、どこか「ダイエット本」と似ていますよね。

本日のBGM: REGIKOSTAR 〜レジ子スターの刺激〜 (KAN)